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Anizine

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。
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2024年5月の記事一覧

闘争か逃走か:Anizine

最近、動物の動画ばかり見ていると何度も書きましたが、なぜ見ているのかと言うと「コントロールできない本能」に興味があるからかもしれません。人間は自分の行動を知的に制御していると思っていますが、実際には本能という餡子をくるんでいる饅頭のようなもので、皮が厚いほど、中身を防御したり隠すことになっていくのでしょう。それを動物から遠いことであると考えるのは一面では真理ですが、みずからの衝動に鈍感になっていきます。 一昨日は北海道で馬の撮影をしていたのですが、動物を見ていると行動が読め

皆さんに質問:Anizine

定期購読メンバーの皆さんに聞いてみたいことがあります。 どんなに複雑な問題でも因数分解のように単純化することで見えてくるものがありますから、皆さんの意見を伺いたい。質問は以下の通りです。

アートの著作権:写真の部屋 / Anizine

尊敬する写真家の先輩である伊島薫さんがFacebookに書かれていたことを読んで考えました(画像は伊島さんの投稿からお借りしました)。 伊島さんの商業的な写真もアートとしての写真もずっと拝見していますが、若輩者が僭越ながら感じることは「写真に向かう姿勢の素晴らしさ」です。 自分が写真を見るとき、写真家に会うとき、何を基準にしているかというと、自分だけの表現をしているかどうか、です。それをやや乱暴に言い換えるとアートかビジネスかということにもなります。もちろんアートビジネス

批評しなくていい:Anizine

今日はたまたま豪雨にあたることもなくタイミングよく行動できました。明日の撮影に必要なものも揃いましたし、気分がいいです。昨日も友人とずっとそんな話をしていましたが「何かを作る」という作業には何物にも代えがたい楽しい手応えがあります。 そこにさっきまで存在しなかったものを生む。 それは「ここにあるこれってセンスいいよな」と解説してみせるのとはまったく違うのです。よく映画などのレビューを読むと「つまらなかった。俺が監督したほうが面白いのできそう」などという言葉を見かけますが、

姿勢は言葉に出る:Anizine

「どれだけニュートラルに生きていけるか」だけを考えています。周囲の友人は誰もみな自分より偉くて立派に見えがちなのですが、他人との相対的な比較はせず、自分は自分だと思って、競走馬が遮眼帯をつけるように前だけを見て過ごすしかありません。 最近ソーシャルメディアを辞める知人が増えてきて、その理由が「どうしても他人と比べてしまうからだ」と言います。他人の芝生がギンギンに青く見えるのでしょう。疲弊するのもわかります。またそこで「自分を盛る」方向に行く人もいます。ある人のプロフィールに

家具を作っている男:Anizine

俺は家具を作っているんだ。たいした稼ぎにはならないよ。来年は息子も大学に行くし贅沢はできない。でもね、俺の家具が好きだと言ってくれる人がいる。お前は日本で何をしているんだ。そうか、立派なカメラを持ってるもんな。それで写真を撮りながら旅をしているのか、それもいいなあ。俺はマレーシアから一度も出たことがないけど、いつか外国には行ってみたい。 俺はひとりで家具を作っている。最初から最後までひとりだ。家のガレージにあるちいさい作業場で朝から晩までやっているよ。奥さんに服を買ってあげ

くだらない結論:Anizine

「ゴールデンウィークが終わったらグランピングに行かないか」  「また、おかしなことを言い出すなあ」 「だって連休中は混雑するだろう。『この時期は混みますよ』って言われている時期に行くってどういうことなんだ」  「そこしか休めない人がいるってことだよ。口の利き方に気をつけろ」 「というわけで、グランピング行くか」  「行かないよ。グランピングなんて概念に納得いかないから」 「何がだよ」  「野外のテントで寝るんだろう。それをグランにしてみたって変わらないだろうが。ホームレスが高

等身大であること:Anizine(無料記事)

自分が自分のチカラでできることをする。「等身大であること」をいつも考えています。私は南仏に別荘も買えないですしロールスロイスも買えませんが、毎日生活していく上で特に困っていません。しかし誰かが持っている南仏の別荘に遊びに行ったりロールスロイスに乗せてもらったときに、ほんのちょっと自分が『そちら側に近づいた』と思ってしまう人がいます。ここなんです。等身大の自分に天麩羅のコロモがまとわりついてしまうのは。 誰でも多かれ少なかれ他人に何かを自慢したい感覚があると思うのですが、他人