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等身大であること:Anizine(無料記事)

自分が自分のチカラでできることをする。「等身大であること」をいつも考えています。私は南仏に別荘も買えないですしロールスロイスも買えませんが、毎日生活していく上で特に困っていません。しかし誰かが持っている南仏の別荘に遊びに行ったりロールスロイスに乗せてもらったときに、ほんのちょっと自分が『そちら側に近づいた』と思ってしまう人がいます。ここなんです。等身大の自分に天麩羅のコロモがまとわりついてしまうのは。

誰でも多かれ少なかれ他人に何かを自慢したい感覚があると思うのですが、他人が予約の取りにくい店で高級なワインを飲んでいたり、美術館かと思うような家に住んでいたりするのを見て感じる、いかんともしがたい心の揺れは、劣等感から生まれています。いくらそれを隠したつもりになっても「ああ、この人はこういう部分に弱いんだな」と発言からわかってしまいます。お金や地位や名誉やルックス、それら自分に足りていないと思っている部分を刺激されると嘘発見器の針がジグザグに震えだします。

するとどうなるでしょう。ビートたけしさんは「貧乏人が貧乏人をいじめるときはすごいよ。言われたら一番イヤなことがわかっているから」と言っていました。自分のことはわかりにくいものですが他人の振る舞いならわかると思います。あの人は貧しかったからお金持ちになってもお金の話ばかりするんだなとか、いいクルマを買えなかった若い頃の自分に復讐するように今持っている高級車を自慢したいんだなとかが手に取るようにわかってしまいます。もちろん本人は誰にも気づかれないようにさりげなさを装いますが、ローザンヌ国際コンクールくらいバレています。

誰でも自分が優れているところと、劣等感のコンプレックスを同時に持っています。見せたい私という表と、知られたくない私という背中。レスリングでいうバックを取られないようにグルグル回っているのです。他人の背中を見てやろうという悪趣味な人も多いですから自衛も必要ですが、一度背中を見られてしまうと何も怖くなくなるのも事実です。もしかしたら自分の欠点だと思っている部分が他人から見たらなんでもないことかもしれません。

等身大の自分というフィギュアを手に取られて、370度どこから見られても大丈夫、と思えると一番いいんですけどね。嘘をついたり、他人の名前やチカラを使って自分を大きく見せようとしても何も起こりません。安っぽいゴマ油の香りがする天麩羅の人だな、と思われるだけです。それらの人が使う言葉は決まっています。「有名」「賞を獲った」「高級」「一流」「セレブ」みたいな形容詞の頻出具合が、嘘発見器の針です。セレブで有名で一流企業の人と知り合いになっても、あなたは何ひとつ変化していないことを知るべきです。

自己肯定感という言葉が流行語のように精神を圧迫しますが、そんなものは持たなくていいです。親や家族や大事な友人が自分の「ただの存在」を、かけがえのないものとして認めてくれるだけで十分でしょう。親は自分のこどもがロールスロイスを買えるようになったり数千億の資産を築いても何とも思わないでしょう。たとえそうなったとしても「風邪を引いてないか、元気でいるか、街には慣れたか」とだけ心配するものです。それが純粋な愛情です。天麩羅のコロモは相対的なものでしかありませんから、数百億円稼いだと自慢する人も、数千億円の資産を持つ人からしたら格下になります。

私の仕事場前のちいさな公園には、ミヤシタパークという商業施設建設のために住む場所を追われたホームレスが暮らしています。若いサラリーマンが牛丼を持って歩いていたときにホームレスが「牛丼なんか食べやがって、偉そうに」と言うのを聞いたことがあります。相対的というのはこういうことです。お金持ちが高級なレストランに行くのを見て庶民が羨ましがるのと同じ構造がスライドしただけで、本人は何とも思っていないのに羨ましがる人々がいるということです。

等身大であることがいかに難しいかの証明でもありますが、自分は自分であり、他人は他人であるという園児じみたことすら理解できないから厄介なんですよね。皆さんも五月病にかかりませんように。元気で、街に慣れて、Anizineを定期購読して、楽しくやりましょう。


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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。