Not for meな映画スラムダンクのターゲットを考える
前提
昨晩描いた記事にNot for meだった旨を書きました。
書いて一晩寝たらちょっとだけ思うところが出てきたので続き。
あと前提として
バスケ経験者じゃ無いです
普段バスケ見ないです
たまに能代工業のドキュメンタリー見ます
以下ネタバレを含む。
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ラストシーンに関して
映画スラムダンクのラストシーンは会議が必要なシーンでした。現実味があまりにも無いと捉えてしまいます。そこに至るまでをぼけーっと考えたので以下メモです。
試合クライマックスに至るまでの重要な事
全記事にも書きましたが、試合クライマックスに至るまでに桜木流川の関係性が描かれない事が不満でした。
特に流川に対して感情移入するのが不可能だなと思い、映画に対する評価がガタ落ちしました。
原作ですと、試合を通して、流川が自分のプレイスタイルを曲げて勝利を目指す覚悟が描かれます。
前提として流川は日本一の選手になりたい。
それはアメリカ留学をしてバスケをより上手くなりたいからです。
日本一の選手になるには沢北を越え、山王に勝つ必要があります。
沢北を越えるのは、
自分が及んで無いとされる仙道が勝てなかった選手だから。
そして南に日本一は沢北だと言われたから。
山王に勝ちたいのは、チームを日本一に導く選手が日本一の選手だと考えているから。
それらの思考が融合して流川の決意が固められます。
沢北を倒してアメリカに行くと原作では明言しますが、映画スラムダンクでは言及されなかった記憶です。
才能
じゃあ、日本一の選手でないとアメリカに留学してはいけないのでしょうか。流川や沢北のよう才能やフィジカルを持っていないと留学してはいけないのでしょうか。
原作者にとってはそれはミスリードになり得るのかなとふと思いました。
連載当時とは異なる状況の一つとしてスラムダンク奨学金の存在があります。
スペシャルメッセージには実力が今なくても、夢をつかむことを諦めてはいけない旨が書いてあります。
スラムダンクを読んだからバスケットを始めた人は多くいると思います。
原作から乖離した映画に対して思うこととして、そういった人たちに対する配慮は無いのか?とモヤりました。
でもこれからバスケットを始める人、バスケットに向き合っている人に対するメッセージとしては妥当かなと感じます。
作者がストーリーを曲げても伝えたいことはこれだった、と自分を納得させることにしました。これならNot for meでも構わないので。
大切なのは上手くよりずっと本気、ということです。
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