見出し画像

最高級の卵かけご飯:PDLB

よく言われますし当たり前のことなんですが、何かを売る人は、同時に「買う人」でもあります。売る方法を間違えないために大切なのは、買っているときの自分を鏡で冷静に見つめることです。私はなぜそれが欲しいと思ったのか、そちらは欲しくならなかったのか、が正確にわかっていれば自分が売る側に立ったときに役に立ちます。

以前、ミラノのヴィットリオ・エマヌエーレのガレリアにあるPRADAに行ったときのことです。日本人を含めたアジア人観光客が店内に大勢いて、ワゴンに並んだ小物を買い漁っていました。大声で騒ぐ観光客に「これだけ買って、あなたたちはすぐに帰って欲しい」と言わんばかりなのが、店員の態度からも明らかでした。もちろんそれらのヨーロッパブランドが売上の多くをアジア人に頼っているのは明白なのですが、あの差別的な視線は同じアジア人として気分のいいものではありませんでした。

ここ数日で、お金持ちのお金の使い方、という話題が違う人から何度も出ました。本当のお金持ちは、無駄なものや見栄のためのものを買わない、という結論でした。自分の財力で無理せずに買える上質なものをブランドの名前や情報に惑わされずに自分の目で判断して買い、それを長い間使う、さらに子供にも受け継ぐから結果的に安いものを次々に買っては捨てていく人と比較すると「贅沢」ではないということです。

ヨーロッパの中流階級以上の人を見ると、目立ったブランドロゴの入ったものを身につけている人を見かけません。大きなロゴ入りの服やバッグを身につけているのはアジアからやって来た観光客だけです。そこにはブランドが持つ思想も、自分に似合うかどうかも関係なく、ただ高級である(と聞いたことがある)品物を買える自分、をアピールしているだけです。

先日のPDLBランチの会のとき、参加してくれた伊藤さんは「意識的にこういう体験をする時間を作らないといけないと再確認した」と言っていました。優秀なシェフが作る厳選された食材を使った食事を、会話をしながら時間をかけて楽しむ。そういったことで生まれる気持ちの動きは、自分が何かを発信するとき、調味料として必ず反映されるものだと思います。

それらの体験は何も立派なフレンチである必要はなく、存在と価値のバランスの問題です。いいお米を炊いていい卵をかけると、コストが1000円で「最高級の卵かけご飯」ができあがるでしょう。しかしお寿司が1000円の場合は、上質な食材を吟味し、能力のある料理人が作ったものと比べると確実にコストダウンをしたものになっています。精神的な満足度とそれにかかるコストが関係した消費行動の難しさはここにあるんですが、「自分はお寿司を食べたという満足感を、それほど美味しいと感動するでもなく受け取っているのではないか」と鏡を見ながら考える必要があるのだと思います。同じ1000円の使い方の問題です。

ここから先は

36字

PDLB

¥5,400 / 月

PDLBについて。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。