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Anizine

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。
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2020年3月の記事一覧

アクチュアル・サイズ:Anizine

毎月外国に行こうとしていた。 1月はGUAMでのんびりして、2月はParisに行った。3月の後半と4月の初めにはまたヨーロッパに行く予定だった。それがすべてキャンセル。仕方がない状況だけど、残念だ。 外国に行くのは何かを見るためではなく、大部分は「帰ってきた東京をじっくりと理解する」ためにある。今いる場所をどれだけ理解しているかというのは割とおろそかになりがちで、英語で言えば自分を取り巻くアクチュアル・サイズってことになるのか。等身大の自分、というとニュアンスが変わっちゃ

駅前で歌うとは:Anizine

ソーシャルメディアで書くときは、「それを基準に私を判断してもいい」という覚悟を持つことが必要だ。これは大前提。 好きなことを好きに書きたいだけだから、そんなこと言われたくない、というならLINEなどで個人のやりとりにとどめておけばいいし、クローズドなコミュニティを作ればいい。誰もが見える場所に自分が思ったことを書くのは、駅前でギターを持って歌うことと変わりがない。 「いい歌だね」と言われて自作CDを買ってもらえる幸運な出会いがあれば、「うるせえな、ヘタクソが」と罵られるこ

ノリ兄ちゃんの店:Anizine

いつも通る道に、イタリア料理の店ができていた。小さいが洒落た雰囲気だ。 開店から数日経った昼、その店に行ってみることにした。パスタがメインの店らしく、あまり凝った料理はなかった。僕はどの店でも一度は食べてみるカルボナーラを頼んだ。シンプルだからこそ料理人のレベルがわかる。美味しかった。やや太い麺も面白い。これからたまに来てみよう。 そう思った瞬間、隣の席にいた客が「あ」と声を出した。数人の客がそちらを見る。その男性客はじっと皿を見つめていたかと思うと、ほとんど手を付けない

水が描く自由:Anizine

川の近くに住んでいたことが何度かある。海の近くに住んでいたことも、同じように何度かある。 すぐそばに水が流れているという環境は、生活に何か得体の知れない効果があると思っている。川はつねに水が流れてとどまることがなく、海は自分が外の世界と繋がっているという感覚をもたらす。 俺が生まれ育った横浜は言うまでもなく港町であり、外国の文化が日常的に入ってくる場所だった。港にもいくつかの種類がある。漁港のようなところはそこにいる船が決まっているので、見知らぬ場所に続いているという妄想

気づきと学びという人:Anizine(無料記事)

自分が5年前まで使っていなかったのに、今は使っている言葉があるとしたら、なぜそれを使っているかの説明ができないといけない。 たとえば2020年の今、あなたの周囲で「チョベリグ」と言っている人がいるだろうか。わざとではなくマジメに使っているとしたら、あなたは親切にこう言ってあげるだろう。 「課長、チョベリグって、もう誰も言ってないですよ」と。 言葉という道具を自分の知的な装備にすると決めた場合、それがナイフのような言葉なら、相手からは「ナイフを持っている人」だと認知される

あなたは本人ですか。:Anizine

『ロバート・ツルッパゲとの対話』を買ってくれた人がそのことをアップしてくれたらひとりずつリプライをしているんだけど、「著者本人からのお返事、ありがとうございます」と書かれることがある。 俺はいつから「本人」になったんだろうか。本人とは「その人であること」を強めた表現だけど、何となく面白いな。本人って言葉。 本人には「本を書く人」って意味が含まれているし、日本人から「日」がマイナスされている。本人というのは「責任者」って印象を持つこともある。たとえばフェラーリのあるクルマの

病的に健康:Anizine

金沢から帰るとき、グリーン車にするかグランクラスかで一瞬悩んだ。俺は病的と言えるくらい他人と距離が近いのが我慢できないので、飛行機でも新幹線でもできるだけ広い席を選ぶんだけど、金沢で延泊したし疲れてもいなかったから、「帰りはグリーン車にするか」と思った。でも、人が少なく隣に人が来ないという理由で、やはり行きと同じグランクラスにした。 思えば、俺が3年か5年に一度くらいしか風邪を引かず、アホみたいに不規則な生活をしながらアホみたいに健康なのは、アホみたいに人が多い場所に行かな