anmtgallery / 石橋実乃生

写真逍遥記。写真とはエフェメラルな約束と予感であり、一枚の長い手紙を書き続けることであ…

anmtgallery / 石橋実乃生

写真逍遥記。写真とはエフェメラルな約束と予感であり、一枚の長い手紙を書き続けることである。 また疑似ギャラリーとして写真に限らず様々な作品を見ていく。 (運営:石橋実乃生) twitter & Instaglam : @anmtgallery / @ishibashi_minoh

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

石橋実乃生とはだれか

こんにちは。anmtgalleryです。 さて、疑似ギャラリーである当プロジェクト運営の「石橋実乃生」について特に何の説明もなくここまで来てしまいましたが、さすがにそれでは何かと不都合ですのでご紹介します。 石橋実乃生(いしばし・みのお) ご察しのとおり阪急の駅名である「石橋」と「箕面」に由来。 駅名にちなんだ人名といえば伊丹十三氏(しかも「伊丹」も「十三」も阪急の駅名ではないか!)を思い出すが、残念ながら?伊丹氏の場合駅名由来でなく、もともと「伊丹一三(小林一三にちなんで

    • ハトが寄る

      駅前広場で人を出迎えるようにハトがいる。 公園で並んで歩いてくるハトがいる。 電線で道行く人にエールを送るでもないハトがいる。 やはりハトほど街の風景がこれほど似合う存在はない。 これだけ多いとありがたみが薄れるかもしれないが、それでも平和の象徴である。 ハトに限らず鳥をテーマにしていることが多いので鳥シリーズというのを作ってもいいかもしれない。 思えば前回はカラスをピックアップしていた。 鳥たちはまたエフェメラル ハトはいかにも何かを考えているように見える。 時々

      • 明るさがあるから

        ふとした明るさに心を奪われる。 光の変化で情景が変わる。 印象的なシーンを「光景」というのは示唆的である。 次の瞬間にはまた印象が変わる、まさに #エフェメラギャラリー のテーマにふさわしい。 そこにやってきた始まりの光 光に射抜かれる瞬間、撮ることへのインスピレーションが加速する 現前にある光の滲みを熟読するように目をやる 酩酊しているのに冴えている 流体としての光 夕暮れの光のもとで撮る一枚が好きだ

        • 鴉の語らい

          街で撮る鳥といえばハトであるが、カラスも同じくらい、いやそれ以上に存在感がある。 漆黒はやはり目をひき、濡れた羽には得も言われぬ艶がある。 時に我々に近すぎるのか、それが形容しがたい恐怖や嫌悪に靡くこともあるが、それは街のシーンで確固たる存在があることの裏返しでもあろう。 カラスもまた #エフェメラギャラリー を通り過ぎていく。 様々な鳥たちがいる風景 ハトはオリーブを見つけたが、カラスも何かを見つけて帰ってくるだろう。 歩いていく。そう、飛ぶのでなく歩くのである。

        • 固定された記事

        石橋実乃生とはだれか

        マガジン

        • anmtgalleryの写真を使っていただきました
          326本
        • 出展の記録
          4本
        • 概念としての阪急沿線
          34本

        記事

          本を広げて

          また今日も本を読んでいる。 しっかり読み込むとなるとまさに本の世界と対峙することになるので思った以上に体力勝負でもある。だからこそ本を読み切った後の爽快感は何事にも代えがたい。自分だけでは到達できない世界を回り、普段できない経験を味わったのと同じだから当然であろう。 本と我々との時間で #エフェメラギャラリー 読み始めるまで迷いがあれど、読み始めると止まらない 時間はたっぷりある、ゆっくり本の時間にしよう まだまだ続く、読むのを止められない 季節の声にも耳を傾ける

          まだ見ぬ桜を探し

          桜を探し歩き続ける さくらイロ展2週目がスタート 展示詳細はこちら 今年もいろいろな場所で誰かが桜をめで、桜のシーンを写真に残してきた。それらを追体験しながら今年の桜を振り返り、来年の桜を投影する。今年の桜は今年で終わるわけではない。 桜にまつわるシーンで再び #エフェメラギャラリー ただ花が咲いているだけでなく、その空気感、気配、佇まいといったものを含めたものが桜のある風景といえよう 思い出は来年への期待でもある 風の中で散るものもあれば、積層していくものもあ

          【出展情報★4/24~】さくらエフェメラル

          花の色に 桜の花に高揚する時期が今年も過ぎてゆく。 毎年同じことだが、全く同じものを見ているわけではない。 変わらないものの中に変わるものがある、風景もそうだし心情もまたそうである。そんな中で撮る写真には何が浮かび上がってくるだろう。 心情そのものが写るわけではないが、相互作用であるので目の前の風景をただ転写しているわけではない。 桜を通して我々は何を考えているのだろう。 例えばこんな感じで出展したい?(写真はイメージです) 写真展に協賛の #エフェメラギャラリー 風に

          【出展情報★4/24~】さくらエフェメラル

          季節の中で思い出す

          さくらエフェメラル 期間でいえば2週間くらいであろうが、なんとも濃密な時間である。 またこの季節がやってきてさまざまなことを思い出しながら過ごしてゆく。 忘れかけていた感触を辿っていく。 桜をめぐる #エフェメラギャラリー 今年も桜の季節がやってきた お茶にしましょう 海の向こうへ 白きを見れば 撮ることで思い出すことがある まるで夢のようで

          季節の中で思い出す

          鳥を撮りゆく

          鳥はどこにでもいる。 羽へのあこがれは捨てがたい。 鳥の世界はまだまだ広く、未知の旅が続く。 花があれば鳥が来る 贈り物 並びながら何を考えるか 木の実を拾い物思いにふける ハトが歩く ハトが並ぶ どこでも鳥はいて、そこから何かが始まる

          【出展情報★4/3~】移ろい、映ろい

          映るものは移るもの 写真はつまるところ虚構である。 しかし虚構に決してネガティブな意味はない。 うつりこむ向こう側の世界、そんな虚構を軸に物語は成立する。 例えばこんな感じで出展したい?(写真はイメージです) 写真展に協賛の #エフェメラギャラリー どちらも私であり私でない 一人は二人で二人は一人 水面は今日も風景を溶かし込む 窓を挟んで時空が交差する あちらの世界はどうだろう 信じるものはありますか

          【出展情報★4/3~】移ろい、映ろい

          エフェメラルな序章

          また季節が進む。 いよいよ桜の季節が目前。 長くても二週間くらいだが、始まる前から高揚感が止まらない。 終わればすべてがエフェメラルであるが、エフェメラルであるからこそ目の前に広がる光景をどれだけ捉えることができるか。 桜の季節こそ #エフェメラギャラリー がふさわしい。 日差しが明らかに変わってくる、この時期ならではの高揚感 潤む風、雨が終われば花の季節は近い 気配はやはりそうである、今から準備をしよう 気が付けばもう春である 自然と明るくなる 新しい季節に新し

          エフェメラルな序章

          花の季節は近い

          春分の日。 春の気配がそこにありつつ、寒さが戻りつつ、それでも着実に季節は進んでいく。季節にかかわらず花は咲いているが、やはり春の訪れは花の季節の感を強くする。 どんな花の色に、何を見ているのか。 思うことがあるから花を生ける。 花を探して歩く、人は花を求めているというより花に生かされているのか。 咲く花を思いながら #エフェメラギャラリー 花を生ける、そして今日も生きる 思い出しながら そこにある花に気づくか、気づいたところに花がある 生きるそばに花がある 祈り

          並んでいる

          並んで見る景色。 お互いに見ているものについて語る。 同じものを見ているとは限らないのが面白い。 道のりを並んでいくのもよい。 少しばかり遠い道も共に行けば楽しい。 二人並ぶ #エフェメラギャラリー 自然と同じ動きをしている 見えている 闇の底で思惟する やわらかい日差しに誘われて 二人の思い出を残す 猫のいる風景 自分のことは自分が知らない 同じ夢を見る ちいかわパラダイス

          【出展情報★3/6~】光画の光景

          時間を切り取り光を掬い取る小さな部屋での出来事。 名残の太陽。 写真は太陽などの光があるから撮れる、ということは「名残の太陽」とは写真そのものを指すのかもしれない。 煌めく陽光、染み入る月光、彩る照明…写真を撮るために我々は光を追いかけているようである。 しかしある意味光に撮らされているようでもある。移ろう光がいざなう、降り注ぐ光があれば影が浮かび上がる、明暗のあわいが写真になる。 思えばそこに見える景色のことを「光景」というのも示唆的である。印象的なシーンには光が欠かせ

          【出展情報★3/6~】光画の光景

          今日も猫の日

          見知らぬ街で猫を見かけたとき。 いつもの道も猫の通り道だと知ったとき。 店先の招き猫にふと心ひかれたとき。 2月22日は語呂合わせで猫の日だが、猫と出会い猫と語らう日はいつでも猫の日であろう。 猫のいる #エフェメラギャラリー 猫は寝子である 好きな場所を探す探求心 猫が集う、何かを察知している。 許されないわけがない 陽光を浴びて素早く、猫の動きが光に滲む 思いがけないコミュニケーション さて何を撮ろうか 何かを聞いてほしい

          いつの間にか猫とともに

          2月22日は猫の日。 語呂合わせの一種なのでだからといって何かあるわけではないが、猫が近くにいるのは何かとうれしいものである。 猫を囲む、あるいは猫に囲まれる #エフェメラギャラリー 生きることは選択の連続 思索の道をゆく 道の途中に 放浪は続く 生きざま そこにいる存在感に救われる 壁に向かいそして去っていく 猫が箱を選ぶのかもしれないし、箱が猫を呼び寄せるのかもしれない 何もない中に何かがいる 思っている以上に成長している、みな変わりゆく中にある。

          いつの間にか猫とともに