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パリス・ヒルトン側:Anizine

みんな、たいした人生なんか送っていない。大谷翔平や井上尚弥みたいに、その一挙手一投足がニュースになることもない。でもそれぞれかけがえのない「たったひとつの人生」には意味があると思って暮らしていることには、価値がある。

さて、自分のたいしたことのない人生を大切にしながら日々を生きる、という大前提を理解した上で。そこにスケベ根性というか、うまくいけばちょっとだけ「盛ろう」という気持ちが生まれることがある。インスタで友だちと名のあるイタリアンに行った写真はアップするけど、前日夜の自宅での卵かけご飯は載せない、のような。365日すべての食事を載せているなら公平だけど、そこには「他人に見せていいモノかどうか」「他人からどう見られるか」という気持ちのバイアスが働いている。

大したことのない自分の人生を少しでもパリス・ヒルトン側に寄せようとする自意識に、観察している側は涙する。全然寄ってないことばかり目につくからだ。それらは日常の行動だけではなく、いかに自分は知識があるか、他人より優れているか、を匂わせる行動にもつながっていく。最初の「価値はないかもしれないけど、かけがえのない自分の人生」という謙虚な立場をカジュアルに逸脱してしまうのだ。

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Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。