見出し画像

これは無料記事です。

私は数年前からソーシャルメディアでの振る舞いを大きく転換させました。草創期からのインターネットが担ってきた役割そのものが変わったからです。インフォメーション・デバイドのポイントは「触れる情報の選択」ですが、しばらく前にある知らない人から「あなたの政治的な発言は間違っています。有料の部分は読んでませんけど」と言われたことがあります。これは「書店で数ページ立ち読みしたが、この本はけしからん」と怒るようなものです。

それに対する否定的な気持ちはありません。「ああ、この人は書店の店頭で立ち読みをして得た情報で、誰彼構わずに文句を言うのが娯楽なのだな」と思うだけです(立ち読みで最後まで読み切ってしまうのも窃盗と同じで、経営が厳しいと言われている書店にも利益をもたらさない行動です)。つまり無料で流れている情報は『大事なことは書いていませんよ』というスタンプがすでに押されていると考えたほうがいいかもしれません。

TwitterやFacebook、Instagramなどで流れている情報を読む作業は全体のグルーヴを知るためには必要ですが、そこに重要な答えはありません。有料マガジンをいくつか作っている私がここで無料記事として書いているのは「インフォメーション・デバイドとは、入場料を払わずに中の世界を想像しようとする意識から生まれている」ことを理解して欲しいからです。ここを有料にしたら読まないでしょうから。

たとえば、病院に行って診察してもらう、美容院に行って髪を切ってもらう。それになぜ料金を払っているかと言えば、免許を持っている人の技術を借りるからです。それを都合よく無視したい人は、無料で診察して欲しい、無料で髪を切って欲しいという要求をしています。さらに言えば、無料で診察はできませんと言う医師に「あれは金の亡者であり、藪医者である」と糾弾しているようなものですから、言われたほうはウンザリするでしょう。

医師や弁護士や美容師は、その場のノリで仕事を始めたのでしょうか。違います。何年間も専門技術を勉強してきた人々です。最近は何かを教える人であっても「2時間のセミナーで2回学びました」くらいで平然と先生を始めます。とても恐ろしいですが、そういったインスタントな指導者がはびこること、その人を先生(メンターなどと呼ぶ場合すらある)と信用する人も増えています。誰が4時間だけセミナーを受けた人に腹部の手術や頭部のカットをしてもらいたいでしょうか。

厳しい言葉で言えば、それらは「学んだつもりの趣味」であると言えます。世の中のどんな技術であっても数時間の講座を聞いただけでできるようになるものなどはひとつもありません。「今日はいい話を聞いた。私は学んだ」という娯楽としてならいいと思いますが、それを根拠に他人の健康に関わろうとしたら、もう暴力です。何かを体系的に学んだことがなく、免許や資格を取ったことがない人は、数時間では何もできないことを知りません。学んだ土壌がない人にとっては数時間のセミナーや勉強会で「学びを得た」などと思うのでしょうが、それは大きな勘違いです。

ソーシャルメディアにはそういった人々が大量の「私見」を並べていますから、それらの中から信頼に値するものを選ぶ能力を育てるところから始めなくてはいけません。


多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。