見出し画像

謙虚さは副産物:PDLB

私は数十人のデザイン会社、数人のデザイン会社、100人のデザインプロダクションという小規模な三つの会社(デザイン会社などはおよそそれくらいだが)を経て、それからはずっとフリーランスとして一人で仕事をしてきた。たとえ数千億円の年商があるクライアントと仕事をしていても、内部で仕事をしたことがない私には、大きな会社で働くことの実感が持てない。

昨日、友人である野田さんと食事をしていて、ふと知りたいと思ったのが、「大事にしているもの」のことだった。

国内外の巨大企業を中枢で動かしてきた経験を持つ野田さんの答えは、「やはり、謙虚さですかね」だった。

そして、「もしかして、謙虚さを忘れていた時期があったかもしれない」という苦い反省の経験までも教えてくれた。しかしそこに気づかないと本当の謙虚さにたどり着かないことは私も知っている。何もないところから突然「謙虚さ」が生まることはないからだ。

それは、遙か上にいる人と接して、自分がいかに無知であったかを思い知らされる敗北体験から立ち直るときの副産物なのだと感じる。

画像1

「自分がいかに何も知らないか、を知るのが勉強の始まりである」というのは、この写真に写っている丘の上で哲学者が話していた頃からすでにわかっていた事実だ。それから人間は何も進化していないか、もしくはネットで何かを探す程度のことで得られる「表層的な万能感」を身につけたことで退化しているかもしれない。

無知という広大な荒野に落ちている一冊の本を読んだり、砂漠にある一軒のレストランに行った経験だけで、世界のすべてを知ったように語る。

恐ろしいのは、その知識を披露する人には、誰も「あなたは無知である」と教えてくれないことだ。なぜかと言えば、教える側に回りたい人は自分より能力の低い人を相手に商売をしているからで、それが前回書いた「味音痴で繁盛するレストラン」という比喩。

ここから先は

531字

PDLB

¥5,400 / 月

PDLBについて。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。