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「頑張り続ける自分に価値がある」という囚われ

みなさん、こんばんは。
久しぶりにnoteを更新します。

ここ数ヶ月、今まで以上に自分と向き合い対話をし新しい自分に少しずつ出会えているので
このタイミングでオープンマインドにnoteに綴りたくなりました。

自分のプライベートでの強い願望・それに伴いキャリアについて悩むことが増えたことが自己対話が進んだきっかけです。
自分をがんじがらめにしているものは一体何なのか。
この根底の原因と向き合わなければ、きっとこの先も何度も同じ壁にぶつかるようなそんな感覚になり、人生を豊かにするために必要な自己対話だと確信していました。

タイトルのように、振り返ると私は「頑張り続ける自分に価値がある」という考え方に囚われて生きてきました。

・何事も全力でやらないと気が済まない
・中途半端に取り組むことが苦手でやるからにはやりきりたい

こんな風に書くと聞こえがいいですが、
根っこには自信のなさからくる焦りが渦巻いていました。
「頑張り続ける自分に価値がある」の言葉の裏側には、「頑張れない自分には価値がない」という考えが潜んでいました。

自信のなさが根底にあるからこそ、頑張っていない人を見るとなぜか批判的な考えを持ってしまい「なんであの人は全力で努力しないんだろう?」「気楽にゆるっとやってていいなあ」なんてことを考えていました。
これは全て、良い意味でゆるりと、自分らしく生きている人への嫉妬や妬みでした。

ーなぜこういった考え方や生き方をするようになったのかー
ここ数ヶ月過去の自分と向き合ってきました。

深い対話で見えてきた自分自身のコンプレックス。
それは姉への強いあこがれとそれ伴う自分への劣等感でした。

私は昔から姉のことを尊敬しており、家族でありながら「この人はなんて性格がいいんだろう、人間的に素晴らしい姉だな」と思ってきました。
小島家の中ではいつもおしゃべり番長で、明るくムードメーカー的存在。
父も母も姉がいるといつも笑顔で、家がHAPPYになりました。

コンプレックスを抱くぐらいだから、「きっとお姉さんは頭も良くてスポーツも出来て人柄も良かったのね」と思われるかもしれませんが、姉は勉強も運動も全然できないタイプでした(笑)
勉強や運動という目に見える能力やスキルではなく、もっと深い「人としての深みや愛情」がある人で、もちろん私も含め周りの人たちが姉という存在に救われていました。
そんな姉をいつも近くで見ていて、強いあこがれを抱くとともに、「自分は姉のような存在にはなれない」とどこか思っていた気がします。

両親から姉と比べられたことは一度もないですし、「勉強しなさい」「頑張りなさい」と言われたこともほぼないので、他者からの言葉や関わりによってコンプレックスが生まれたわけではないと思います。
潜在的な自分の気持ちだったが故、今の今、この年になるまであまり気が付いていない思考でした。
周りがどうのではなく、私自身の姉への強いあこがれから来たんだろうなーと今の自分は分析中です。

そんな、存在自体が素敵な姉に、どうにか私も追いつきたくて。でもどうしたら追いつけるのかも分からず。
とにかく何事にも頑張って頑張って頑張ったら、私も人として素敵な存在になれるのではないかという気持ちが、囚われのスタートだったように思います。

そういう焦りの気持ちから、学生時代とにかく目の前のことを一生懸命頑張っていたら、周りが少しずつ承認してくれるようになりました。両親や祖父から「杏奈は何でも頑張ってえらいね」「努力家で素敵だね」と言われるたびに、自分のコンプレックスが癒され心から認められたような気持ちになっていたのだと思います。
年を重ねるごとに、私の中で「目の前のことに全力で向き合い続けること」での成功体験が積み重なっていきました。

そして何よりも「頑張っている自分」が好きでした。
そういう自分にだけは自分で称賛が送れたし、頑張れる自分を信用していました。

例えば資格取得を目指そうと決めたときは、「受からなかったらどうしよう」とはあまり考えません。誰に言われなくとも、手を抜かず納得するまで事前勉強をすることが自分では分かっているので、「自分なら大丈夫。やり切るよ」と確信していました。
こうやって自分を信じることは良いことだと思っていたし(今も悪いことだとは思っていないですが)そんな自分にこそ価値があると思っていました。

先程も書きましたが、その考えと同時に「頑張らない自分には価値がない」という考え方も根付いていたと思います。

だから、肩の力を抜いて少し休憩する
とか
たまにはゆるーっとだらーっと生きていったっていいじゃない
という考え方にはどうしてもなれなかったんです。

常に自分を高める努力をしていないと、周りから置いていかれるような焦りを持ち続け、
せかせかと何かから逃げるように頑張り続けていたように感じます。

冒頭で書いた通り、自分のプライベートでの願望と仕事を両立させようと思ったときに、どちらも120%では向き合えず、頑張りたいけど頑張れないという状況にぶつかりました。

複数人の方から、「もっと肩の力を抜いて、全力でどっちも両立しなくたっていいじゃない」と声をかけてもらうことがあり、ハッとしました。

そしてこの自己対話を進めて、今。
自分の知らなかった一面や囚われている価値観に気が付くことが出来ました。

そして心の底から「たまにはふっと力を抜いたっていいよね」という考えが受け入れられるようになりました。

「頑張り続ける自分に価値がある」という囚われを少しずつ手放していくと
周囲の人に対しての嫉妬や妬みがすーーーーっと消えていき、
「みんなそれぞれの形で自分らしく生きて行ったらいいよね」と心の底から思えるようになってきました。
マイナスの感情が少しずつ減っていき、心地よい気持ちでいられるようになりました。

もちろんまだまだ「もっともっと頑張らねば」と思うことはたくさんありますが
そういう感情がモチベーションの発火剤になることもあるので、自分の特性をうまく活用して、HAPPYに生きていきたいなと思っています。

こういった自己理解が進んだのも、周囲の人がおススメしてくれた本や、何よりも一緒に対話をし続けてくれた人たちのおかげです。

このnoteで数年前にポジティブ思考に関する記事を書いていましたが
振り返ると、無理したポジティブ思考で自分への理解はぜーんぜん浅かったなと思います。
また数年後の自分は、この投稿を見て同じように思うのかな。そしたらどんどん進化している自分に出会えてうれしいな。

自分を愛し、HAPPYに生きていく旅はまだまだ道半ば!

今日もみなさん、お疲れ様でした✨

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