見出し画像

インパクト投資:PDLB

みずからの職業が、世界とどうリンクしているか。それは企業や企業人の社会的な存在と関係してくる。

LVMHグループは「Dior」などの化粧品・香水工場で、医療現場で不足している消毒液を生産し、フランス保険省から公立病院に無償で提供することを決めた。「GIORGIO ARMANI」は2億4000万円をイタリアの医療機関に寄付するとともに、国内全工場で医療用防護服の製造を開始すると発表した。

企業の社会貢献は、彼らの経済活動がもたらす「負の側面」への罪滅ぼしであるとの批評もある。しかしここで重要なのは、実際に消毒液や使い捨ての防護服が不足しているという緊急事態に対して、自社の生産ラインが協力できるのではないか、というアイデアを発想し具体化できる企業論理にある。

日本でメセナやフィランソロピーに関わる多くの社会貢献は「ブーム」と呼ばれた。経済的な余力があったバブル期に、余った資産で何かに支援すること、と定義されていたわけだ。

その出発点を「キリスト教的な博愛主義の土壌にある」とステレオタイプに言ってしまうことは簡単だが、その前に社会貢献を多面的に考えてこなかった企業スタンダードにも問題がある。

これだけの社会的な危機を前に、日本の経営者が(個人としても)どういったコーポレート・ステートメントを出しているか。あまり多くは聞かない。反対に言えば、沈黙すべき事態であると思っているか、危機的環境が株価にもたらす影響を火事場泥棒のように観察しているのかもしれない。

フィランソロピーの考え方では、インパクト投資は社会的な成果をあげつつ財務的リターンをもたらすから、「趣味的な慈善事業ではない」という株主への大義名分が成り立ち、博愛主義の土壌がない日本型の企業の受けはいい。

画像1

「グローバルな経済活動をする企業には原罪があるのだ」という一点においては確かにキリスト教的な倫理があるのだろうが、我々アジアにも儒教や仏教の考え方があることを忘れてはいけない。それらが持つ「仁」や「慈愛」といった根本思想についてはここで説明する必要もないだろう。

あらわれ方の違いは、資本流動の仕方の違いに依存するかもしれない。欧米経済システムから生まれた社会貢献のあり方を単なるキーワードとして輸入し直訳したことによって、アジア的な価値観が否定もしくは無価値化された。つまり本来であれば、世界的な社会貢献をする企業のリーダーシップは近年発展著しいアジア諸国が持っていてもおかしくないはずなのだ。

青い鳥は、昔から家にいた。

ヨーロッパのLVMHやGIORGIO ARMANIが打ち出した緊急事態への企業対応の出発点は、日本の企業と何が違うのか。

ここから先は

621字

PDLB

¥5,400 / 月

PDLBについて。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。