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無為自然

このFacebookの投稿にいただいたコメント、「桜の花は、亡くなった人たちが、そろそろ田植えの準備をしなさいと告げる印である」というのを読みながら、ふと母のことを思い出していました。


母が亡くなったのは17年前の4月13日の朝のことで、まさに桜が満開の日でした。母と共に車で家に帰る時に見た、見事なまでの桜吹雪の情景が今でも脳裏に焼き付いています。

そしてその1ヶ月後の5月15日に生まれたのが次男だったので、きっと母の魂と次男の魂は出会っていたんじゃないかと思っています。

その年の6月に竹取の翁の舞台があったりもして、とても充実してはいたけれど、日程的にも精神的にもとてもタイトで、しんどい時だったなと思います。

そう言えば、今までそんな風に考えたことはなかったんだけど、母が亡くなって、それまで必死にやってきたことがすべて無に帰してしまったように感じたところがあったかもしれません。

キネシオロジーの仕事もバリの踊りも、どこか母を救いたいという思いからやっていたようなところがあって、そういう意味では母が亡くなって、どこかプツンと糸が切れたようなところがあったのかなと、ほんと今までそんな風には考えたことがなかったんだけど、もしかしたらその可能性をあらためて掘り下げて、検討してみる必要があるということを感じたのでした。

バリの踊りを離れたのは田んぼをやると決めたということもあったけれど、実際には奉納舞として踊ることに疑問が大きくなって、その気持ちを無視することができなくなったからということもありました。また、子どもが増えて経済的にむずかしくなったということもありました。まあ、そのあたりのことは何度も反芻してきたので、整理はついてきているのだけれど、今となってはただそれだけではない、もっと本質的で根源的な意味があって起こったことだったのかも知れないと思ったのでした。

4年前に田んぼを続けることがむずかしくなって、まさにちょうどそんなタイミングで誘われて参加した原初舞踏の稽古の中で、特に最初の床稽古の中で湧き上がってきた衝動の力があまりに強くて、こんなにも踊ることに喜びを感じる自分がいることに気づいて、号泣してしまったわけです。

そこから少し時間はかかったけれど、身体の中、あちらこちらに残っている感情を燃やしながら、稽古を続けてきたことで、だんだんと癖がなくなって、まさに原初から上がってくるエネルギーに直結し始めたような気がしている、今ここという感じがします。

何かのためとかではない原初の発露のような踊り、そのようなものがあるとしたら、たぶん今そこに近づいているのかもしれません。見せるためでも、見られるためでもない、ただ純粋な響きとしての踊り。

メッセージはいらないということだったのかもしれません。そして、何かのためにというような目的もいらないのかもしれません。奉納するような対象もなく、ただそれはあるべくしてあるし、起こるべくして起こるようなことでいいのかもしれません。まさに無為自然ということを思います。

紆余曲折、この春の桜との出会いからの一連の流れは、ややこしくもつれていた糸を少しずつほぐしてくれて、原初の舞い、原初の踊りの本来の喜びに立ち返らせてくれたようにも思います。

先日、次男の17歳の誕生日を祝いながら、17年という歳月の中で、僕自身も大きく変化してきたことを思いました。そして今また、あの頃とはまったく違うスタンスで踊りに向き合いながら、本来したかったことがようやく見えてきたということを確認している感じですね。

今はまだ、どこに帰結していくのかはわからないけれど、このまま身体に向き合い、踊りにうつつを抜かしながら、何らかの形が見えていったらいいなと思っているところです。

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