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あ、やっと泣けたね

今日、私は、わらじ荘ではなく、函館駅前のホテルに泊まることにした。

帰りたくないわけじゃない。荘メンバーのことは大好きだ。特別何かあったわけじゃないけど、ホテルに泊まることにした。自分の何かが、そうしろと言った。

先日から、実は荘、卒業ラッシュを迎えている。この春から、何名か飛び立っていく。昨日は荘民の日で、みんなにそのことを伝えた人がいる。知らなかった人、少し聞いていた人、様々だったと思う。私は、みんなの卒業を聞いてから、とにかくとにかく、沢山、考えた。そう、感情じゃなくて、頭を動かした。より、「どうしたら、みんなが満足できる荘を作れるんだろう」と。とにかくとにかく考えた。だけど、別にみんなにヒアリングしても、荘がこうだったとかではなく、みんな前向きで、やりたいことが見つかった人、函館にしばらくいない人、別の場所に居場所ができた人。みんな別に満足できてない訳じゃないみたいだ。ただ、次のステップに向かうのだ。だからそんなに考えることじゃないはず。だけど、考えてしまう。「荘の機能ってなんだろう」とか「荘で何が学んだんだろう」とか。そうやって冷静に考える自分が気持ち悪く思えた。だけど、気がつかなかった。


先日、NHKのディレクターの大隈Dに「杏奈さんにとって「荘」ってなんですか?」と聞かれた。カメラは回っている。私は必死に説明した。「えーーっと、荘ってこう言う場所ですよね」と、でもDからは、「杏奈さん、もっと一言で!」と言われる。だけど、そんなこと言われても、と焦っていた。結局、答えは出なかった。そのあとわらじ荘民のすみえと、ささべ、Dとお話をした。「なんで私は『荘』のこと、こんなに客観的に見ているのだろう。最初はただの居場所だったはずなのに。」「そして、なんで自分はこんなに冷静に客観的に考えているんだろう。って、言うのさえ、また客観的にみようとしている自分を客観的にみている。メタメタメタ認知のツボにハマってた。笑

みんなに「私、なんか、みんな出ていくし、いや、学生だし当たり前なんだけど、さ、でもさ、みんないなくなってしまって、不安で、自分に自信がない。もっと安定が欲しくて、誰か一緒に頑張ってくれる人が欲しい。」と話した。

その時、純枝に「なんでいつも杏奈さんはないものねだりばっかりするんですか!!!今年の活動一生懸命やってから言いましょうよ!」と言われた。そう、現在純枝は現在図書館プロジェクトなどなどを一生懸命進めているのだ。なのに、私はそんな、純枝のチャレンジや、やりたい!を邪魔してしまったように思えた。申し訳ない気持ちで喚きたかった。そして、図星だったから、とても悔しかった。「すみえにそんなこと言われるなんて!」と思いながら、「すみえ、そんなこと言うようになったのか!」と言うプチ感動があった。

そのあと、すみえが寝てからもささべとDとの対話は進んだ。
ささべに、私は何が変わったかなと聞いてみた。

ささべから見て、一年前の私は何もできなかった。お金の管理も、日程調整や、細かいところも、熱意しかなかった。笑
ささべ的には、杏奈は去年よりできることが増えたようで、「よくやってるな」と褒めてくれた。何より、「『荘』の責任者である自分と、下沢杏奈を分けられるようになってきた。」ようで、自分でもそれは気づいている。

でも、それは悪く言えば、自分の感情をとにかく沢山押し殺してきたとも言いかえられる。

家に帰っても、自分は「荘」責任者だからと、めちゃくちゃ感情を出さないように特訓してきた。それが良いのか悪いのかをいいたいんじゃない。とにかく私はどんどん、自分の感情を押し通すことをやめていた。苦しくて、辛くて、「なんだ!もう!!めんどくせえ!!」と思っても、「ああああああ、もう嫌だ!!」と思っても、泣かなかった。休みたくても、誰かが遊びに来たり、誰かの相談に乗ったり、休もうとすればするほど、ただの休日をわらじ荘で送ろうと楽しもうとするけど、もう、暮らしと仕事(?)みたいなことが、一緒にこんがらがって、自分の感情が湧いてきても、クシャクシャ丸めて、みないフリをした。毎日毎日人との約束の時間ばかり設定して、もう自分の心に大丈夫か?なんて聞かなかった。

それから20時間経って、さっき、私は、ホテルにきて、鏡の前にたった。自分でもびっくりするほど、顔が笑っていた。多分、辛いはずなのに、苦しいはずなのに、私の顔は笑おうと口が引きつっていた。そして、頬がやつれていた。確かにLINE家計簿を毎月つけているのだが、今月のエンゲル指数は著しく低下していた。野菜食べようと思っても私にとっては、本当に難しいのだ。そんな自分の顔を見て、その時、私は泣いた。久しぶりに訳もわからず、ただただただただ、涙が出た。顔がクシャクシャになった。鏡でみるその顔が面白くて、笑えた。

なんのために荘をやっているのか、なんのために教育の団体を立ち上げようとしているのか(まだ未公開ですが、話が一つ進んでいます)なんのため、誰のため、なんでなんだ。そうやって、何かゴールを理論的に求めようとして、自分を追い詰めていたけれど、「荘」は私にとって、私の居場所を作りたくて作った場所だった。だから人が減るのは寂しいでそれはそれで寂しくなればいいのだ。理論とか説明とかそう言う物じゃないのだ。そうだ。そうなのだ。だけど、人が増えれば増えるほど、ルールを作らなきゃいけなくて、コンセプトを見直さなきゃいけなくなった。私にとってはその作業が辛かった、だけど職場に寝泊りする感覚で、朝も昼も夜も荘のことばかり考えざるを得ない環境だった。自分で選んだんだけど、やってみると、辛くて。「甘えてんじゃない!」と思うだろうけど、本当に正直言って、辛いのだ。いや、正確に言えば、辛かったんだ。辛かったことなんて、気がつかない。だけどささべとDと話していて、どんどんネガティブな話をする自分と、鏡に映る自分を見て、気づいてしまった。とにかく自分が自分であることがどんどん出来にくくなっていた。

それは紛れもなく、荘のせいではない。誰のせいでもない。自分のせいなのだ。だから、私は今一度自分と向き合った。どうしたいのか。今までの自分は、ここでやめるを選ぶ。だけど、感情を含めて私は「逃げたくない」「頑張りたい」と言っている。ここまできて、逃げれば楽になるのは、わかる。だけどここを、腹を据えて、ここで頑張りたいと決めた自分にとって、ここで逃げたくないのだ。私は、ここを心地の良い場所にもう一度していこうと努力したい。そしたら、もう少し、みんなの前で、自分の感情を出していこうと思う。みんなには直接言っていこうと思う!とか言わないから、note読んでおいてくれると嬉しい。ずっと隠して、押し込めていた感情を出さないと言うのが苦しかった自分。もう、自分の感情を押し殺すと言う選択肢しかないのは嫌だ。とは言っても、「荘」の代表・責任者として頑張りたい自分がいる。実はここまで読んでくださった皆様にこっそりお話しすると、私はそのちょうどいい塩梅のため5月に「荘」の暮らしを終えて、近くにアパートを借りて住もうと思っている。それは、感情を押し殺してと言う訳ではなく、多分「荘」でやりたいことと、「荘以外」でやりたいことのちょうど良いを見つける旅に出る。うん、それがまた、ダメだったら、それはそれで「荘」に戻ろう。

とにもかくにも、今日、私は見事に泣けたから、明日の鏡の中の自分の顔は昨日より、少しだけ澄んでいるだろう。また、ダメになったら、その都度、泣けばいいんだ。

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