貝多羅葉(ばいたらよう)

タイ仏教の法話翻訳や瞑想会、気が付いたことメモです。よろしくお願いします。

貝多羅葉(ばいたらよう)

タイ仏教の法話翻訳や瞑想会、気が付いたことメモです。よろしくお願いします。

マガジン

  • 個人的な話の入れ物です

    その時々で感じたこと、考えたことを脈略もなく綴ったものです。よかったら覗いてみてください。

  • タイ仏教のお経のページです

    タイ仏教のお経をテーマにしたまとめです。 お経はパーリ語で唱えられています

  • 業(カルマ)

    業 カルマ(Kamma)の話のまとめです

  • Freedom from suffering 苦からの自由

    Freedom from suffering 苦からの自由 ルアンポー・プラモート師

  • アナパナサティ(呼吸瞑想)

    アナパナサティ・呼吸瞑想関する記事をまとめました

最近の記事

修習(バワナー)にすぐに取り掛かる ルアンプー・プラモート師

時間を無駄にしてはいけません 人生は瞬間瞬間に過ぎ去り無くなっているのです 知っている人々は亡くなり また新しい顔ぶれに代わり 毎日の様に出会っていると 自分自身の生命があとどれくらい残っているのか 気に掛けなくなってしまいます ですから すぐに修習(バワナー)に取り組むのですよ 例え解脱に至らなかったとしても それを性格にするのです 性格とは慣れてきたことなのです 修業する事に慣れそれを性格にするのです もしも私達がサティ(感覚を感じること)に慣れ

    • 身体を知ることと心を知ることの違い ルアンプー・プラモート師

      身体を知る事と心を知ることは 知り方が少し違います 身体を知る時には 現在その瞬間の身体を知るのです 今この瞬間、腕を上げている 今この瞬間、首を回している 今、この瞬間、Now の身体を知るのです 一方 心を知る時には「バチュバン・サンタティ」だけを観ます 怒りが湧いたならばその瞬間の後「怒りが湧いた」と知る 欲が生じたならばその瞬間の後「欲が生じた」と知るのです ある人は 「ああ、それはヴィパッサナーではありませんね」と 「なぜならば、怒りが生じ

      • ササタ・ディッテイ ルアンプー・プラモート師

        ミッチャー・ディッテイ(邪見)の話をします 邪見を持った人は非常に沢山います 邪見の一つ目はササタ・ディッテイ*と言います それは 私達は死んだのならば 魂が身体から抜けていって そして同じその心が 新しい身体に住み込むいう感覚です それはあたかも ヤドカリが大きくなったら 小さな殻を捨てて より大きな殻を探しに行くような感覚です 私達は輪廻の事を 死んだのならば 身体だけが死に 心は死なない 心は永遠にあると思っています もう一つの邪見は

        • ダンマは素直な事です ルアンプー・プラモート師

          感覚を感じて下さい もしも感覚を感じられないのであれば 本当の法の実践は出来ないのです ある側面で法の実践といえば 座る瞑想であったり 歩く瞑想の事を指したりします これは型のある法の実践です 法の実践で重要な事は 心身を知る事にサティ(感じる感覚)があるかどうかなのです もしも座る瞑想をして ぼーっとしたり いらいらしたりすることで 心身の感覚を感じられないのであれば これは法の実践をしているとは言えないのです 歩く瞑想を行ったり来たりしても

        修習(バワナー)にすぐに取り掛かる ルアンプー・プラモート師

        マガジン

        • 個人的な話の入れ物です
          8本
        • タイ仏教のお経のページです
          9本
        • 業(カルマ)
          2本
        • Freedom from suffering 苦からの自由
          5本
        • アナパナサティ(呼吸瞑想)
          2本
        • 戒律 (シン)
          12本

        記事

          最も大きな徳(ブン)とは ルアンプー・プラモート師

          最も大きな徳(ブン)となること それは 布施でもなく 戒律でもなく サマーディ(定:集中)でもなく それは 智慧(パンニャー)です 布施をすること 戒を守る事 瞑想する事(サマーディ) これは 私達に幸せとなる元をもたらします しかし 智慧を高める事は 生を乗り越えることを可能にし 苦を乗り越えさせるのです 以前ルアンポーは皆さんにこう聞きましたね 「自分の心を図ってみて下さい 法の実践をする目的は 幸せを望んでいるのか 苦を乗り越える

          最も大きな徳(ブン)とは ルアンプー・プラモート師

          心を知る・身体を知る ルアンプー・プラモート師

          私達が修習(バワナー)する時 座り 心が飾り付けられるままにしておくだけではいけません サティにて 心と身体を知り 心を定め 心を中間に置き 真実の心と身体について知らなければなりません そのようになる心をそのまま知り そのようになる身体をそのまま知るのです それは 苦(ドゥッカ)を知り 苦諦(苦の原因)を洗い流すことなのです

          心を知る・身体を知る ルアンプー・プラモート師

          朝目覚めてから夜眠るまでが修習(バワナー) ルアンプー•プラモート師

          毎日 一生懸命に修習(バワナー)するのですよ 朝目覚めてから 戒と法(ダンマ)を実践するのです それは夜寝るまで実践し続けるのですよ 毎日毎日忙しくて修業する時間が無いと 愚痴は言わないのです 私たちは一日中修習(バワナー)することが出来るのです ひとつの学びがあります 近年ではこれはもう時代の変化で 使うことはできませんが 毎日8時間、10時間の仕事をしていますが 実際に頭を働かせて仕事をしているのは4時間半程度なのです 残りの時間は気が散っている

          朝目覚めてから夜眠るまでが修習(バワナー) ルアンプー•プラモート師

          幸せは前の方にあるもの ルアンプー•プラモート師

          人々は 幸せを探し求め 苦を嫌っているのです そしていつまでも苦から逃れようとしているのです そしていつも幸せを探し求めているのです 私たちが子供だった時 他の人は分かりませんが ルアンポーはこの様に感じていました それは「自由が無い」と 何かを買いたいと思った時 大人に頼まなければならなりません 買ってもらえることもあれば 買ってもらえないこともあります 何かをやりたいと思っても自由にできないのです 裏の家の木に登りたいと思っても登らせてくれない

          幸せは前の方にあるもの ルアンプー•プラモート師

          予流果の土台 ルアンプー•プラモート師

          ダンマには二つの段階があるのです まず初めのダンマは 誤った見解を洗い流さなければなりません それは 五蘊(ごうん)は私であるという見解です 特に洗い流さなければならない誤った見解は 心は私であるという観え方です 我々が執着する五蘊の中でもっとも高く 執着していることは心に執着することです そして 誤ったものの見方を洗い流したということは 預流果の土台になっているのです 心の執着を洗い流すことが出来たならば それは土台が阿羅漢になっているのです で

          予流果の土台 ルアンプー•プラモート師

          心を観る4つの段階 ルアンプー・プラモート師

          智慧を高める事です 原因と結果を観ることに 心を観る事には 4つあります 1つ目はこの心の状態はどうなっているのか 感情を知るのです 2つ目はその心の状態はどういう役割しているのか 3つ目はその状態の役割を果たした後どういう結果をもたらすのか 4つ目は何によってこの状態が生じたのか 最初の3つのことを観察するだけでは 心はまだ手放なさないのです 4つ目が観えた時、この状態が生じたのは何故なのか まだはっきりと心の状態が観えていないからです 4つ目まで

          心を観る4つの段階 ルアンプー・プラモート師

          サンニャー(想)は智慧の敵では無い ルアンプー•プラモート師

          ウィパッサナーを高める時 智慧を高める時 私達は「正しく知ろうとするサンニャー(想)」を持たなければなりません 正しく知ろうとすること それは 生じるものは アニッチャサンニャー*であり アニッチャン(無常)であると知ろうとするのです ドゥッカサンニャー ドゥッカ(苦)は圧迫され壊されてしまうものであると知ろうとすること アナッタサンニャー アナッター(自我が無いこと)であると知ろうとすること 知ろうとすることはそれぞれ一つ一つでも構わないのです ま

          サンニャー(想)は智慧の敵では無い ルアンプー•プラモート師

          危機に現れた天使 パイサーン師

          ある男性がいました その人は70歳でロメロという名でした 病気が重くなり昏睡状態になってしまったのです 入院し一カ月経とうとしていました 何をしても反応しなくなってしまったのです ロメロは一人で居ました 子供も一緒にはおらず 妻はもう亡くなっていたのでした しかし犬が一匹いたのでした この犬というのは 病気になる前から一緒にいたのでした ロメロが昏睡状態になったとき この犬が一緒にいました 病院はこの犬がロメロと一緒にいることを許したのでした おか

          危機に現れた天使 パイサーン師

          仏教徒の役割 ルアンプー・プラモート師

          ルアンポーは先生方に一日に何度も跪拝(きはい:頭を地面につけて礼をすること) をしていますよ 両親や先生方に向けて跪拝をしているのです 両親や先生方を敬って跪拝するのです そして 私たちの心は穏やかになるのです 毎日食事をする時 食事の観察をする他に ルアンポーはもう一つ観察をしています それは  これらの食事全ては ブッダを信望する人達によって 与えられたものであると これらの衣服(法衣)は ブッダを尊敬する人々によって 与えられたものであると

          仏教徒の役割 ルアンプー・プラモート師

          身体は自分のものでは無い ルアンプー・プラモート師

          身体は 自分ではありません 物質なのです まず初めに 両親の精子と卵子の細胞を半分づつ借りてきて そして 水と空気そして食べ物に頼っているのです これらは全てこの世界のものからなのです そして大きくなっていくのです ”それ”は誰のものなのでしょうか ”それ”はこの世界のものなのです ”それ”は”わたしのものでは無いのです ある人は豚を飼っています 豚にえさを与え 大きくなった時 その豚は誰の豚なのでしょうか それは”わたしの豚”なのです 世間

          身体は自分のものでは無い ルアンプー・プラモート師

          許しを請う 懺悔の経

          許しを請う 懺悔の経 กายะกัมมัง วะจีกัมมัง มะโนกัมมัง สัญจิจจะกัมมัง ガーヤ・ガンマン、ワチー・ガンマン、マノー・ガンマン、サンチッサ・ガンマン อะสัญจิจะกัมมัง ขะมันตุ เม อะโหสิกัมมัง ภะวะตุ เม アサンチッサ・ガンマン、カマントゥ・メー アホーシ・ガンマン、パワトゥメー 身体による業であれ 口から発せられた業であれ 心に依る業であれ わたくしが行なってしまい 相手に

          許しを請う 懺悔の経

          【ありがとうございました】タモ寺院、パットさんの回復状況

          こんにちは、昨年(2023年7月)タイのタモ寺院の寺男(お寺の修繕維持管理などを生業としている)であるPatさんの事故による医療費のご支援を皆さまにお願いしましたところ、沢山の法友の皆様から暖かいご支援の申し出を頂きました。 「一時は半身不随になるのではと心配でしたが、現在、自力歩行も充分にできるようになったので、あと数ヶ月で働けるようになるのでは、という状況」とご住職より伺っており「多くの日本人が賛同してくれたこともパットさんに伝えてあります」とのことです 皆さまの

          【ありがとうございました】タモ寺院、パットさんの回復状況