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ふたつのソーシャルメディア:PDLB

20年以上前、ある企業の仕事で「コミュニケーション・サイト」を作る仕事に参加しました。今から考えると幼稚極まりないお粗末なものでしたが。

その商品の購買ターゲットに向けたサイトを立ち上げ、そこで互いに情報交換をしたりプロフィールを見られるようにするという思いつきでしたが、当時は今のようにソーシャルメディアの概念が知られておらず、早い人はmixiを始めたくらいのタイミングだったでしょうか。Facebookもツイッターも存在していませんでした。

音楽や絵や写真などを作っている人々を集めてページを作りましたが、内部でも交流は起こらず、もちろん外部への影響もまったくありませんでした。簡単に言ってしまうと「失敗」したわけです。

失敗の原因はいくつか考えられました。サイトの運営者であるこちらがセレクトした人たちをカタログのように並べた結果、掲載された本人たちは何か「取材を受けて作品が載った」というようにしかとらえていなかったのです。それは当然で、自分たちの作品をポートフォリオとしてアップすることで、見知らぬ誰かがアクセスしてくるという体験をしたことがなかったからです。掲載されて終わったと思っているわけで、そのあとのコンテンツも増えていくはずがありません。

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かくいう私も、Facebookがアメリカの大学から一般向けにサービスを開放し招待されたとき、何のことだかわからないので参加せずにメールを無視した経験があります。

そのサイトはコンテンツを掲載するのみで、本来の目的である流動性や、コミュニケーションを発生させることはありませんでした。その失敗の原因を考えているうちにわかったのは「習慣性」でした。コンテンツを提供してくれた彼ら参加者には、長い文章や作品画像を提供することが苦痛だったのです。

ですから、もっとカジュアルにその場で思ったことを簡単に書ければ継続性のあるコミュニティができるのではないかと思いました。それまではマニアックなアーリーアダプターしかいなかったNiftyなどの一般普及版として。

そしてツイッターが登場します。mixiのように固定されていない人格が好き勝手に様々なことをリアルタイムにつぶやく。その言葉が無関係な人にリツイートされる。これの仕組みを知ったときには「やられた」と思いましたが、自分でプラットフォームを作ろうと行動していたわけではないので、何もやられてはいません。共有する時代の空気として「こういうサービスが必要だったんだよな」と思っただけです。

ソーシャルメディアはまだまだ20年程度の歴史しかないので、人々はそこでの振る舞い方を試行錯誤しています。フォークとナイフはどういう順番で使うのかが決まっていないのに目の前に料理の皿が出てきた状態なので、みんなが口々に「あいつのナイフの使い方はおかしい」「手づかみで食べて下品だ」などと指摘し合っているのです。

大昔には「ネチケット」という言葉もありました。ネットのエチケットのことですが、今ではもう使われませんね。エチケットとは場所がどこであろうと共通なので、マナーの悪い人はいついかなる場所でも不調法なものですから、場所で切り分ける必要はなかったのかもしれません。

個人間のメディアではLINEがさらに短いコミュニケーションを確立し、返事は「オッケー」と書かれたスタンプでもいいことになりました。ソーシャルメディアの可能性はまだまだ拡大しています。その最終形が「マネタイズ」です。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。