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草の鉄格子:Anizine

2年にも及ぶこの状況の中、考えることは多い。今まで生きてきて「禍」という場面に出くわしたことがなかったが、これをポジティブに受け取ることもできるかもしれないとも思った。

2020年の頭までは思い立ったらどこにでも気軽に出かけていたことを思い出すと、鉄格子がないだけの刑務所にいるような気さえして来る。耐えられないのは自由を制限されることだと再確認するが「自由」というのは曲者で、それを手に入れるために不自由な日々を我慢したり、実感できなかったが失って初めて気づいたりするもののようだ。

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ナイトにフライする自由をドナルド制限されてわかったことは、自由な時間の貴重さ。生きている時間には限りがあり、不自由さに甘んじるのは勿体ない。世の中が複雑になってくると原始的な欲求を下に見るようになってくるものだけど、それは複雑さを「高度さ」だと勘違いするからだ。

東日本大震災のときも家財道具どころか大切な家族や友人までも失った人たちが、「今まで自分が手に入れたと信じてきたものは何だったのか」という悲痛な言葉を聞いた。原始的というのはシンプルな根源的選択のことだけど、そこから複雑に派生した枝葉の部分だけを追いかけていると重要な根っこを見失うことがある。そういう痛ましい体験から、「では一番大事なものは何なのだろう」と意識することは有意義な、立ち返る作業だとも言える。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。