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もう流行りは上からおりてこない

わたしが10代を過ごした80年代、そこは日本人が初めて目にするモノやコトがたくさん溢れている時代でした。
ちょうど感受性豊かな年頃に重なったのもありますが、それは日本が高度経済成長を経てある種の豊かな時代に入ったことを物語っていました。
食うに困る時代ではもちろんなく、嗜好品に溺れ、海外旅行も当たり前になり、生活スタイルもどんどん欧米化していった時代です。

今のようにインターネットやsnsはもちろんなく、情報は基本、雑誌やテレビ、そして映画くらいでしょうか。ファッションは店員さんに教えてもらうなんてこともありました。
友人の中にはファッションリーダーなる者が一人いて、何かにつけて先取りしている存在がどこにもいたものです。

そんな生の情報を目のあたりにして生きていたのです。
そう、全ては「人よりいち早く」、情報も、手に入れるのも、並ぶのも、レストランの予約だって・・。
決して誇れる時代ではありませんが、恥をかきながら、見栄を張りながらも楽しかった時代ではありました。

全てに早い者がお洒落とされ、遅れている者がダサいとされていたのです。
流行はまさに上から下へ降りていくものであったのは間違いありません。

そこから何十年と時が過ぎ、今はどうでしょう。
情報の質はさておき、莫大な量の情報が瞬時に生まれ、更新され、積もっていく時代です。
これだけ情報が多くなると、人は知らず知らずのうちに情報に翻弄され始め、処理することはほぼ不可能になっていきました。
どの情報が必要で、真実なのか、はたまた何のための情報であったのかもわからなくなってしまった・・。

そう、価値があるべきはずの「情報」が価値を無くしてしまったのです。

自分にとっての取捨選択ができなくなった今、「何となく」という空気だけが蔓延しているように思えてなりません。

未だに「今流行ってるんですよ」なんて会話を耳にすることがありますが、時代錯誤も甚だしい。
趣味嗜好がこれだけ多様化し、作り出されるトレンドも日々変わるような薄っぺらい時代。さまざまなメディアで取り上げられているほど実社会ではほとんど浸透していないのが現状で、それがリアルといわれるsnsとて同じこと。
流行に敏感な人=ただの情報が早い人・・。
その情報に価値がないとなれば、それはもう立場は昔と逆転している。

毎年のように"流行り言葉"が作られていますが、早く知っていても早い段階では伝えることができないならほとんど意味がない。その言葉が本当に認知され、当たり前のように実用されれば私は使う事に何のためらいもない。
流行り言葉なんて一番最後で良いとすら思っている。
極端に言えば、お洒落だって後追いするぐらいの余裕があっていい。

つまり、「流行(はやり)」には話題性はあれど、その言葉ほどの意味はもう存在しないのかもしれない。

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