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はたらきろく|人を形づくるのは、経験より解釈なのではないか。

みなさん、こんにちは。本日もアクセスいただきありがとうございます。

無事に4月に会社に入社してから、1ヶ月が経過しました。今までとはまた色の違う日々を過ごしています。時間がまだある今のうちに、研修で感じたこと(というより研修を通してアップデートされた私の頭の中にある仮説)や、会社員として1ヶ月過ごしてみての気づきを、改めてここでまとめてみます。

私が入社した会社は、基本的なビジネス研修が2週間あったあと、そこからは配属先でOJTというかたちなので、4月の前半で新人研修を終え、すでに配属先で色々なインプットをしています。一般的には、2週間というのは研修としては短い期間かもしれないけれど、でもその中でも多くの学びを享受しました。

また、これから働くことを通して色々な気づきがあると思ったので、新たに「はたらきろく」というカテゴリを作ってみました(ネーミングセンスについてはなにも言わないでください。笑)。今まで”〇〇の記録”というシリーズを書いてきたのですが、”仕事の記録”だとなんか堅いので、、。笑
他のシリーズもひらがなにしてみようかな・・。

内容が色々あってうまくまとめられなかったので、コラム集・短編集的な感じで書いてみました。気になるタイトルだけを読んでもらうのもありかもしれません。

謎の発熱という悪魔

4月1日、入社式や諸々の事務説明などを経て帰宅したその日の夜。なんだか体が熱くて、よく眠れませんでした。嫌な予感がしました。。
体温計で熱を測ると、なんと38.5℃という表示。焦りで全身が震えたことを覚えています。その日は、なんとかして朝までに熱を下げなきゃいけないと思い、家にあった解熱剤を飲んで、冷えピタを貼って、そのまま寝ました。

次の日の朝は熱が37℃台まで下がったのでオフィスに行ったのですが、もう見るからに体調が悪いみたいな状態だったので、結果的に多くの人に迷惑かけちゃったなと思います。そして入社3日目にして出社断念。。

いやー、ほんとに悔しかったんですよね。

3日目から同期に遅れをとってしまったという感覚もそうだし、私は自己管理すらまともにできないのか・・とめちゃくちゃへこみまして。

ここでの問題は「なぜこのタイミングで発熱してしまったのか」ということだと思うんですが、結論からいうと、原因不明です。
これがコロナとかインフルとかわかりやすいものだったら、まだ原因がはっきりしてもやもやはしないんですが、原因がわからないとなるとこれまたどうして良いのか・・という感じで。

ただ、お医者さんとお話する中で生まれた仮説は「大きな環境の変化に対して、身体が敏感に反応してしまうのではないか。」ということ。

実は、この”謎の発熱”を起こしたのは今回が初めてではなくて、これまでの22年間で4回目なんですよね。
ひどい時は、40℃まで熱が上がって3日下がらない時もあったので、市内の一番大きな病院にコンサルしてもらったこともあったのですが、結局原因不明のまま帰されてしまったりしたこともあって。。

今回の問診でも、外来の担当のお医者さんがすごく良い人で、かなり丁寧に診察してもらったのですが、ちゃんとした原因はわからずで。。

ただ、今までの4回の謎の発熱の共通項は「体が大きな環境の変化の中にさらされている」ということでした。あとは、もともと感覚(とくに聴覚)過敏なこともありまして、自覚している以上のストレスを、身体が感じ取ってしまっているのかもしれないとのこと。

心因性の発熱は、もっと慎重な判断が必要なので、今回は診断にまでは至らなかったのですが、今回の問診を通して、自分の身体が環境の変化にあまり強くないということを再自覚できたのは大きな学びでした。

もういい大人と言われる年齢になってきているので、自分の身体のことをよく理解して、「環境が大きく変わる時は、意識的にいつも以上に自分を労ってあげる」とかをしていかないと、また同じことを繰り返してしまうと思い、備忘録としてここに残しておきます。

歳を重ねるにつれ、健康の重要性がより迫ってくるようになるはず。今からできることの積み重ねが、20代後半〜30代のパフォーマンスを作ると信じて、食事も運動も、やれることやらなきゃですね。

でも、逆にいえば睡眠時間とか削って体力優位で働けるのって今だけでは?みたいな恐ろしいことも考えている。。

新しい経験のはずなのにどこか懐かしい気持ちになるのはなぜか

フルタイムで会社員として働くという経験は、これまでの人生で初めてのことなのですが、研修を受けているとどこか懐かしい気持ちになるなと思いました。

このふわっとした懐かしさの正体を突き詰めていくと、小中学校の授業を受けている感覚に近いのかなと思っています。内容ではなく、とくにその学習スタイルについて。

バックグラウンドが異なる約30人ほどのメンバーが、同じ部屋で静かに講義を聞いている。登壇してくださっている方が時おり投げてくださる問いに、指名された人が回答する。周りからは拍手が起きる。
ちょっと違うのは、最後に質疑応答の時間があって、メンバーからさまざまな質問が飛び交うこと。積極的に質問を投げかける同期のメンバーに、日々刺激を受けていました。

私は、正直、小さい頃から学校の学習スタイルがあまり向いていませんでした。講義形式はペースが”講義している側”に委ねられるものなので、自分の理解スピードとの間にギャップがうまれやすいと考えています。先生はどんどん説明を進めるのに、自分が理解に苦しんでいたら、インプットすらできていない状態になってしまいますし、その逆も然りという感じで。

私は講義を聞くよりも、自分で活字を読んだり、調べたりしながらインプットをし、問題集で問題を解きながらアウトプットして理解度を確認していくという学習スタイルの方が、昔から性に合っていました。

中学のとき、数学の担当の先生が理解のある方だったので、私は先生の話をあまり聞かずにずっと自分のペースで学習を進めていたのですが、そのおかげで、最初は苦手意識のあった数学が、受験期では完全な武器と化していました。そんな授業態度の悪かった私にも、先生は休み時間を潰してまで一緒に難問に向き合ってくれたりして。そういった出会いが今の私の重要な要素を形作っている気がします。

話が少し逸れましたが、講義形式の研修は、こうした私の懐かしい記憶を呼び起こさせてくれたように思います。今後も継続的に勉強することが必要になる中、自分に合う学習スタイルについて改めて考えるきっかけになり良かったです。

自己肯定感の正体

研修の中で、「印象」というカテゴリの講義がありました。その名の通り、コミュニケーションにおいて相手に良い印象を与えるためのコツを学ぶ講義です。私自身、”良い第一印象をつくる”ことに苦手意識があったので、この講義はとても楽しみにしていました。

話の内容としては
・ビジネスコミュニケーションがなぜ大事なのか?
・印象のいい人になるために何が必要なのか?
・話すことに自信をつけるためには
・聞く・質問する・伝えるに関してのアドバイス
などがありました。

コミュニケーションの円滑さは会社そのものの価値に直結するといったことや、話の内容よりもまずは声のトーンや表情、態度が相手とのコミュニケーションに大きな影響を与えるという学びがあり、大前提として、内容はとても興味深かったのですが、講義が終わった後に自分の中にどうしても捨てきれない”違和感”が残りました。

それが、「話すことに自信をつけるためには」のパートでお話しがあった「キーワード:自己肯定感」についてでした。

この講義では、自己肯定感を以下のように定義していました。私も同じ定義で理解しています。

自分を自分であると認める感覚で、
自分の短所や弱み、悪いところも含めて
ありのままの自分を肯定する力

研修資料より引用

そして、自己肯定感が低い人の特徴として、
・他人と比較し劣等感を持ちやすい
・物事を否定的に受け止めやすい
・人間関係に問題が生じることもある
などが挙げられており、「自己肯定感を上げよう」というテーマで、ペアでお互いのいいところを伝え合うというワークも行いました。

まとめとして、「人は誰しも自分のことが一番大切であり、自分に一番興味がある生き物である」というお話もありました。

私がこの一連の学びをもって掲げた問いは、主に2点です。
自己肯定感とは短期間で上げようと思って上げられるものなのか?
人は、自分に一番興味があるというのは本当なのか?

まず、前者の問いから考えていきましょう。この問いに対する個人的な回答はNoです。ただ、これは人によると思います。

私は、自信を形成するうえで自己肯定感が重要な要素であるというのには共感しますが、「自己肯定感を上げる→自信を持てる」という考え方よりは、自信を形づくる要素の一つでしかないと考えています。ざっくり下記の図のようなイメージです。

筆者の「自信」の構成要素に対する仮説

図の円の面積(正確には3次元的に捉えているので球の体積)が自信の大きさ、3要素それぞれの厚みは可変で自信への影響力を示しており、要素の色(グレーがネガティブ、黄色がポジティブでグラデーションになっている)が要素そのものの大きさというイメージです。上記の図は私の自信を図にするとこんな感じかなぁというものです。

簡単に解説してみると、
ポジティブ or ネガティブ
先天的には(多分)超ポジティブ(濃い黄色)。極限状態に陥るとたまに顔を出し、「人ってそんな簡単に死なないから大丈夫!」などと無責任に言ってくる。
自己肯定感
私の自信の構成要素で一番大きい割合を占める。結構低い(濃いめのグレー)。自分で自分を認められない瞬間が多々訪れる。「自分なんて・・」というのが口癖。表立って口に出ないように頑張っている。詳しくはカウンセリング日記へ。
自己効力感
中の上といったらいいんだろうか?少し高め(薄い黄色)。インターン先での経験やこれまでの人との関わりを振り返ることで培ってきたものと解釈している。

もちろん、ぜ〜んぶ私の頭の中で自己完結している仮説にすぎません。
他にも、自己有用感(自分が誰かの役に立っている感覚)という概念もありますが、私の中では自己効力感に近いものかなと考えています。

さて、問いの回答に戻ると、この自己肯定感という概念については、主に幼少期の環境要因によるものが大きいと考えており、簡単に上げたり下げたりできるものではないと思っています。とくに、家庭環境や当時自分にとって影響力の大きかった人の価値観に大きく依存するという仮説を持っているので、研修などの公の場で扱うには、かなりセンシティブな概念なのではないかなとも思います。あくまでも、私が個人的に思うだけではありますが。

私にとって、人の自己肯定感に触れるということは、人の幼少期の経験に間接的に触れることであり、丁寧に時間をかけて向き合うものなので、短期的な「自己肯定感を上げよう」という取り組みにはあまり共感できないというわけです。

自己効力感とか、先天的なポジティブとかは、ここでは割愛しますが、もし一緒に語りたい人がいたら気軽にお声がけくださいませ。

ここにきてやっと後者の問いに入れます。笑

人は、自分に一番興味があるというのは本当なのか?

個人的には、この問いに対する答えもNoです。世の中には、自分に興味をもてない人もいると私は考えています。

ちなみに、私は自分にめちゃくちゃ興味があります。が、それ以上に他人に興味を持っていると思います。”他人に”というよりは、”他人がもつ価値観とその価値観形成の背景に”と言った方がニュアンスとしては正しいですが。

自己肯定感の話と重なりますが、誰しもが自分優先で生きているわけではないということは私自身も常に忘れずにいたいです。そしてそれは、おそらく個人の問題にとどまるものではないと、少なくとも私はそう考えています。

もうさすがに長くなってきたので雑にまとめると、この章では自己肯定感がどうのこうのということを言いたかったわけではなく、言葉の定義とか、言葉の受け取り方とか、重みとかって人によって違うよね。っていう話をしたかっただけなのです。

泣いても笑っても会社員

新人研修が無事に終わり、配属されて1週間。正直、研修とは比にならない量のインプットに圧倒されてしまいました

事業部の理解も含め、日々入ってくる会社の色々な情報に対して、頭がいっぱいいっぱいだったので、日々私に降りかかるのは、漠然とした不安と焦りでした。

とくに、私は自分の希望を反映していただいていた配属だったので、無駄な責任感がより一層強く働いてしまっていました。「新卒だから」という思いは、一切脳をよぎりませんでした。むしろ、そこに甘えることは自分にとって許せないことでした。

「私にこれらの業務をこなしていけるのだろうか。」「今の私が貢献できることはなんだろうか。」

今思えば、私がひとりで勝手に焦っていただけなのですが、結構本気でしんどかったです。

私は、メンターや事業部の方々に不安や焦りについて素直に伝えました。伝えたというよりは、気づいたら口にしてしまっていたという方が感覚としては近いかもしれません。多くの人が、私の漠然とした不安に耳を傾けてくださり、温かい言葉や安心をくれました。

「私も入社して1~2ヶ月はインプット過多で大変だったよ。焦らずに。」
「最初から完璧にできるなんて思っていないから、大丈夫。」
「成長するために、年の功はどんどん使ってね。」
などなど。

本当にこの事業部の配属で良かったなと感じました。そして、自分は焦る必要が全くないことを、言葉では理解することができました。そう、言葉では・・。

・・・
そうして時間が経過し、配属から2週間が経ったある日のこと。とある場所で、思いがけず取り乱してしまいました。自分でも、なぜあのとき…と今では反省が残ります。

詳細はここでは省きますが、私の涙の理由はただひとつ、「自分に期待しすぎてしまっていたこと」でした。自分が勝手に描いていた理想の姿や責任範囲に対し、「自分は無力で何もできなかった」という失望からきた涙でしかなかったのです。

もしかしたら、自分への期待だけではなく、会社への期待も少なからずあったのかもしれません。

なんて自分本位なんでしょうか。泣いても笑っても、私はただの会社員なのに。

会社員である以上は、まずは目の前のことを積み重ねてわかりやすい成果を出すことでしか、会社に貢献できません。私は経営の経験は一切ないですが、経営者の立場を想像してみれば、理解できたことだったと思います。

入社して1ヶ月。社会人としては、外で感情が昂ってしまったことにはとても反省していますが、この経験をしたことで、改めて会社員であることはどういうことなのか、そしてこれから私はどんなスタンスで目の前の業務に向き合っていくのか、整理できた気がします。ちょうど、GWの前半と時期が重なり、3連休の間で旅を共にした方、旅先で関わった多くの方々にも支えられました。

また、GWの合間でこんなnoteも見つけました。私は、おそらく時間軸も勘違いしていたようです。

そういえば、長期インターンをしていたときの上長に「あなたは自分への期待値が高すぎ!」と言われたり、カウンセリングの先生にも「色々なことに期待しやすいんですね〜」と言われたり・・。自分でも、もうこれで何回目なの?という感じではあるのですが・・。

この相変わらずの不器用さが、自分らしいなと思ってみたり。

もちろん、どうにかしたいなとは常に思っているんですけどね。なんか器用になってしまったら自分の中で大事なものを失うような気もして、うまくコントロールできていないのが現状です。

これからも、勝手に転んで、勝手に這い上がって、勝手に体当たりしながら多くのことを学んで、変化し続けていきたいと思います。それを繰り返していくと、良くも悪くも大人になれるのかな。

そして、日々たくさんの人に助けていただいている分の恩返しを、いつか体現していけるように。そんなことを考えています。

本当に本当に辛くなったときに思い出すこと

とはいえ、また泣きたくなるときもあるでしょう。人はそう簡単には変わらない。長い時間をかけて行動を積み重ね、気づいたときに「あれ、成長してるかも?」となるものだと。USJの入場者数をV字回復させたあの森岡毅さんも、似たようなことを言っていた気がします。

もしこれから先、本当に辛くなるようなことがあったら思い出したいことをシンプルに3つ。冷静さがまだ残っている今のうちにここに書き記しておこうと思います。

1つ目、なぜ今の会社を選んだのかというコアの部分を思い出す。

2つ目、今までに自分と一緒に働きたいと言ってくれた方々、一人一人の顔を思い出す。

3つ目、「自分を安売りするな。」「遠慮するな。」など、これまでに掛けてもらった強気な言葉の数々を思い出す。

詳しいことは省きます。ここに答えが書いてあったらつまらないし、自分の幅を狭めてしまうことになってしまう気がするから。

でも未来の自分であれば、このシンプルな文章だけで、私が人生で一番大切にしたいものに対し、改めて気づきを得ることができるのではないかと思います。このnoteを書いていた時の感情とともに。

人を形づくるのは経験より解釈なのではないか

ここまでで、私の1ヶ月の経験とそれに対する解釈を綴ってきました。この読みやすいとは言えない文章を、ここまで読み進めてくださり、誠にありがとうございます。

いよいよこの文章も終盤へ。私がこのnoteで1番考えたい”仮説”について述べてみます。それが、表題の通り「人を形作るのは経験より解釈なのではないか」というものです。

多くの場合、相手のことを知るとき、または相手が自分のことを知ろうとしてくれるとき、よく過去の”経験”にフォーカスすると感じていますが、私は、その人自身の人生に影響を与えているものは、その経験自体よりも、それをどのように解釈するかが要素として大きいのではないかと考えています。

経験は実際に見たり、聞いたり、行ったりしたことそのものを指し、解釈はその経験に意味を与えるプロセスのことだと私は理解していますが、同じ出来事を経験しても、それをどう解釈するかによって、その後の人生への影響は人それぞれです。個人の価値観や人格なども、経験はもちろん、その解釈の仕方によってじっくりと形成されていくものではないかと思うのです。

有名な話に、エジソンの電球の発明の話があります。エジソンは電球を発明するまでに、数千回もの試みが失敗に終わったとされていますが、彼はこれを「失敗」に終わらせることなく、「成功する方法を見つけるまでに、数千もの方法がうまくいかないことを学んだ」と捉えることで、後世に残り続ける発明を生みました。この話は、経験をどのように解釈し、その後どう取り組むかが重要であることを示しているように思います。

私はよく「生き急いでいる」と言われてしまうのですが、それは、一つの経験からできるだけ多くのことを解釈しようとしている(というより無意識な思考が癖づいている)ことの副作用だと考えています。そしてまたこれも解釈で。笑

人の”変化”において一番重要なのは振り返りだと、個人的には思っています。振り返りは、重要度は高いけど緊急度の低い取り組みなので、他の緊急度の高いタスクに忙殺されると疎かになりがちなんですよね・・。(詳しくは「緊急重要マトリクス」で調べてみてください。)

「何をしたか」ではなくて、経験を通して「何をどう解釈したのか」が人をつくっていく。そんな仮説を持ちながら、今後も意識的に未来の自分のための時間を作ろうと思います。

自分を受け入れて謙虚な歩みを

最後の最後になりますが、ここまで色々書いてはきたものの、私が仕事に関して今描いているものはただひとつ、”あなたと一緒に働きたい”と思ってくださる人を周りに増やしていくことです。(あ、細かいことをいえばもっと色々あることにはあるんですが・・。笑)

この1ヶ月でも痛感しましたが、やはり自分独りでは何もできない。とくに今の私は尚更です。

足元を見ながら、自分に期待しすぎないこと。素直でいること。
定期的に振り返りをして自分の変化を自覚しながら、常に様々なところで溢れ続けている学びを吸収し、まずは自分の「Will」「Skill」「Network」を伸ばしていきたいと思います。

・・・
なんかどこまでも真面目なので、ときにはユーモアも忘れずに。笑

それでは、またお会いしましょう。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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