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ブランディング:写真の部屋

私はアートディレクターなので、写真家に撮影を依頼する側でした。そのとき、「こういう意味を表現したいので、こう撮って欲しい」という意図を汲み取ってくれるかどうかで写真家の能力を判断していました。その解決法は「私の理想とする結果として」と限定していますから、絶対的な正解ではありませんが、中には「こう撮ったほうがカッコいいよ」と言う人もいました。それに「なるほど」と思った経験は一度もありません。

なぜなら、アートディレクターはスタートから最終地点までを何度もシミュレーションして、それらのアイデアを却下しているからです。写真家は打ち合わせをしてオールスタッフミーティングをしてスタジオやロケ場所に来るのですが、その1枚の写真を撮るまでにクリエイティブディレクターとアートディレクターは長い時間、数百の方法を考えたあとでひとつを選んでいます。

クライアントへのプレゼンテーションをし、マーケティングやブランディングとズレていないかを検証し、モデルを決めて撮影方法を選び、衣装やヘアメイクやロケ場所を決め、最終的なデザインとしての仕上がりの結果が見えています。そこで「こういう撮り方もあるよね」と技術的な方法を提示されるのは専門職なのでいいのですが、人に伝える方法を変えられてしまうとお手上げなのです。そこはもう解決済みです、としか言えません。

たとえば、私は数年前から金沢の老舗寝具店、石田屋のブランディングの仕事をしています。ただデザインをしたり写真を撮るだけではなく、この企業が他人からどう見られればいいのか、を決めるために写真とデザインのアウトプットもしています。天然素材を使ってエシカルな方法で作られた寝具であるということを伝えるために「素材の故郷」であるアイスランド、オーストリア、フランスなどに撮影に行きました。私が製造業に対して持っている敬意は、結局のところ素材に行き着きます。以前、アパレル、食品などの仕事をしたときも方法はまったく同じでした。

単純な言い方をすれば、そこにどれだけ時間と労力を使えるか、が肝になります。簡単に作られたイメージが与える影響は(ブランディングでは特に)小さいので、今は悪とされている「オーバースペック」で戦います。なぜヨーロッパまで撮影に行くの、合成でもストックフォトでもいいじゃん、と言われても聞く耳は持ちません。ニセモノやあり合わせが本物を超えることはないからです。

「どんな人が作っていて、どこから来たのか」

これが伝わると情報量は飛躍的に増えていきます。単独の商品広告の場合は違いますが、企業の自己紹介のようなものですから根本的な人格の説明が必要です。1枚の写真の出来がいいか悪いかではなく、ブランドブックを読み終わったときに受け取られるエレメントの集合が印象を残します。このグルーヴの作り方に関して理解のある写真家はあまり多くないので、自分で撮っているわけです。ものすごくいい写真ではないのでしょうが、ブランディングに限って言えば「設計図にパチンとはまる部品」を作ることにかけては間違いがないと思っています。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。