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人を閉じ込める2割:写真の部屋

『カメラは、撮る人を写しているんだ。』の中に、人を閉じ込める、という話を書きました。ポートレートを撮るとき、「会ったその人を自分の手の中にあるカメラに閉じ込めたいかどうか」の判断をする、という話です。

仕事で頼まれたのでないかぎり、その人を「撮るか撮らないか」から写真は始まっています。絵を描く人も小説を書く人も同じだと思いますが、一番大事なのはそれを自分が表現したいか、というところで、目の前にいる人を撮ることもできれば、無視して通り過ぎることもできます。ポートレートは、誰を撮るのかが決まれば8割は終わっています。写真の大部分は誰が写っているかにかかっているからです。

「こういう工夫をして撮った」「私の作風はこうである」と主張しても、写真の中にあらわれるそれは2割でしかないということです。

ポートレートはドキュメンタリーでもありますから、その日、その場所で、自分がその人と出会ったという事実の証拠です。写真は写った人と撮った人との共通の記憶になり、二度と同じモノを撮ることはできません。その写真に残る事実と比べれば、こういう構図で撮った、こういうカメラの設定とレンズで撮ったなどということは「2割の中のことだ」と自覚しておく必要があり、そちらばかりに意識が行ってしまうのは本末転倒です。

もちろん機材を選んだり、撮影のための工夫をするのは必要なのですが、重要なのはそちらではないということです。この女性の写真について説明します。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。