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さて、船に乗りましょうか:PDLB

ソーシャルメディアは我々がこどもの頃にはありませんでした。ですから、ほとんどの人が長くても20年か30年くらいのキャリアしかない幼い文化だということです。そこでの振る舞いやビジネスはまだまだ皆が試行錯誤をしている状態で、言い換えれば条件は誰でもほぼ同じ。アーリーアダプターと言われる「新しいものには何でも飛びつく好奇心のある人々」がビジネスの武器にしてきたわけです。

そこに乗り遅れた人はどんな思考回路だったのでしょうか。まずは否定から入りました。「あんなものは役に立たない」とか「一過性のものだ」とか言って。いつの世も、理解できない新しいものには拒否反応があるんですが、これこそまったく意味のない『防御の論理』です。様子を見ているうちに状況は変化していく。うまくいかなければ後で降りてもいいのですから、取りあえずは船に乗ってみることです。

いくら港で他人を批評していても、航海している船の中でどんなことが起きているかはわかりません。そして船が座礁したり沈没したニュースを耳にしたときにだけ、彼らは「ほらみろ」「乗らなくてよかった」と言うのです。当然のことながら優雅な船旅を無事に楽しんでいる数よりも、船が事故を起こす確率が圧倒的に低いことは明白です。何かの失敗を恐れて冒険に出ない人々が港の食堂でネガティブなニュースを拾っては「我々は船に乗らなくてよかったなあ」と言い合うのです。

ソーシャルメディアは、港で井戸端会議をしているだけのように見えますが、そうではありません。Twitterのサブスクリプション、Facebookのグループなど、Youtuberやオンラインサロンだけではなく、あらゆる場所でマネタイズができるようになっています。そういう意味では、もう無自覚のまま私たちは何かしらの船に乗っているのです。

私はnoteで4つの定期購読マガジンをやっていますが、それまで20年以上、(毎日htmlで書いた日記をftpへアップしていた頃から)テキストを垂れ流してきました。もちろん無料で、です。「インターネットは善意の集合知であり、誰もが無料で情報を受け取れる」という考え方が創生期から数年前まで主流でしたから、広告モデルは旧態依然の、「ユーザーが無料でサービスを使える代わりに見たくもない広告が貼り付けられているもの」でした。再生数に応じた収益のYoutubeなどのメディアもそれです。

しかし、誰もがNetflixなどのサブスクライブ・サービスを利用するようになり、有料のコンテンツを手に入れるという快適なスタイルに徐々に馴染んでいきます。オンラインサロンやクラウドファンディングでわかったことは、質のいい情報を受け取ることや、クローズドなコミュニティへの参加権を手に入れるためには無料ではダメなのだという考えで、それは本当に亀の歩みで浸透していきました。

ゲートシティとしての領域が増えていくことで、内側と外側の間にインフォメーション・デバイドという断絶が生まれています。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。