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老人の消えた街4(完)

(3000字あります)

≪前回までの老人≫ ----- back number : ep.1 / ep.2 / ep.3
「子供の頃に食べた果物をもう一度食べたい」
 その一心で家を出た老人。しかしVR検索中に予期せぬ襲撃を受けた。からくも窮地を脱し、そのはずみで記憶を取り戻す。
 果物の名は柿。老人はなぜ記憶が飛んでいたのかを不審がる。

 30分の制限時間はまだ残っているのに、VR検索は機能を停止した。仕方なく私はヘッドセットを外す。
「調べものは見つかったのか?」
 女が声をかけてきた。老人保護施設から来たエージェント。AIには拒否されてしまったが、この人は私の質問に答えてくれるだろうか。
「すみません、果物の柿を知っていますか?」
「カ……キ? すまないが、その果物の名前を聞いたことがない」
 警戒するような女の返事に、私は言葉を失った。
 相手も当然知っているはずだ、という前提が壊れていく。
「どうした、大丈夫か」
「保護施設では、柿を食べられますか?」
「果物の、カキ……と言ったか。50年以上前のレガシィ、つまりオレの知らない過去の遺物なら無理だ」
「日本古来の食べ物を知らないって、本当に?」
「過去を知る者にとっては残念なことだな」
 嘘を言っているようには聞こえなかった。
「過去は、消え去ってしまったんでしょうか」
「日本はもとより世界各国で同様のことが起きたと言われている。近場さんが気に病むことじゃない」
 恐らく、と言うか絶対に、保護施設へ行けば柿は食べられない。
 私はここで冒険を終えたくなかった。
「なら、やっぱり、施設へは行けません」
「となれば、実力行使しかないようだな……ッ」

 エージェントはベッドからするりと離れた。低い姿勢から蹴りを繰り出すつもりだ。私はとっさに倒れこみながら相手へと覆いかぶさり、腕を取って脇固めに移った。彼女は見事な体さばきで手を振りほどくや、体勢を入れ替えてマウントを試みる。その重心の浮き上がりを捉えて私はブリッジを仕掛け、両者の体が離れるに任せた。
 お互い跳ね起き、片膝を立てて臨戦の構えを取る。私の呼吸がすっかり上がった一方で、相手は冷静そのものに見えた。
「まさか、護身の合気が自然と生ずるほどに脳が回復してきたと言うのか」
「そう、その、ようです……」
 相対した彼女の目が、信じられない、と言わんばかりに見開かれた。
「ただ、体の方が、まだ、追いつき、ませんが……」
「近場さん、あんた記憶を取り戻したのか?」
「ええ、今なら、明確にあの味を思い出せます。柿の色も、形も」
「そこまでこだわり続ける果物、オレも気になってきた。特徴を教えてくれたら、何か手掛かりを伝えられるかも知れないが」
 彼女の瞳は興味の色を浮かべていた。その声音から、警戒が消えているように感じる。
 私は目を瞑り、柿をつぶさに思い描いた。
「橙色をした秋の名物で、はしりは10月、食べ頃は11月。私の場合、実の尻に黒い輪が幾重も浮かんだら食べ頃だと教えられました。固いのを好む人もいれば、ぐずぐずに熟すのを待つ人もいる。固ければ歯触りがよく、柔らかいならジュッと溶けるように甘い。それでいて種の周りはツルッとしている。柿の名は百目柿」
「なるほど、おもしろい。だがまったく知らない」
「あとはそう、熟柿はアリがたかるし、大抵トリがつついて駄目にしてしまうんだ」
「興味深いな。オレはそんな風に果物が実っている木を見たことがない」
「ああ、時代の変化ですね」
「残念だ」
 彼女の声には憐れみがあった。天然の果実を知らないことに。
 あるいは、私の目的が達せられないであろうことへの予見に。

「私は柿を探しに行きたい。放っておいてくれませんか」
「確かに近場さんは溌剌すぎて、ウチの施設で管理可能かどうか」
 彼女は意外にも微苦笑した。こうした曖昧な反応を私は知っている気がする。ある種の立場を生業とする人の、リスクヘッジというか処世術。面倒を背負いこんで問題に窮すか、面倒自体をなかったことにするかという天秤。
 戦意を消して立つ彼女に合わせ、私も臨戦の気構えを解いた。
「私はこの通り元気ですよ。徘徊者ではありません」
「そうだな、記憶を取り戻した者は放免が認可される。オレはもう連行を強制することができない」
 そのぞんざいな口調に、私はいささか驚いた。
「いいのかね?」
「オレの属する保護施設は、電極で感情の起伏を抑制するだけだからな」
「電極で、抑制……」
「過去に意識が向かないようには促せる。しかし記憶抹消は許されていない」
「記憶を、消せるんですか?」
「それは別組織の役割だ。オレは詳しくない」
「ああ、管轄違い、というやつですね」
「記憶抹消局は、コミュニケーションに積極的ではないとだけ言っておこう」
 秘密警察のようなものだろうか。背骨に怖気が走ったとき、彼女は不気味な笑みを浮かべた。
「オレは手を引くが、他部署の追っ手までは責任を持てないからな」
「はい」
「おとなしく施設に入った方が良かったと、後でオレを怨んでくれるなよ」
「別に構いません。あの実を食べずにいるなら、何もしないでいるなら……」
「死んだ方がマシか?」
「いえ、できる事をしておきたい気持ちなんです」

「最後に教えてくれ。どうやって封じられた記憶を取り戻せた?」
「この傷」私は彼女が手当てしてくれた腕を見た。
「ジュクジュクした傷口の橙色の感じが、その、連想を誘ったもので」
 彼女は片眉を上げて渋柿を食べたような顔をした。
「ああ、すみません。この件はあまり想像しない方が良いでしょうね」
「いや、大丈夫、訊いたのはこちらだ」
「あと、シルバーパワーというあなたの言葉。昔取った杵柄が、確かに私にはあった。自分が知らないことを知っている自分に気づいたんです。不思議ですね」
「それじゃオレの襲撃が、かえって近場さんの踏み台になってしまったわけか」
「怪我から始まったものの、功名もあったという所です」
 包帯の巻かれた腕を見せる。彼女は注意深げに軽くうなずいた。
 私の認知失調症状はいずれ彼女のことも、血の滲む包帯も忘れさせてしまうだろう。そうなる前に、先に進みたい。次の一歩を、なんとかして踏み出したい。
 感傷を振り払うように彼女に一礼。私は机の上の果物ナイフを手に取り、ホルスターに納めた。
 部屋のドアに向かう背中に彼女の声。
「近場さん、あんたにはガッツがある。幸運を祈っている」
───ガッツあるぜ。
 これも昔聞いた戦友の言葉だ。腹の底からフツフツとやる気が出てくる。
 私は彼女に敬礼した。
 部屋を出る。
 ドアの閉まる音を後方に聞きながら、廊下を足早に歩いた。


 船舶組合ビルを出たとき、暗くなりかかっていた。横浜港の明かりが灯り、汽笛が尾を引いた。
 捕まる前に、柿を食べたい。
 動け。
 かつて日本が焦土になったと言っても、自生の柿が全滅したとは思えない。世界の危機から50年が経っている。必ずどこかで芽吹いているはずだ。
 動けッ!
 あるいは、最悪、種子センターかどこかで種を手に入れて……確か、桃栗三年柿八年。その間に、さきほど聞いた秘密警察に追われるかも知れない。
 私の心は揺れた。しかし同時に、湧き立ってくる強い響きが胸の内にあった。
 鼓舞するように一喝する。

「それがどうした!!」

 自分の胸を励ます言霊はこれだと確信した。

(おわり)


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