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栴檀は双葉より芳し:PDLB

昨日、平林監督と「才能格差」についての話をした。PDLBの思考プロセスにも関係があると思うのでメモしておく。

平林監督は私が在籍していた広告プロダクション、ライトパブリシティに後輩として入社してきた。当時はかなりアナログな入社試験だったから、学生時代の課題で作った「平面構成」などを持ってくる受験生が多かった中、平林青年はフルCGのショートフィルムを持ってきた。

美しいデザインのオリジナル・キャラクターが不思議な動きをして、とてもチャーミングな出来映えだった。「これからはこういう人の時代なのか」と感心した記憶がある。しばらくすると社内での配置換えがあって、彼は私のルームにアシスタントとしてやってきた。興味があったのでいろいろたずねてみると、彼が目指している制作者としてのビジョンがわかってきた。

前回書いたように、ライトパブリシティはDDBの影響を受けた老舗のデザイン会社であり、そのスタイルは「ノン・グラフィック」であり、理性的で洗練された表現をセールス・ポイントにしていた。その流儀と平林青年の目指す場所には、時代の変化とともに存在する分岐点が横たわっている気がした。

彼は学生時代に数百万円もしたパソコンとCGソフトを買って、いわゆる先行投資をしていた。その時点でフルCGが作れる社員は会社に一人もいなかったからそれだけで価値がある。ただそれはあまり重要ではなく、彼の思考メソッドそのものが次世代的だと感じていた。そこで私のルームで手がけていた巨大メーカーの仕事の全権を、入社して二年目くらいの彼に預けることにした。

クライアントや広告代理店との重要な会議には必ず彼を中心に置き、進行を任せた。あっという間に彼はキャンペーンの撮影やディレクションのすべてをこなすようになった。彼がひとりでやっていた案件は、ごく普通のデザイン・カンパニーが数人の社員を動かして、年間の売り上げを十分に達成できるほどの規模だった。私はその頃に会社を辞めて独立する計画があったので、彼がすべての仕事を立派に進行していたことは安心材料になった。

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大切なのは「ビジョン」である。同じ仕事をしていても、それを将来の自分の能力に蓄積できる人と、ただこなしているだけの人には大きな差が出てくる。彼がその後、CMディレクターとしてフリーランスになったときには、誰彼構わず、「優秀な青年です」と紹介して回った。そこまでは先輩としての当然の義務だが、そこから期待に応え、次の仕事を依頼され続けたのは彼の能力だ。彼にはビジョンがあって、CMの仕事を発注されて納品するということだけで終わりたくないというのがはっきり見て取れた。

彼はCMの現場で築いた専門職との出会いを活用して次々に短編映画を作り、海外の映画祭にエントリーし始める。受注された仕事ではなく、自分は何を作りたいのかというサンプルを量産し始めた。それらが次々にカンヌ、ヴェネチア、ベルリンなどの短編部門に招待されるようになった。仕事ではなく、創作したモノが世界的な権威から認められるのは、「人格の肯定」である。

いい仕事を上手にやりましたね、という広告的な評価ではなく、彼の脳の中にしかない世界を他人に見せて、世界を豊かにしましたね、という評価で、それを認めてくれたのは誰かというポイントも大きい。

彼が入社試験で持ってきたあのCG作品を思い出すと、今の状況は特に驚くに値しない。できる人は最初から一流だとわかるし、その逆もしかり。「才能の格差」というのは差別的に聞こえるかもしれないが、選ぶ側に立ってみればよくわかる。自分が消費者や発注者の立場になったとき、圧倒的に優れた人やモノを選びたい心情はわかっているのに、能力がない人が、「私も平等に認めて欲しい」というのは理屈に合わない。

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