見出し画像

はじめまして!自己肯定感ゼロのHSS型HSP+ACスナックママの人生ブログ 

こんにちは!スナックのママをしてますあんこです。


波瀾万丈、谷あり谷あり谷しかない、結構、複雑で壮絶で、悲しくて悔しくて、大胆で派手で、繊細なお話しのブログです(苦笑)

私が苦しんだり悩んだり乗り越えたりしてきたこと…
これらを中心に書いていくので、共感してくださる方に読んで頂けたら幸いです。

  • HSPで生き辛い

  • 親からの虐待

  • 自己肯定感ゼロ

  • アダルトチルドレン(AC)

  • 夫の浮気

  • シングルマザー

  • 愛人生活

  • 複数回の結婚離婚

  • DV夫

  • アスペルガー夫

  • カサンドラ症候群

  • 夫のサラ金

  • 発達障害の子供を育てる

  • 超未熟児を出産

  • うつ病

  • レス宣告 夫婦関係破綻

  • スナックの経営

  • 小料理屋の経営

  • こども食堂の運営

  • スピリチュアルなこと

このブログは、1年後にきっと躍進してハッピーになってるはずの“未来の自分”にあてて書いています。
ずっと苦労してきた自分を見返して抱きしめたり褒めてあげたりできる時がきっと来ると思って。


♡まずは自己紹介♡

プロフィールにもありますが改めて軽く自己紹介させていただきますね。
軽〜くなのですが、これだけでもとてもヘビーな波瀾万丈なので、ひとつの物語みたいですから楽しんでいただけると思います(笑)

「泣き顔を撮りたかったから叩いて泣かせた写真」だそうです(-。-;
  • 昭和44年生まれ。54歳女。
    福岡生まれ千葉育ち。

  • 父親は一部上場建設会社。
    母親は専業主婦。

  • IQ137。

  • 幼少期から両親による虐待、主に心理的虐待を20歳まで受け続ける。

  • 友達と遊ぶのも帰宅時間も見るテレビも極端な制限があった。

  • 全国トップレベルの有名私立高校に行く。

  • お弁当は作ってもらえなかった上に月のお小遣いが1200円だったため、地元有名テーマパークでアルバイトする。

  • 常に成績上位だったが、「好きな道なんかに進まれてたまるか!」「幸せになられてたまるか!」という理由で大学進学は禁止される。
    ただ、親の指定した専門学校に進学。

  • 親がコネで地元有名テーマパーク会社に私の就職を決める。

  • 就職して一年足らずの20歳の時に妊娠し、中絶を勧められるが「これで親元を出れる」と思い、結婚(1回目.A男)し、21歳で娘を出産をする

  • 夫A男はすぐに浮気をし、生後5か月の娘を取られ、離婚

  • 母乳が出る身体で必死で仕事を見つけて1人で生活を始めるが、女が生後11ヶ月の時に娘を引き取り母子家庭生活が始まる。
    (同年代はジュリアナ東京で踊ってる時代)

  • 娘が3歳のときA男と復縁

  • また離婚

  • B男と再婚。パチンコ狂+DV

  • 息子を出産。発達障害。

  • 夫のパチンコ代で生活苦のためスナックでアルバイト。

  • DV夫に我慢してなくてもホステスで生計が立てられるとわかり離婚。二度目の母子家庭生活。

  • ホステスをしながら、ある方の愛人になり生活を援助してもらうが、その方の愛人1号2号が乗り込んできて破綻。

  • デートすらしたことがないC男(公務員)とデキ婚。87歳の義父、私の連れ子2人、夫との生活が始まる。そして次女を早産(824g)で出産

  • 未熟児の出産や義父との同居、環境の激変で不安定な上、C男とコミュニケーションが取れないことでうつ病になる

  • C男は公務員なのに家を建てるためローンを組もうとしたら組めず、800万のサラ金があり踏み倒しもあることがわかり私はパニックになるが夫はノー天気。さらにサラ金を借り続ける。

  • 夫はアスペルガーだとわかる。そしてカサンドラ症候群で苦しむ。

  • 結婚当時から私に無関心な夫。何度も頼み込むも8回目でレス宣告&外でどうぞ宣告される。私当時36歳。

  • うつ病中に離婚。うつ病が治り復縁

  • 子育てをしながら借金返済のためスナックに戻る。

  • 49歳で自分のスナックを経営する。しかしオープン8ヶ月でコロナ緊急事態宣言

  • YouTubeやオンラインスナックなどコロナ禍を乗り切るために色々挑戦する。

  • 水商売の全国ミスコンで準優勝する。

  • 2店舗目として小料理屋を出店する。

  • こども食堂を始める。


自己肯定感ゼロ!

いや〜(^◇^;)、書いてて自分でイヤになりました。ひどいなこりゃ。

でも一つ一つ、その時は必死だった。
そして、こうなった一番の根底にある原因は、両親からの虐待により、私の自己肯定感がゼロだったこと。

「笑うな」「喋るな」「気持ち悪い」「触るな」「ブス!」などの暴言の他、「お前に好きと言われた友達は迷惑じゃ!」「ナニ、鏡なんか見とんねん?色気ついとんのか?」など自尊心を殺される。
好きな男の子がいることがバレた日には、テーブルの上に立たされてその子を好きですと大声で言わされ、両親はゲラゲラ笑う。そしてごめんなさいと大声で言わされる。
何かを見て嬉しそうにしたらソレを捨てられる。
学校で使う教材もみんなと同じものは買ってもらえない。
修学旅行や林間学校も床に擦り付けて「土下座で行かせてくださいお願いしますと言え!」。
テレビも遊ぶのも禁止。
風邪をひいたら迷惑かけやがってと怒られる。
もちろんいろいろ殴られる。。。

自分に自信を持つなんて、ほど遠く、自分は迷惑レベルのブスで、誰かを好きになるのは相手に迷惑で、恋愛感情を持ったら申し訳ないことで、自分の希望や好きな事を言ってはいけないし、それが心の中にあることさえ悟られてはいけなくて、自分で決める権利なんかなくて拒否する権利もなくて。

そんな子供時代を過ごしてきたため、自己肯定感なんてゼロ!てか、マイナス!

そんなやつが、愛なんてわかるわけないし、愛し方も愛され方も知るわけないし。幸せになりたいとすら思った事がなかった。だって幸せって見た事ないから。
大学に行かせてもらえなかった時、周りには「親のせいにしないで自分でアルバイトしながらでも行けばいいのに」と言われもしたけど、「大学に行きたい」と心に思うこともビクビクだったし、恐る恐る言ってみたものの「なにが大学行きたいじゃ!お前ナニ様か?」と。
超進学校だし、私は成績良かったので、先生たちは私に大学に行かせたくて「お前の人生だぞ。親の言いなりでいいのか?」と何度も言ってくれたけど、それを親に言った時、「なにをー⁉︎私の人生だと⁉︎お前に人生なんかないんじゃ!ボケ‼︎
「何のために大学行くんじゃ?大学行って、いい就職して、幸せにでもなろうと言うのか?ふざけんな!お前に幸せになられてたまるか!」とのことでした。

今思うと、虐待で自己肯定感ゼロだったとしても、せめて大学に行っていれば、環境もあって少しはもっとマシなルートで人生歩けたんじゃないかなぁ。と、思う。
頭が悪いならいいんだけど、私、頭がいいのよ(笑)なので、この頭で大学行かず幸せにならないように歩くの、なかなか適応できなかったなあ。


こんな私が、50歳でやっと「幸せ」ってこれかな?って少しわかって、今は、「本当の幸せ」に向かって努力してるんです。
幸せ探し、自分探しを54歳になって頑張ってます。

みんなの幸せさがしのヒントになればいいな。

明日から少しずつ、色んな場面を埋めていきます♪

またねー♡



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?