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わらじ荘を愛してくれているみんなへ

2019年から4年間続けてきた【わらじ荘】というプロジェクトを、2025年の3月に旧野口梅吉商店を拠点として行うことを終了します。
 そして、今後、道南エリア一体に、もっともっともっと表現と対話の場所を生み出していきます!旧野口梅吉商店の活用は別途、別団体もしくは企業と連携を行い、リニューアル運営していきます。そんなことを今から書きます!!

旧野口梅吉商店での「わらじ荘」ってドウイウコト?

旧野口梅吉商店と、わらじ荘は、同じじゃないの?
そう思った方はたくさんいるかなと思うので、説明させていただくと、我々の活動【わらじ荘】は、あくまでもプロジェクトの名前です。それはソフト面であり、ハード面(旧野口梅吉商店のこと)ではなかったということです。『わらじ荘』は旧野口梅吉商店と【わらじ荘】どっちも入ってます。

※この文章を読むにあたって、下記の図を参考にしてください

旧野口梅吉商店+【わらじ荘】=『わらじ荘』と記述します。


【わらじ荘】という活動を定義するなら、「自分たちのやりたいことをとことん地域で表現すること、そしてやりながら自分や仲間と対話して自分と向き合う時間のこと」をいいます。
この【わらじ荘】という活動を始めたのは、ひょんなことからでした。
『わらじ荘』の始まりは、教育大函館校に通い大学四年生の10月に古民家を貸してもらったことから始まります。

同じ大学の後輩(のちの荘民)と一緒に渡島振興局の木づかいプロジェクトの合宿に参加し、その帰りの車の中で、旧野口梅吉商店を大家さんから貸していただくことになりました。「学生」という肩書だけじゃなくて二足のわらじを履こうという意味を込めて、『わらじ荘』として発足しました。そんな私たちの活動は、どんどん拡大していき、みなも荘、きらく荘ができました。
たった4人から始まった『わらじ荘』には年間50名くらいの大学生が出入りしていて、みんな悩んでました。どうやって生きたらいいのか、親とどうしたらいいのか、やりたいことはやれないのか、この社会はどうしてこんなに悲しいのか。しかし、みんなで衣食住を共にする中で、見えてきた希望の声もありました。

初期荘民!

「こんな風にいきたい、こうありたい」

自分と向き合う時間、そして、自分の表現を生み出す時間。

その時、私たちの中で、【わらじ荘】が(ある程度)体系化されました。表現と対話をいききすることで生まれる社会と私の在り方、交わり方。そこに学びがありました。

懐かし〜〜!目標とか未来とか語り合ったなああ

でも、旧野口梅吉商店に遊びにくる「将来にもやもやしている/未来や地域に希望を持つことができない高校生~大学生全員へ【わらじ荘】を届けることができず、もどかしい想いをすることもありました学校での机の学びもいいけれど、社会での生の経験を通した学びに、本当の生きた学びがあるのではないかとふつふつと湧き上がってきました。
そこでもっと活動を広めるべく、私は函館で教育活動をしたい5人と一緒に2021年に一般社団法人いとのこを立ち上げました。現在3期目。道南エリア一体の社会教育、地域への問題に対して向き合い活動しているところです。その一般社団法人にて【わらじ荘】はポータブル(携帯)され、学校や地域で転用されています。そう、私の今は、旧野口梅吉商店での【わらじ荘】という活動を起点としているのです。
本日まで『わらじ荘』に関わってくださった関係者の皆様へ、本当に本当に感謝しています。チャランポランな大学生だった私に、チャンスを与えてくださったことに、心から、感謝の気持ちでいっっっぱいです。もう少し、頑張りたいので、更なる発展を応援していただけると嬉しいです。

現在のポータブル【わらじ荘】を運営する「一般社団法人いとのこ」の話

そんな一般社団法人いとのこという団体は、行政や企業と手を組み、道南の中高大学生の学びの場づくりから、学校での授業を行っています。そこからやってるぞー!と挑戦する学生活動の裏でちょこちょこ専門的な知識や実績を持つ人を紹介したり、壁打ちの壁になったりしています。Gスクエアでは「みちどこ」という日常の中での学びの場をつくっていたり、高校ではオリジナル「探究授業」をつくっていたり、函館市内の5つの大学/高専が所属して地域活動を行う「ISARIBI with」のコミュニティをつくったり、あらゆる、道南の高大学生向けの教育の場を作っています。このすべてが【わらじ荘】の進化版です。


ISARIBI with の大学生の活動

いとのこで、3年弱「道南の中高大学生の未来のために。そして新たな挑戦が生まれやすい函館を目指して」活動していました。
今後も、さらにレベルアップした「法人」として、より多くの挑戦と大きなうねりをつくり、巻き込み、道南だけでなく全国に活動を広げていきたいと思っています。

※いとのこについては、別で上半期中には2023年度のまとめをアップする予定ですします。どんなことしてるのか、詳しくはそちらを見てください。

2025年3月15-16日に、同荘会をします。

わらじ荘に住んでいた人、関わってくれた人、応援してくれた人、一緒に作ってくれた人、数えきれないくらいの人がいます。そんなみんなを一挙に集めて、大!同荘会をします。荘民に登壇してもらってセッションしたり、社会的にどんな意味があったのかとかパネル出してもらったり、パフォーマンスしてもらおうと思っています!!!楽しみすぎる!!!最後なのに最高のお祭りにしちゃおうと思います!ぜったい開けておいてな!!!!!

全員集合やぞ!!!!!

今年一年の話

これまで函館に影響を与えたり、期待もしてもらった(させたし、)がっかりされたり、喜ばれたり、楽しかったり辛かったり。この場所で生まれたものも得たことも沢山あります。1年かけて、精一杯、けじめをつけたいと思っています。この1年で感謝を伝え、引き継ぐことは引継ぎ、自分たちの次の活動に持っていくことは持っていきます。具体的なことは次のnoteで説明します。そして、旧野口梅吉商店の2025年度からの活用計画のための時間として使ったり、実験したりします。乞うご期待してください!!!

一緒に運営してきた かこより

ついにわたしも荘、卒業です!
4年間、沢山の人が関わり、卒業していきました。新しい場所で頑張っていること、次のステージに進んでる様子、見てます。私もついに卒業し、次のスタートを切りたいと思います。
2020年9月19日、函館に残ります宣言をした日がありました。
この時は、函館に残ってまで荘をやろうという人はいない、大人も「函館は昔はよかった」が口癖。悔しかったな~。いい活動なのに、就職をしないで荘を一緒につくる人はいなかったし、色んな活動をしても、昔はよかった話ばかり。なんだか肩身が狭かった。悔しくて、このまま黙って卒業できるもんかと思った。昔話ばっかで誰も動かないなら、私が最高の場所にしようと、つい宣言してしまったあの日。函館を夢と希望がある場所にしたかった。というか、最低の町に暮らしてると思いたくなかった。

あれから3年半、今の函館は最高の町になる兆しであふれてるなと思う。今から色んなことが始まりそうで、明るくなりそうで、なんだかわくわくする、分からないけど、予感。函館のみなさん、そう思いますよね?笑

「私たち次に進みませんか?」そんな気持ちで、「荘をおわりにしませんか?」と伝えた2023年9月14日、私たちまだまだやってやりましょうねという決意表明の日でもある。函館でまた、新しい挑戦を始める。

私にとって大切で大好きなこの場所を、1年かけて杏奈さんと、みんなと、ゆっくり閉じていきます。(荘民のみなんさん、巻き込まれてください。笑)
この活動を誰かに引き継いだり、譲ったり、任せたり、私たちにはできなかった。
なのに、もう1年頑張ってみたくて、ちゃんと終わりたくて、1年もらいました。
来年の3月まで荘をよろしくお願いいたします!

わらじ荘で生活していたスミエより

食べる、寝る、お出かけするそんな日々に「生活の中で他人・近くの人と関わる」というルーティーンが始まった、大学2年生。

生活する人が増える分、摩擦も増えたし
関係する人の輪が広がる分、心の底から煮えたぎるわくわくみたいなものも増えた気がする。

わらじ荘で生活することで、自分以外の人と関わる感覚、自分とは違う生活を歩んできた人がいるという実感、お互いの得意と不得意を補い合えばハッピーだということ。
色々感じとりました。
あとは、旧野口梅吉商店の雰囲気がとても素敵なことすてきなこと。
古民家ならではの濃い色の少し傷ついた床に差し込む陽
畳と障子の炬燵のある部屋でみんなで鍋をしたり、時にはプチ運動会をしたり、真剣に打ち合わせしたり、イベントを開いたり。

わらじ荘を出て2年が経ち、記憶は結構美化されているけど、ついさっきまでそこに暮らしていたんじゃないかな〜と思う、帰りたくなるお家です(でした)。
わらじ荘で出会った仲間とは地球のどこかでまた会える気がするから、寂しくはないカナ! 


代表 下沢杏奈より

たくさんたくさん泣きました!苦しかったし、つらかった!どれだけこの建物が憎らしく思ったでしょう。
荘民のみんな、私たち、寒かったけど大切なカケラをたくさん見つけたよね。どうしてもやりたかった、わたしのこだわりが出てたあの場所や時間があったよね。迷惑やわがままをたくさんかけてごめんね。あれからみんな元気ですか?私は、まだ函館でやってます。だからみんな3月に帰ってきてね。抱き合おうね。おもろいことしようね。まだまだやれるよ、私たちは。
だって、わらじのせいで、函館にいる。と思っていたところから、今は、わらじのおかげで函館にいられる。になってきたよ。みにきて、このまちの今を。
わらじ荘に関わってくれた大人の方々、大変おせわになりました。想いしかない大学生だったわたしを育ててくれてありがとうございます。いろんな人に当初と変わらず、感謝しかないです。言いたいことは、ひとつだけ、わらじが終わっても、わたしは函館にいます。まだまだ変えたいことや、みたい景色があります。だから、一緒に肩を組ませてください。私の取り組みは、まだまだ終わらないので。今年一年、わらじ荘を一緒にたたむことをお手伝いしていただければと思います。


いただいたものは、全て大切なひとに、そしてまちに、使わせていただきます。