カウンセリング日記|③ 苦しいという気持ちに、蓋をしないこと。
皆さん、こんにちは。本日もアクセスありがとうございます。
久々の投稿になりました。4月は会社員としての新たな生活を迎え、バタバタではありましたが、今は少し落ち着いてきています。頭を限界まで使って色々なことを覚えていくプロセスを、適度に楽しんでいます。
さて、新年度1発目の投稿がこれで良いのか?という思いを少し抱えながらも、今日もカウンセリングを振り返っての、率直な思いを書き連ねていこうと思います。
※今までよりも、内容が少し重たくなっております(当社比)ので、その点ご理解いただいたうえで読み進めていただけますと幸いです。
前回・前々回の記事はこちら。
カウンセリングも今回で5回目になりました。今回といいつつ、3月上旬のカウンセリング内容なので、もう1ヶ月以上経っていますが。笑
んー。毎度そうですが、今回はとくに書き起こすのが大変でした。本当にこれを文字にしていいんだろうか、誰でも見える場所に公開していいんだろうかとか。正直、色々な葛藤はありましたが、私はあえて文字にすることを選択しました。
カウンセリングでは、前回に続き2つのテーマを取り扱います。
3月の対話の場では、①に関する話がほとんどでした。
そもそも、私と”大切な人”の関係性を拗らせているものは、明確に2つあると現時点では解釈しています。1つ目は前回の記事で触れた、出生に関すること。そして2つ目が今回の記事で触れる、宗教に関することです。
突然ですが、皆さんはパスターズキッズ(Pastor's Kids)という言葉を知っていますか?そう、牧師の子供たちのことです。
まずは、あまり多くを語らずに色々なブログ記事を引用してみます。
※こちらは有料記事(100円で読めます。)となっております。↓
恣意にまみれた引用であることは認めます。でも、「パスターズキッズ」と検索したら、大体このあたりの記事が出てくるのが現実です。もう15年以上前に書かれた古い記事もありますが、内容については今も廃れることはありません。
カウンセリング日記では頑なに”大切な人”という言葉を使っていますが、全く隠せていないので表現を変えます。
私の母は牧師です。宣教のために覚悟を持って、韓国から日本に来ました。父は、そんな母を支えるために一緒に日本に来ました。日本に移住して1年後に誕生したのが私です。(出生の違いの話は前回の記事で少しだけ触れています。)
大前提、私は母のことを心から尊敬しています。母を馬鹿にする人がいたら、どんな人であっても許せないと思うし。
引用記事の中では、「霊的虐待」という言葉が使われたりしていますが、私は死んでも自分の親が虐待をしていたなんて信じません。
・・・
私は気づいたときから、教会に住んでいました。毎週日曜日には、多くの信徒さんが教会を訪れます。近所の子どもたちを集めて「こども会」という場も開かれており、教会は常に誰かとの交わりの場でした。それは、自分にとって幸せを感じられる場だったのかもしれません。
小学校に入ってから、日曜日に教会に行くことが、みんながただ唯一の神様を信じていることが、当たり前ではないことを知りました。違和感を抱いたのは、給食を食べる前にお祈りの時間がない、、というあたりから。そして当然のことのように、日曜日に友達と遊ぶという考えなど存在していませんでした。
中学校に入ってからは、部活動に所属するようになります。私は吹奏楽部に入りたかったのですが、顧問の先生がかなり気合の入った先生だったので、土日は基本的に1日中練習が入っている部活でした。
でも、私が日曜日に部活に出ることは許されませんでした。私はどうしても吹奏楽部で活動をしたかったので、徹底的に反抗しました。すると、午前中はお休みして、午後は部活に行くことを許してもらえました。私が、「先生がそんなの許してくれるわけないよ」というと、母が直接顧問の先生に交渉しに行ってくれました。結局、部活を引退するまでの間、私は日曜日の午前中に学校に行くことはありませんでした。
徹底的な反抗をする中で、「私は教会に行きたくない!」と強く訴えたのですが、「なんでそんなこと言うの!神様を信じない子はうちで面倒を見れません。家を出ていきなさい。」と言われてしまいます。
この記憶が本当かは正直わかりません。でも、私の心にある深い傷が、今でもそう訴えています。
「なんでこんな子に育ってしまったのかしら。」
「てめぇの教育が悪いからだよ。」
ある時は、なにか母に教会絡みのことで叱られるたびに、「じゃあ私のことなんて産まなきゃ良かったじゃん。」と言うようになっていました。その言葉の威力は凄まじいらしく、母を度々泣かせました。私も泣いていました。中学1~2年の時のかわいいかわいい反抗期でしょうか。
・・・
今回のカウンセリングのときに、先生に言われたことで印象に残っている言葉があります。
「あなたが話す言葉は、非常にクリアで筋が通っていてわかりやすい。あなたの能力が高いことがよく分かる。でも、母のことになると何かバグが起きているみたい。何を言っているのか全く理解できない。」
・・・
すみません。私もよくわかりません。
このバグというものはいわゆる”ブラックボックス”のようなもので、中身の解像度が低く、どこか自分にとってネガティブなオーラをまとっているものです。
この”なんかよくわからないバグ”に向き合えない限りは、きっと完全に心の傷を癒すこともできないのだと思いますが、環境が大きく変わるこの時期に、ブラックボックスを扱うエネルギーは今は正直ないよねという話も、先生としました。
今は、ただただ苦しいという言葉でしか表せないのかもしれませんが、いつか、このブラックボックスに光を当てて、笑顔になれる日が来たら嬉しいなと思います。
少し話は変わりますが、長期インターンをしていた頃のメンターにこんな言葉をもらったことがあります。
「あなたは、仕事でしか関わらない人にもものすごく”ファミリー”を求めているよね。今は気づきだけで良いと思うけど、この先、そのことがあなたを苦しめることがあるかもしれないから、そのときにまた向き合えるといいね。」と。
まさに、苦しんでおります。。笑(真顔)
そのときは、自分が信仰を強制されて育ってきたということに全く気づいていなかったし、そのことによって常に条件付きの愛しか受けられていなかったことにも、全く違和感がありませんでした。どこか、社会での生きづらさだけを感じていて、毎日のようにネガティブな感情にただ支配されるだけで・・・。
そのときにメンターがくれた言葉があったからこそ、今こうして私は苦しさにも前向きに向き合えているのだと思います。本当に感謝しています。
苦しいという気持ちに、蓋をしないこと。
私が常に誰にでもどこか”ファミリー”を求めてしまうのは、実際のファミリーの中で、”ファミリー”を感じることができないからです。言葉にするとシンプルですが、それによる呪縛は想像を絶するもので。闇で。
でも、その苦しい気持ちを打ち明けられる場所が存在しているという実感もあって。
多くの人はそれに気づかずに、出会えずに生きることを諦めてしまう。私もそのうちの1人だったかもしれない。だから日々失われていく多くの希望が、他人事には思えません。
私がカウンセリングに通って理解できたことの一つに、家族は親だけじゃないということがあります。自分が一緒に人生を歩む人たちは、自分自身で選ぶことができるのです。今回のカウンセリングでは、パートナー探しや恋愛の話もたくさんしました。(もちろんそれが全てではないけれど。)
どうしても苦しさに耐えられなくなったとき、その気持ちに蓋をせずにどこかに吐き出せる居場所をつくることが、今の私にとっては何よりも大事なのだと改めて思いました。
私が、あらゆる人にファミリーを求めてしまうことは、しばらくは変えることができないでしょう。それ自体にもものすごく苦しむことがあるかもしれない。
でも、そんな私の姿も含めて身を預けられる、そんな方に、そんな場所に出会えることを信じて、日々を歩んでみます。
会社員になって、また新たな扉がたくさん開いています。ひとつひとつ自分の足で訪ねていくことで、もっと自分のこれからの歩みを豊かにしていきたいと思います。
本日も、とりとめのない話を最後までお読みいただきありがとうございました。
実はもう6回目のカウンセリングにもつい昨日行ってきたのですが(笑)、またそれは次回のカウンセリング日記で書かせていただきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?