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バキ童ぐんぴぃと土岡の語彙力に嗟嘆






バキ童と土岡の語彙力に慄く日々。



バキバキDTチャンネルをご存知だろうか。



かつてインターネットでオモチャにされた
自身の童貞をカミングアウトした街頭インタビューがバズりにバズった男である。


彼の正体は芸人で、気が付けばYouTubeを始めていた。




私がそのチャンネルを始めて観たのは

バキ童が「おでんツンツン男」とコラボした時の動画だ。

「あのおでんツンツン男が、YouTubeに出てるぞ!」
という情報を入手し、
即YouTubeに見に行った。

そこで「あ、前にバズった童貞の人だ」

と、バキ童のぐんぴぃを例の街頭インタビュー以外で初めて見た。




おでんツンツン男の動画は面白過ぎた。

2022年に観て1番面白かったのが、
水曜日のダウンタウンの「モンスターラブ」
なのだけれど、その次がこの動画だった。

この二つの何が凄いって、
私の中では、「面白さ」がその年映画館で観たRRRさえも抜いているところだ。



「モンスターラブ」は兎に角、面白かった。
恋愛リアリティーショーとしてだけではなく、
テレビ番組として、エンターテイメントとして。

一人、呼吸が出来なくなるくらい笑った。


おでんツンツン男のコラボ動画は、あの有名なニュースの裏側を知れるという
我々が何年も無意識に抱え続けた
「あの男は一体何者なのか」
「何故おでんをツンツンしたのだろうか」
という、解決される予定のなかった疑問を
なんと本人自らが説明してくれる素晴らしさがある。

その上、こちらが想像もしていなかったような
トンチキ逃走劇の話まで聞けた。


おでんツンツン男のあまりにも明るい人間性も相まって
この動画は私の大のお気に入り動画になった。


その頃から、時々バキバキDTのYouTubeを観ている。



最近は、私の好きなラランドともコラボが多く
好きな二つのチャンネルのコラボに胸が熱くなっている。

まさかあの人気シリーズ「ち〇こ萎えさせ王」に
春とヒコーキが参加し
ラブホテルのシャワー室から「お待たせ~」と
頭をタオルで拭きながらやってくるぐんぴぃが見れるとは。



そして最近、改めてバキバキDTチャンネルの動画を観ていると


バキ童ことぐんぴぃと、相方の土岡の語彙力に慄き

時に悔しくて腕組をして天井を見上げてしまう。


これが、、、悲しくも学歴とやらの差なのだろうか。

「口語でこんな言葉使うかね~」と何度でも驚いてしまう。


例えば最近観た数本で「オウっ」となったのは

「精悍な顔立ち」
「嚆矢のように」

というぐんぴぃの言葉選びだ。


小説で時々目にする言葉だが、
私生活の会話で口にしたことも、会話内で聞いた事もない。

ぐんぴぃの口から聞いた時は

「あれ、こんな意味で合っているっけ」

と一瞬考えてしまった。

そして意味を調べ
「ああ、合っていた」と安堵した後に
「これ、もしかして私以外の視聴は普通にいつも使う言葉?」

と不安になってくる。



そんな瞬間が、バキバキDTチャンネル視聴時には多くある。



そしてその瞬間の積み重ねが

ここ最近の私を少し苦しめている。



それはきっと、自分の「語彙力の伸び悩み」
という焦燥やコンプレックスを刺激されてしまうことが理由と感じている。



私はここ数か月で、「よし、文章をもっと書こう」
とnoteへの投稿を開始した。


元々、ブログ全盛期に思春期を過ごし
学生時代が、前略プロフィール、mixi、アメーバブログ、facebook
と共に過ごしてきた世代のため

人生のほとんどでブログやSNSで文章を書いて生きてきた。


今ではURLもログイン情報も覚えていないような
私の過去のブログ達がインターネットの海に眠っている。


なので文章は、書き慣れているといえば書き慣れているが

30代に入ってから、薄々
「自分の語彙力、10年以上変化していないかも」
と感じていた。


学生時代、私は本を沢山読むタイプだったので
正直、周りの友人より語彙力があると自惚れていた。

そして社会人になってからは
働いた会社で仲良くなった年上の
平成ギャルの影響や

水商売時代も年の離れた令和ギャルや小娘たちとの会話で

私の生活に常駐する語彙圏は洗練されていき

一時期は


「ヤバい」
「キモイ」
「ウザい」
「無理」


だけで会話が出来るようになっていた。



まあ、それはそれとして気に入っていた自分の時代の一つだ。


平成も令和も、ギャルという存在は面白い。


特に水商売を本業としていた
25~28歳の時は、
昼職でどんどんキャリアと経験を積む同世代を横目に

私は18歳の高校を卒業したばかりのギャル達から
「活きた若者言葉」を日々学んでいた。


当時「卍(まんじ)」が大流行していた。

私の同世代は、そこまでその言葉に馴染みがなく
高校生や20歳前後の子を中心に使われていた。

「卍ってなんだよ、いつ使うの」とギャルに聞くと

「地元の集会、マジ卍~、とか」
と歌うように話され、
「、、、結局卍って何?」と思っていたが

「よくわからないけど、響きの良い語尾かな」と理解したりしていた。


年下の令和ギャルたちはとにかく生意気だった。

「あんなさん、オバさん!」とか、毎日のように言ってきていたし

「猫なら3歳だよ」と返すと

ゲラゲラ笑い、そこから毎日

営業中にカラオケで
「おジャ魔女カーニバル!!」が流れると


「テストで3点、笑顔は満点♪」

の歌詞を替え歌し

「テストで3点、猫なら3歳♪!!!」


と、とびきりの笑顔と大声で歌っていた。


「3歳」のところで
スリーピースを作って笑顔で
遠くの卓の私に向かって歌うギャルを
ギャルの目の前のお客さんは「はて?」という顔で見ていた。


カラオケの音源は店内中に響いているので

その瞬間は店内の全員が

「猫なら3歳???」という顔で
何故かギャルにスリーピースをされている私に
その都度注目が集まった。


「おジャ魔女カーニバル!!」
なんていう往年のカラオケぶち上げソングは
毎日誰かしらが歌うので

それはギャルが飽きるまで数か月は続いた。




世間がTVで「若者言葉」として
「卍」を取り上げるようになったころ



とあるギャルに、仕事で少し任務を与えていた。

毎日教えるが、上手く出来ず
ギャルはイライラしながらも毎日取り組んでいた。

ある日の仕事終わりに「もう嫌だ!」と言い出すギャルに

「頑張るしかないね~」と励ましていると

「ふん!もういい!」とギャルは荷物を持って帰り支度をした。

そして扉の前で
私や、私の少し年下の女の子に




「バイバイまんじぃいいい!!!!」


と大声で言い放って帰っていった。


プンスカ怒って苛立つ様子と

その自分を落ち着かせられず、「もう!」と
更に自分にイライラし
その苛立ちのテンションのまま
勢いよく帰宅するテンポのよさと


帰りの予期せぬ言葉「バイバイまんじ」に


私たち平成ギャル世代は吹き出して笑った

そして

「み、見た目通りの事を言うな~!!!!」

と、笑顔で去っていくギャルに
謎の叱責を放ってしまった。


そのギャルは、店に所属する令和ギャルの中でも
1番「ヤンキーっぽいギャル」だったので
「卍(まんじ)」は彼女に似合い過ぎていた。



このような日々を過ごしていた私は

その後転職してIT企業に入社したが

「ヤバい」等の
自分の常用単語が中々抜けなかった。



28歳で入社し、私の教育担当は25歳の男性で
相手からすると「年上の女性」だったのにも関わらず

私の言葉遣いがあまりにも若者で、
おそらく当時彼をかなり驚かせたと思う。

入社後の研修での技術最終課題では

研修の成果を活かすために
一つのツールを作った。

会社の偉い人が、気を遣い私の成果物を
後日見てくれていたようで、こう言われた

「動いたけど、タイトルのところ誤字ってたよ?」

そして私は答えた

「あ、誤字じゃなくてギャル文字です!」

そう。私は
「ここギャル文字にしたら可愛いやん」
と、課題のツールに表示する文字を
全てギャル文字にしていた。

偉い人は

「ギャ?ギャル?もじ????」

という顔をしていた。

まあそんな事もあったが
持ち前の理屈っぽさや、過去の読書経験により
蓄積されたが眠っていた語彙は

必要な場面では不思議と使えるもので

お陰様で
「ノリは若いけど、なんか文章はやたらとしっかりしてる」
という印象を持たれていた。


そこから数年、特に困る事もなく過ごしていたが

最近noteを書くようになり、
ふと自分の文章を読み返したりするような時に

「、、、なんか語彙力なくないか?」

と自分の文章に驚くようになった。

文章を書いていると、
気付けば同じような言いまわしや表現ばかり使ってしまうし

「~~で無理だった」
「~~でウケた」等、

ニュアンスでの会話表現のような言葉遣いばかりしてしまう。
全ての出来事の結末が「無理」か「ウケた」になる。


書けば書くほど、その事に焦りを覚えていた。


そんな時に私に刺さってしまったのが、
そう。バキバキDTチャンネル。


冒頭でも書いたが、彼らは常用とする語彙が
通常の社会人より幅広いように思う。

少なくとも、私が10年間で
昼も夜も働いてきた会話の中で、聞き馴染みのない言葉達をよく聞く。


「小説みたいな言葉で会話するんだな」という驚きもあるが
動画内で、それをあたかも「通常」とされている事に
二重の驚きを覚えてしまう。


ぐんぴぃが何を言っても、
土岡が何を言っても、

相手は「何それ」と言わずに
当たり前に会話が進んでいく。


「こんな世界線、、あるのか」
と感心にも近い心情で観ている。


彼らは、同じ大学の落研出身で
おそらく10代から同じコミュニティや人間関係に
身を置いてきたのだろう。

「言葉を選ばなくていい環境」で
彼らが過ごしてきたことが、見て取れた。

彼らは同じような教養を受け、
同じような環境で
同じような語彙を使って生活してきたのだ。



「逆鱗」や「鞭」といった漢字や単語を
LINEで「読めない」とギャルからの返信され
「げきりん」と答えても
「どういう意味」と返事を受けていたような私とは


そりゃあ環境は異なるだろう。
生活内で選ぶ単語も違うだろう。


どちらが良い、悪いではなく
私は自分のこの10年の会話もすべて気に入っているが


自分と全く異なる世界線にいたのか、と
ぐんぴぃや土岡に対して感じている。


私も本が好きなまま、
というより、学生時代からの読書量が変わらないまま
偏差値の高い大学に進学し、
例えば出版社なんかに就職していたら

今私の口や指から放たれる言葉は

今と全然違っていたのだろうか。




二人を観ていると、そんな過去なのか未来なのかわからない
「存在しない私の時間」を想像してしまう。



私がその生活を本当に心から望んでいるかは、さておいて
私は、自分の選ぶ言葉がどこから来ているのか
また、ぐんぴぃや土岡はどこで言葉を見つけてくるのかが気になった。


一番驚いたのは

土岡が、大好きな松屋のメニュー
「うまトマハンバーグ」の話をしている時だ。


土岡は食生活が大学生のようなのだが、
中でも好物の「うまトマハンバーグ」においては
狂ってしまうほど好きらしい。

その狂いぶりを説明しているシーンはいくつかの動画にある。

「うまトマハンバーグ」が発売開始の時期になると
「今年も発売開始されたね」という会話の直後
突然ぐんぴぃたちの前から姿を消し
数十分後に「食べてきました」と現れたこともあると。

そんなエピソードを話している時に、
土岡が、「うまトマハンバーグ」が発売される時の
自分について説明していた。


「まず、発売されたポスターを見たら店内で一礼」

とお辞儀する真似をし

「ロード、マイロードと」

と、更にペコペコとかしづくような真似をした。



私がその土岡に、
「え、今 my lord って言った??」と面食らっていると

ぐんぴぃが「ああ、そんな王様みたいな感じなんだ」
と即座に相槌を打った。



私はこのくだりに驚嘆とした。


lord は、いうなれば
「閣下」「我が君主」のような意味の言葉だ

ぐんぴぃの言う「王様みたいな」は、確かに似ているが
私は若干ニュアンスは異なるものを採用している。



「王様」に向けた言葉なら

マジェスティ、ユアハイネスのほうがしっくりくる。

まあ、一番聞くのはマジェスティだろうか。


土岡は「マジェスティ」「ユアハイネス」等の類語の中から

とても正しく「ロード」を使ったのではないかと感じた。



「my lord」

いくら日本には英単語が溢れていても
全く聞きなれない単語ではないだろうか。

実際に、昔海外に留学していた私も
その数か月でこの単語は一度も会話で使わなかった。


これは教会に通うような人でないと、
英語圏でも日常で使わない言葉ではないかと思う。


私がこの言葉を知ったのは、
大好きな海外ドラマ、「glee」で歌われた曲

「if I die young」という曲の歌詞にあったからだ。


「私が死んだら、サテンで包んで
ローズで作ったベッドに寝かせて
夜明けに川の底へ沈めて
ラブソングの言葉と一緒に見送って」

これがサビの歌詞の和訳だ。

この曲は、若くして死んでしまった女性目線で書かれている曲で
簡単に言うと、海外版「千の風になって」だ。



1番のメロディで
「Lord, make me a rainbow~」と入る。

私はこれを聴いて当時「Lord」という単語を沢山調べた



インターネットでは
「君主」とも「神様」とも「司教」とも説明されている。


キリスト教、教会での偉い人という事だろうか、、
牧師とは違うのか、、
と色々考えたが解釈は曖昧なままだった。



そして、書きながら今しがた思い出したのが

ハリーポッターだ。


ハリーポッターに出てくる死喰い人は
ヴォルデモート卿の事を

「我が君」と呼ぶ。

これこそが「Lord」だ。

そう。ヴォルデモート卿とは英語で
「Lord Voldemort」


「Lord」なのだ。


ハリーポッター原作を読んでいる人なら、少し見覚えがあるだろう。
「Lord」という単語に。
私も小学生ながらに「分からない単語だ」と
文字面だけインプットしたのを覚えている。


そして英語音声でハリーポッターを鑑賞すれば
「my lord」と確かに呼んでいる。



Lordとは、王様、陛下よりも
信仰の強さを込められる相手を尊敬した表現だ。

ヴォルデモードは自分を「卿」と位付けしていた。
狂信者を自ら求めていたからだ。

信仰心を持って、相手を敬い「my lord」と呼ぶ。
マジェスティ、ユアハイネスとはやはり異なるように思う。


土岡はこれを分かっていて、選んだのではないか、、、?
自分の愛する「うまトマハンバーグ」に、、、



そう考え、驚嘆としたのだ。




この単語は私だってたまたま知っていた。

好きな曲と、ハリーポッターのおかげだ。
その後も、海外ドラマや映画を色々観ていても
何度も見た表現ではない。

ゲームオブスローンズで、出てきたかも?という程度だ。


土岡はどこでこの言葉を覚えたんだろうか。



私は大のハリーポッター好きだが、
他のハリーポッター好きが、「my Lord」で

「ヴォルデモート卿のことだ」とピンとくる人はいる確率は低いように思う。


日本のハリーポッター好きはみな「我が君」をよく使う。
本でも映画の和訳でも「我が君」と訳される。


なんなら「我が君」と言われれば
「ハリーポッター好きだな?」と判断できるレベルだ。

そんな表現は日本では他に見た事がないからだ。

改めて、翻訳の松岡佑子さんには脱帽する。
こんなに正しく「my Lord」を私たちに理解させてくれるとは。

「陛下」でもなく「閣下」でもなく
「我が君」という表現が
私たち読者に、死喰い人の信仰の強さを知らせた。


だが一つ疑問である。
ハリーポッターの英語音声であれば「my Lord」という表現を
私たち日本人でも聴く機会があるが

ハリーポッターを英語音声で見ていたからって
「my Lord」が、日ごろの揶揄表現で咄嗟に飛び出すほど
言語野に染みつくだろうか、、


日本のハリーポッター好きが日常のワンシーンで「我が君」と言って
「ハリーポッター好き」を確認し合うように

英語圏のハリーポッター好きが「my Lord」を使い
ハリーポッター好きを確かめ合うのではないかとさえ思う。




じゃあ土岡って、、、英語圏の、、ギーク、、、、、、?




いや本当にどこで覚えたんだ「my lord」
気になりすぎる。

教えて欲しい、語彙の調達場所。


そんでぐんぴぃもなんで「王様とかみたいな」って分かったんだ?



土岡は、揶揄する際のお辞儀の仕方からして
ハリーポッターの映画を真似している可能性が高いように思えてきた。

それとも
ロードオブザリングか、、、、?



でも「my Lord」を聞いて
「いやヴォルデモートかよ」と言わない時点で

おそらく、ぐんぴぃは別の場所で「my Lord」を知ったはずである。



二人は、どこで語彙を仕入れてくるのだろう。
そして「これは相手に伝わる/伝わらない」って
どこで判断しているんだろう。

気になってしまう。非常に。



こんな私だって、割と
「これ伝わると思ったけど、ダメか」って事
日々の中で、多いのよ。


単に環境なんだろうか。


インプットは言わずもがな多いとして

あとは、会話をする相手や

環境が作用するんだろうか。




わかりやすい言葉選びも気を付けていますし

それは非常に大切な事であると思っていますが


やはり語彙力は付けたい、な

と改めて思った。

「感性を伸ばす」というテーマの本を読んで

「新たな表現方法を身につけるということは
新たな感覚を手に入れるということだ」


と書かれていたのが心に残っている。

これを読み、確かにそうだと思った。

「ヤバい」
「ウザい」
「キモい」
「無理」

のみを使ってかわされる会話も大好きだが

私の感情がこの4つだけになってしまっては、困ると思った。


表現方法を増やして

様々な感情の違いを楽しみたい。

せっかく1年、また1年と生を長らえているのだから。



年齢とともにせめて増えてほしい。語彙。

心情としては10年以上同じという事に焦っているのが大きい。




はい。

バキバキDTチャンネルで

語彙力の無さを痛感しているここ最近の自分が

より劣等感を感じ、ハンカチを噛んでいたという話でした。




伸ばすぜ、語彙力。





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