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活字になること:PDLB

ほんの数十年前まで、自分の意見を社会に発表できる人は限られていました。小説家も映画監督も評論家もそうですが、選ばれたごく一握りの人だけが世の中に向けて発言していて、一般人の言葉が新聞や雑誌などに載ることを「活字になった」と仰々しく表現していました。それが今はネットで誰もが発言できます。活字という概念は消えてなくなり、パソコンのテキストはスーパーの広告でも、森鴎外の過去の著作でも、ペット自慢のおばちゃんの日記でも、同じフォントでブラウザに表示されています。

それが「表現の民主化」であるかと言えば、そうとも言えない気がします。投書した意見が採用されて新聞に載ったら昔は自慢げに大騒ぎしたものですが、それは世の中に広く意見が伝わった、という勘違いの産物です。本来なら選び抜かれた言論を仕事にしている人と同じ場所に立ったのだという勘違いで、それが今はネットに蔓延しています。

新聞や雑誌やテレビの情報が数百万の人に届くのは「読者からのお便り:栃木県 山田健一さん(56)自営業」の意見が読みたいからではありません。マスコミが提示するパッケージを受け取っているうえでついてくる、コンテンツのほんの一部です。それと有識者が意見を求められることや小説家の連載小説が載ることとは違います。不思議に思うのは普段からテレビ番組やCMを作っている人が、たまたま番組の画面の端っこに写るとうれしそうにすることです。「情熱大陸が取材に来たんだけど、私の後ろ姿が写ってた!」などと喜ぶのです。

そうか、テレビで流れるコンテンツを作っていても、やはりみんなそこに自分が写ることには価値を感じているんだな、と思うのです。悪い言葉で言えばミーハー根性でしょう。「ヤマダさんちの次男坊、テレビに出たんだってな」「へえ、スゴいな」みたいなやつです。

そこで大前提の話です。

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