音楽を栄養にして生きる生物
以下、駄文。
はじめに
音楽に救われるって言葉、なんとなくわかるんだけども、どう解釈するのがしっくり来るんだろうかと考えている。
救われるイメージ
救われるって言うと、果てしなくマイナスの状態が、解消されるというか、プラスに行くことは無いんだけども、ゼロに近づくイメージを持つ。
じゃあプラスに持っていくにはどうしたらいいんだろう。
音楽を聞いてモチベが上がるのか
いいライブを見ると、その経験を基にして日常生活が頑張れる!って言うけど本当だろうか。自分はどちらかというと、喪失感のほうが大きい気がする。思い出を反芻(はんすう)することはあるけれども、どちらかというと喪失感を薄めるための行為と感じる。
でも、それは自分が一般人であるからで、きっとそうでない人種もいるんだろうと思う。
すごいライブを見たので負けたくない、と言ったMC
先日、名古屋でcinema staffとヒトリエの2マンを見たときの三島想平氏のMC。
そのときはウンウンと頷いていたが、いいライブを見てそれを直接エネルギーに変えられるのは音楽業界に携わっている人間のみでは無いのか?といった疑問が生まれた。
一切エネルギーに変えられないのか?
でもきっとそんなことは無いと思える、というか思いたい。
音楽業界の人間、とくにプレイヤーはそうであろうけども、インプットとアウトプットのベクトルが限りなく近いと考えられる。
日常生活のベクトルが違う僕らは、インプットとアウトプットのベクトルが違うため、直接エネルギーに変えることができない。様々な経路を迂回して、自分に適したベクトルのエネルギーを取り出す。
音楽業界の人間は、音楽を食べて生きる怪物に思えてきた。特別な消化器官を持っているイメージだ。
怪物に近づくためには
怪物に近づくには、インプットからアウトプットに至るまでの経路を新しく作るか、アウトプットベクトルの向きを変えることが求められる。
経路を作る手段としては、怪物側の考えを取り入れること、例えばインタビューを読むなどがあるかもしれないけど、思考の一部をトレースするのみで本質に近づけるとも考えにくい。
結局、ありきたりな感じかもしれないけども、個人個人の中で、良いと思った部分を噛み砕くトレーニングを積んで、栄養にしやすくなるようにするしか無いんじゃないかと思った。個人の置かれる状況も違うので。
アウトプットの向きを変えることは、最も短絡的に考えると、音楽業界に身をおくことが手っ取り早いけども、選択肢も限られるし、決断も難しい。
そもそも段階を飛ばして、直接自分の生活を良くしようと考えているのが愚かかもしれない。
ゴールまでの道筋を立てる
最終的なゴールを『もっと良い自分になる』みたいに置くとしたら、もっといい考えを持った自分になるみたいな具体的なゴールが挙げられるかもしれない。
ライブを見る
何かを感じる
言語化する
言語化筋が鍛えられる
怪物に近づく
なんかそんな感じに上手く行きませんか?と祈りながら山田ズーニーのエッセイを読み漁る日々を過ごしています。
最後に
以上みたいなを考えながら地下アイドルのライブを見ています。
なんで?
また書きます。
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