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一次情報だけを:PDLB(無料記事)

ウクライナとロシアの話を多くの人がしています。それぞれが訳知り顔で言うのですが、誰ひとりとして軍の機密情報にアクセスできる人はいません。でもなぜか語りたがります。戦争などの出来事には「個人の感情」を言うことだけが許されていると私は考えています。それは何ら事態を好転させるものではありませんが、一般市民とはそういうものです。もちろん政治的な集会に行く、署名するなどは市民としての大切な意思表示の行動でしょうが、根拠のないゴシップ的な推測には意味がないということです。

個人の感情、というのが価値のないものだと受け取られることがあります。それはあなたの感情から発したことであって、国際政治のバランスを客観的に言っていることにはならない、と言われたりします。しかし聞いている相手も機密情報を持っていない限り立場は同じです。どこからか集めた聞きかじりの情報をつなぎ合わせても結論は出ませんし、いくら金庫の構造や細部に詳しくても、解錠するための番号を知らないことにかわりはないのです。

個人が知りうる情報には限りがありますが、機密になればなるほど鍵が強固になるのは当然です。秘密を管理する人は、その番号を知る人が誰であるかを把握しておく必要があるので「友だちの友だちから聞いた」なんていう情報はまったく重要ではないことがわかります。

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直接、個人に与えられる情報にだけ価値があります。たとえば北海道は寒いという情報は誰でも知っていますが、現地に住んでいる人や何度も行ったことがある人の話と、ただネットで最低気温を調べただけの人が存在します。私たちは何度も行ったことがある人や住んでいる人から情報を得ようとしますが、なぜかネットで検索しただけの人も議論に参加したがるのです。情報は「一次情報」でないと価値がないというのを知らない人々と言えます。

「PDLB」では、外国の経済・経済などの記事のリンクは貼りません。それは私がソースの正しさを判断できないからです。誰でも一度は伝言ゲームというのをやったことがあると思いますが、情報がいかに不正確に伝わっていくかを知るには最適な実験です。中継点はバイアスをどんどん足していき、聞こえたことではなく、自分が聞きたかったことにズレていきます。

画家や音楽家、スポーツ選手などのドキュメンタリー映画を観るのが好きなんですが、たとえ編集で映画監督の意図が足されていたとしても、画面の中で本人が発言していることは完全な一次情報だからです。それだけを信じるようにすると他の雑音を無意味な情報として遮断できるようになります。私は何か興味があるものに触れたときには、可能な限り「重要な当事者」から話を聞くことにしています。その人から聞いたことは私の中では一次情報ですが、こういう場に書いてしまうと二次情報になります。

今度、ある人と話す予定があるんですが、話を聞いた私の感想は、「私という受け手が手に入れる一次情報」ですから、まあまあ少しは源流に近いのではないかと思っています。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。