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外科医と同じように手術する:PDLB

芸能人の政治的発言などに端を発した「知らない人は言ったらいけないのか」という問題。

誰でも自分の意見を言うことは、民主主義のひとつの権利として認められている。それは大前提だが、発言がどう受け取られるかには基準があり「その発言が価値あるモノとして存在しているか」は、また別の問題。

ネットの世界には誰でも平等に発信ができるという幸福と、フェイクニュースのように破壊的な発信が生む不幸が同じ場所に並んでいる。だから言うな、と発言に物怖じすることを強いているわけではなく、最低限必要なのは「フェイク」でないことだけ。

「国家資格を持たない者は、外科医と同じように手術することはできない」

なぜこれくらいのことがわからないのか、疑問に思うことがある。「私はわからないが、それは違うと思う」という発言の自由は認めるが、簡単に言ってしまえば発言の基盤を認められていない人の感情だけの言葉は無価値だ。

これは、私がデザインしたカレンダーの一部分。デザインを職業にしている人なら、ここに「埋め込まれたこと」に気づくと思う。

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いくらウサイン・ボルトの伝記を読んでも競技場に観に行って彼のファンになっても、あなたは昨日より少しも足が速くなってはいないし、100mを10秒以内で走ることはできない。

素人の外科医にお腹をメスで切られるのがいかに危ないことかは全員には説明しない。だから「このカレンダーのデザインが何を表しているかがわかるか」は、ある意味でのテストだ。デザインにおいての外科医の資格があれば簡単にわかるけど、わからないならそれでいい。答えは最後に書いておく。

デザインは(素人にもわかる)情緒的な部分も含んでいるが、根本には科学的な技術が使われている。それを踏まえていない事例にいちいち指摘も糾弾もしないが、街で見かければ外科医の免許を持っていない人が作ったモノはすぐにわかる。大切なのは「腹を切り開かれている患者がそれで治ったと思って満足している」という一点のみで、その人が医師免許を持った医師に会ったことがなく、問題が解決したと思っているならそれでいいのだと思う。

あなたが美味しそうなオレンジジュースのパッケージをデザインするとしたら、さて、どんなビジュアルを使うだろう。真っ二つに切られたオレンジの写真だろうか。わからなければどんなことを考えても言ってもいいが、それを言った途端に起こる悲劇をこれから書いておく。

「PDLB」の購読メンバーになったことでそれらを初めて知るのだとしたら、明日からあなたもニセ医者の言葉に騙されることはなくなるはずだと思う。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。