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『地球を31周』その3:Anizine

3回目にどこに行ったのかは忘れてしましましたが、今までに一番多く訪れた都市がParisです。いつも聞かれるのはなぜ「Paris」と表記するのかですが、それは別にスカしているわけではなく、関西風に言うと「いきってる」わけでもなく、スマホなどの画面で見たときに「バリ島」と読み間違えないようにするためです。パリ、バリ。ほら、老眼の皆さんには判別しづらいでしょう。痒くなりそうな場所にあらかじめ手が届くのがサービス業の仕事というものです。

初めてパリ(もうわかってるからカタカナ)に行ったのは1991年頃で、まだフランが使われていました。二度目のヨーロッパです。ヨーロッパ初体験はデザインの賞をいただいて連れて行ってもらったロンドンでした。仕事などの目的で行って気に入った場所を二度目は遊びで訪れるという習慣はいまだに続いています。このときはパリからロンドンに行ってまたパリに戻る予定でした。前後してしまったロンドンについてはまた書きますが、まだユーロスターがありませんからフェリーでドーバー海峡を渡りました。このとき直面したのが「サマータイムの壁」でした。ロンドンからパリに戻る日がたまたまサマータイムに切り替わるタイミングで、船の出航時間を一時間間違えていたのです。乗り遅れることはなかったのでセーフでしたが、日本とは違う常識の存在に触れた瞬間でした。

今は大阪よりはるかに多い頻度で訪れるパリですが、最初に行ったときどこを見て回ったのかをあまり憶えていません。泊まったホテルくらいはもちろん憶えています。ルーブルの目の前、ヴォルテールあたりで今でもそこを通るたびあのときの気持ちが甦ります。どんな街でも最初の瞬間は忘れないものです。空港からパリの市街に向かうとき、大雨が降っていました。タクシーの窓から外を見ることさえできないくらいの豪雨です。セーヌ川沿いのホテルにびしょ濡れで飛び込むという最悪なパリとの初対面でしたが、しばらくすると部屋の中に聞こえてくる雨の音が消えた気がしました。夜の7時くらいだったでしょうか。外を散歩してみようとロビーを出ました。雨に濡れた真っ黒い舗道に無数の黄色い電灯が映り込み、セーヌ川を挟んだルーブル美術館がライトアップされていました。後にも先にも、美しい風景を観て涙が出たのはこのときだけです。パリが我々を歓迎してくれていると感じました。

それからは遊びや仕事を含め、数えてはいませんが30回以上は行っているかなと思って記録を調べてみると、JALで確認できるだけで「41回」でした。パリは前回のNYと比較すると充電期間に差があります。おかしな喩えですが、「その街に行きたい気持ちがどれくらい我慢できるか」というバッテリーの持ち時間が違うのです。NYは街が持つエネルギーが大きすぎて、行っている間はもちろんエキサイティングで楽しいんですが、帰ってくると「しばらく行かなくてもいいかな」と、気持ちがフル充電されてしまうのです。バッテリーパークに行かなくても充電されます。あのバッテリーは「砲台」だから関係ないのです。それがパリの場合は帰りの飛行機の中ですでに次に行く予定を考え始めてしまう。それくらいの電力の差があるのです。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。