アンヌ

自分では気がつかないうちに頚椎と脳に腫瘍ができて大きくなっていました。 幸い摘出手術は…

アンヌ

自分では気がつかないうちに頚椎と脳に腫瘍ができて大きくなっていました。 幸い摘出手術は成功しましたが、また別の腫瘍が次々に見つかり、それぞれ対処したり経過観察しています。 そんなことも含めて、これまでに出会った人たちや、心に残る出来事を綴っていきたいと思います。

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目次 (頚椎腫瘍と脳腫瘍の入院記録)

入院以前のこと 腱鞘炎(入院以前のこと 1) 足のしびれ(入院以前のこと 2) 中井先生(入院以前のこと 3) 頚椎腫瘍(九段坂病院) 入院初日(頚椎腫瘍 1) 先生を脅した茅ヶ崎夫人(頚椎腫瘍 2) 脊髄造影(頚椎腫瘍 3) 脳腫瘍(頚椎腫瘍 4) 造影剤の副作用?(頚椎腫瘍 5) 手術(頚椎腫瘍 6) 回復室にて(頚椎腫瘍 7) 多発性神経線維腫(頚椎腫瘍 8) 仰向けに寝たまま食べるには(頚椎腫瘍 9) 元の病室へ(頚椎腫瘍 10) 首には傷が2つある?(頚椎腫瘍

    • 右目の奥の腫瘍について(退院後 1)

       右目の奥の腫瘍について、臼井先生に言われたこと。(当時の日記から)  2005年3月(入院中)  現時点では視神経に何の影響もないので、取らずにおく方がいい。  2005年10月  半年前は視神経に触っていなかったが、既に視神経を圧迫している。腫瘍が小さいうちに取った方がいい。  2006年3月(開頭手術から1年後)  ガラスボードにはさんだMRIの写真を眺めた臼井先生、 「何も変わりないよ。いいんじゃないの」 「え? まだ入院しなくていいんですか?」 「いいよ」  

      • 入院記録を書き終えて

         ここまで私の入院記録を読んでくださって、どうもありがとうございます。  九段坂病院に入院する以前の話から虎の門病院を退院するまでのことは、当時書いたものです。  滅多にないことを経験したので、記憶が薄れないうちに書いておこうと思い、退院後の2005年5月に書き始めました。  書いたものは、友人たちに読んでもらおうと、自分で立ち上げたホームページで公開しました。  その後ホームページ公開サービスが終了し、ネット上から消えてしまいましたが、データは使っていたiMacに残っ

        • 運命(脳腫瘍 24)

           退院2週間後の外来受診のとき、まだ入院している同室のメンバーに会いに元の病室へ寄った。  病室にはRさんしかいなかったが、椅子に座ってお喋りしていると、Sさんがご主人と一緒に戻ってきた。  Sさんは視神経の炎症で見えなくなっていたことがわかったそうで、炎症は治まったとのこと。  しかし、人が動く気配がほんのかすかにわかるようになったものの、依然として何も見えず、先生にはもうこれ以上回復しないと言い渡されてしまったという。  眼科に行っていたMさんは、1時間以上たってやっ

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        目次 (頚椎腫瘍と脳腫瘍の入院記録)

          報告(脳腫瘍 23)

           3月29日(火)、九段坂病院受診。  退院したらすぐさま花粉症の症状が出たので、マスクをして出掛けた。  虎の門病院で分けてもらったマスクは顔に密着して具合が良かったが、薬局で買った立体マスクは脇がスカスカで役に立たないので、セロテープで補修して使った。  だいぶ暖かくなっていたが、桜には少し早かった。お堀端の桜並木は翌週が見頃だろう。  九段坂病院を訪れる日は、いつも朝からなんとなく浮き浮きしている。中井先生に会えるのが嬉しい。  九段坂病院で同室だったSさん(退院後

          報告(脳腫瘍 23)

          退院(脳腫瘍 22)

           3月18日(金)、退院前日。  毎週火曜日と金曜日は脳外科部長の臼井先生の総回診がある。  そうとは知らず、朝食前には洗面所にコーヒーをいれに行ってしまうので、毎回臼井先生には会えなかった。  前の週になってようやく総回診のことに気がついたのに、この朝もうっかり8時半前に洗面所に行ってしまった。  8時から3回も見に行っているのに、給湯器のランプがなかなか緑色にならず、とうとう朝食のお盆が来てしまったが、コーヒーがなくては食べる気になれないので、準備中でもかまわずコーヒー

          退院(脳腫瘍 22)

          奇跡(脳腫瘍 21)

           退院して九段坂病院の外来を受診するときに持って行きたいので、臼井先生に頼んで首のMRIも撮ってもらおうと思っていたら、頼むまでもなく先生がちゃんと手配してくれて、脳と首の両方を撮られた。  午後、先生から呼び出しがかかった。 「アンヌさん、空洞が消えたよ」 「えっ?」  先生に言われてMRIを見ると、脊髄の真ん中にくっきり写っていた白い筋がなくなっていた。  いつの間に消えたんだろう?   そう言えば入院する少し前あたりから、親指と人さし指の間でお湯の温度も感じるし、

          奇跡(脳腫瘍 21)

          怒りっぽい患者(脳腫瘍 20)

           3月17日(木)、MRI。  リハビリは毎朝11時から始まり、1時間ほどかかる。  この日はリハビリの後で脳外科の外来受付に寄り、退院後の外来予約をした。  病室に戻ろうと7階のナースステーションの前を通りかかると、看護師さんからメモを渡された。 「アンヌさん、MRI、時間変更になったから」 「1時じゃないの?」 「時間が早まったの」  メモには12時45分必着でMRI室に来るようにと書かれていた。  病室に着くと12時15分だった。  もうじき昼食が運ばれてくるところ

          怒りっぽい患者(脳腫瘍 20)

          犯人はだれ?(脳腫瘍 19)

           Fさんが退院した後、隣のベッドに入って来たのはRさん。某名門女子高で英語を教えているそうで、春休みを利用して扁桃腺を取るのだという。  同時にどこか(鼻の奥の軟骨?)を削って鼻腔を広げる手術も受けるのだそうだ。  無呼吸症候群でいびきがひどいので、それを治すためとのこと。  Mさんや私の手術と比べたら危険度は低いかもしれないが、1度に2カ所も手術するのでは後が苦しいのではないかと思った。  Rさんが手術を受ける日の朝、病棟主治医が血管確保にやって来た。  血管確保というの

          犯人はだれ?(脳腫瘍 19)

          3点固定(脳腫瘍 18)

           リハビリが始まった日は手術から1週間目に当たり、抜糸することになっていた。  午後になってもなかなか先生が来ないので、今日は抜糸がないのかと思っていたら、夕方、ラジオでFMを聴いているところへY先生が現れた。 「今日はもうないのかと思ってました」  そう言うと、先生はぼそぼそと何か言ったが、私はよく聞こえなかった。  抜糸は麻酔薬を塗ったらしく手術の傷口は痛くなかったが、糸を抜いたところから血が垂れてきた。  自分では見えないが、タラ〜ッと血が流れ落ちる感触があった。

          3点固定(脳腫瘍 18)

          リハビリ(脳腫瘍 17)

           3月14日(月)、リハビリ開始。  頭に巻いていたタオルは取れたが、まだシャンプーできないので、髪の毛がくしゃくしゃになったまま固まっている。  みっともないので、入院前に買った帽子をかぶって地下のリハビリ室へ行った。  私は花粉症なので、病棟の外に行くときは必ずマスクをつける。  私の花粉症は重症で、鼻水だけでなく、鼻の奥から喉、口の中にかけて炎症が起きてしまう。  抗アレルギー剤を飲んでいても、舌が火傷したように真っ白になる。薬がなくては痛くてものを飲み込むこともでき

          リハビリ(脳腫瘍 17)

          幸せな朝(脳腫瘍 16)

           3月12日(土)、朝6時半に起きて顔を洗いに行き、ベッドに座って8階の自販機で買ってきた小岩井コーヒーを飲む。  ベッドの柵にふとんを掛けて背もたれにし、足を投げ出して目の前に広がる朝の風景を眺める。  眺めていても何の変化もないビル群。空の色だけが毎日わずかに変化する。  左手の造幣局のガラス屋根からは蒸気が上がっている。  一見温室のようなガラスの屋根は、一部が開いていて四六時中白い蒸気が出ている。  昼も夜も出続けている蒸気が何なのか、だれにもわからない。  のん

          幸せな朝(脳腫瘍 16)

          同室のメンバー(脳腫瘍 15)

           整形外科病棟だった前回の入院とは異なり、今回は脳外科病棟で、同室のメンバーは深刻な病気を抱えている人たちだった。  KさんとFさんは、ガン病棟が満員なので脳外科病棟に回されたようだった。  Kさんはいつも頭にバンダナをかぶっていたが、私は鈍感なので、Kさんの好みのファッションなのだろうぐらいに思っていた。  薬の副作用で髪の毛が抜けてしまったのだと分かったのは、別の病棟から入院友達が来て、かつらのことをいろいろ質問しているのを耳にしたときだった。 「ああ、そうだったのか」

          同室のメンバー(脳腫瘍 15)

          首が回らない(脳腫瘍 14)

           手術の翌々日には点滴もドレインもはずれたが、歩行器がなくては歩けなくなっていた。  手術前には明け方トイレに行くときは歩行器を使い、昼間は使ったり使わなかったりだった。  歩行器があると楽だが、なくても歩けたし階段も上がり下りできた。  それが、ほんの2、3日歩かなかっただけで弱い右足がまた動かなくなってしまい、地下の売店へ新聞を買いに行ったら足が崩れそうに疲れてしまった。  歩行器を使うと楽だが、階段を使えないので面倒なときもある。  8階の自販機へジュースを買いに行く

          首が回らない(脳腫瘍 14)

          お粥には梅干し(脳腫瘍 13)

           九段坂病院の食事は野菜中心で、肉より魚が多く、油物は滅多に出なかったが、虎の門病院では日に1度は肉料理が出たし、フライや天ぷらもよく出た。  私は肉料理はあまり好きではないのだが、太りたい一心で、ポークの脂身とチキンの皮以外は残さず食べていた。  味付けも上手でおいしいが、唯一お粥はまずかった。  九段坂病院のお粥はおいしかったが、ここのお粥は糊みたいで、もともとお粥の苦手な私は食べられなかった。  術後は3食全粥だと言われたが、1日で懲りて、普通のご飯に戻してくれるよ

          お粥には梅干し(脳腫瘍 13)

          耳のふた(脳腫瘍 12)

           3月10日(木)、眼科の診察の後、耳鼻科の外来にも行って診てもらった。  耳鼻科は若い女の先生で、中耳までは異常ないが、鼓膜の色が変わっていると言われた。  耳の奥に溜っている髄液については、 「そのうち抜けると思うけど」  とのこと。 「抜けなかったらどうするんですか?」 「鼓膜を切って膿を出します」  鼓膜の色が変わっているから、先生は化膿していると思ったのかもしれない。(言われたときには思い付かなかったが、消毒のイソジンが耳の中に垂れていたせいで、鼓膜が染まってし

          耳のふた(脳腫瘍 12)