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大学生活|学生時代を”簡単に”振り返る。

こんにちは。本日もアクセスいただきありがとうございます。

今日は3月の最後の日。明日からはいよいよ新卒として会社に入社します。
ということで、かるーくだけ大学生活の4年間を振り返って今年度を締めくくろうと思います。ちゃんと振り返ろうとすると、濃すぎて今日中に書き切れる気がしません。笑

それくらい、充実した4年間でした。

4年分を全部思いのままに言語化する時間を確保しなかったことは反省ですが、怒涛のバタバタが落ち着く頃であろう?ゴールデンウィークあたりで、時間をかけてゆーっくり振り返れたらなと思います。(多分そのときはそのときでバタバタしていそう。)

そして、毎月書くと決めていたカウンセリング日記の3月分ですが、今月の公開は諦めます。文章を書き出してはみたのですが、今回はいつも以上に内容が結構重たくなってしまって、、表現も結構慎重にしなければと思っているので、もう少し先延ばしにします。次回のカウンセリングが4月29日なので、それまでにアップすることにします。


さて、簡単な振り返りを始めましょう。
あくまでも”簡単に”であって、”簡潔に”ではないので、わかりやすさにはあまり期待しないでもらえたら嬉しいです。笑

まずはじめに、4年間で大学を無事卒業できたことについて、私の場合はとくに、関わってくださった皆さんひとりひとりに感謝せねばならないと強く感じます。レポートやグループワークを一緒にやってくれた同級生、半分幽霊になってしまっていた私に声をかけ続けてくれたサークルの先輩、後輩、仕事で出会った方々、就活で出会って様々な言葉を投げかけてくれた大人の方々、などなど・・多くの人の助けなしには、絶対に卒業することは不可能でした。あまり大学に行かず、村に遊びに行ったり、インターンの仕事ばかりしていた私にとって、この表現は大袈裟ではありません。

この場を借りて、改めてお礼申し上げます。関わってくださった皆さま、本当にありがとうございました。


大学生活というキーワードについて考えてみると、そういえば私が今まで書いたnoteでプチバズりしたのがこれだったなーと思い。。↓↓↓

私と同じように、卒業を間近に控えながら、単位取得に苦しんでいる仲間が他にもいたんだなぁなどとしみじみ思います。このnoteの内容が「単位とるの苦しい・・」とか「単位取るの大事だよね!」という真面目な話ではなく、「4年の後期にもなって限界大学生してるけどでもそれですら学生生活って感じで楽しい!」というノリで書いているので、なんでプチバズってしまったのかは正直謎なのですが、多分タイトルだけみて共感してくれた人がそれだけいたのかなと思っています。

大学生活の4年間の中で経験した多くのことは、間違いなく私の人生を大きく変えました。今記憶にあるだけでも、明確な2つのターニングポイントがあり、それぞれの機会で深い傷を負い、傷を負った分だけ多くの人に手を差し伸べていただき、なんとか這い上がってここまで来ました。本当に本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。

誰かから見たら、ちっぽけな悩みだったかもしれない。理解されないことかもしれない。なんならこうしてそれを明文化する行為に「?」を感じている人がいるかもしれない。

これを読むであろうひとりひとりの感情を想像しながら、言葉を紡いでみています。

孤独だなという感情になることもある中で、自分はひとりでは生きていけない、多くの人に助けられて生きているんだということを、痛いほど感じた4年間でした。

ここからは、どんなターニングポイントに出会い、どんな大きな変化があったのかをサッと書いてみたいと思います。

葛尾村(かつらおむら)とわたし

葛尾村という、私にとって大切な場所について、本当は自分の言葉を使って説明したいのですが、今日この場でこだわり抜いて書き切れる気力があまり残っておらず、引用でお許しくださいませ・・。
客観的な情報から、感じてもらえるものがもしあれば、嬉しいなと思います。

また、私が書いた卒論では、葛尾村をフィールドとした研究をしたのですが、導入として書いた「葛尾村と筆者との関わり」という項目の文章を引用してみます。(卒論のデータ送ります〜と伝えている皆さま、もう少々だけお待ちいただきたく思います・・。申し訳ありません。泣)

2017年、筆者が高校1年生の時、「ふくしま学宿」という福島県主催の高校生向けのホープツーリズムに参加した。その際、東日本大震災の被災地である福島県の浜通りなどを初めて訪れ、当時震災から6年が経過しても、地震によって崩壊したままの建物が被災当時の状態で残っていたり、汚染土が中に詰まったフレコンバックが積み上がっていたりといった現地の状況に衝撃を受けたことをきっかけとして発信活動を始めた。ふくしま学宿での現地経験を活かし、高校2年生次(2018年)には、通っていた高校で必修科目となっていた総合的な探究学習の活動にて、ふくしまをフィールドとした防災や減災をテーマとした研究を行った。この期間、もう一度現地でフィールドワーク調査を行い、東日本大震災の当時の状況、訪問時(2017-2018)の状況、防災や減災の展望について論文やポスターなどにまとめた他、最終的な成果物として、Webサイトを作成し情報発信を試みた。
大学に入学してからも、2020年の夏に復興庁が主催していた復興創生インターンシップに参加をしたり、その後は地域団体に所属しながら、葛尾村での中期インターンシップを企画する学生スタッフとして、2021年の4月〜2022年の3月までの1年間活動したりした。2023年現在でも、2〜3ヶ月に一度葛尾村に訪問しており、長い間関わりをもつ地域である。
これらの経験は、筆者にとって復興プロセスの複雑さと多面性を深く理解するきっかけとなった。とくに、震災以降に葛尾村に移住してきた人、住んでいる地域は異なるものの村に継続的に関わっている人の存在の重要性を実感し、地域コミュニティの再建、経済の活性化、そして文化的伝承にこれらの人々がどのように関与・影響しているかに興味を持った。そして、移住者や関係人口・交流人口と呼ばれる人の活動を知るにつれ、地域の特性やニーズに適応した形での復興プロセスのあり方を探求する必要性を感じた。こうした背景のもとで、移住者の中でも、職業・制度として長きに渡って確立されている地域おこし協力隊に着目した研究を行うこととなった。

筆者の学士特定課題研究論文より

ぶっちゃけたことを言うと、最後の方の研究との紐付けに関しては、論文用に綺麗な文章にしている側面があることは否定できないのですが、

これを改めて読んでみると、私と葛尾村の関係のスタートは、高校生にまで遡ることになります。その期間、約6年。これだけ長きにわたって、ひとつの地域・コミュニティについて思考をしていると、やはり私というひとりの人生の中で重要な意味をもつ場所、というよりは概念になってきていると思います。

最初は「被災地に行く」という感覚だったのが、年月を重ねると「なんかよくわからないけど気づけば定期的に身を置いている」感覚になっています。

「なんでそんなに葛尾に行ってるの?」と聞かれますが、もうそこに明確な答えはありません

行きたいから行く。行かないとなんか落ち着かない。

語弊を生みそうだけど、でもそういうありきたりな言葉でしか、今は表すことができないのかなと思います。とはいえ、このままで良いともあまり思ってはいなくて。。。この辺りは、おいおい整理していきたいところです。

今日の振り返りは”簡単に”と言っているので、諸々すっ飛ばしてターニングポイントだけ書くことにしますが、私がとくに大きな気づき・学びを得たのは、地域団体に所属しながら、葛尾村での中期インターンシップを企画する学生スタッフとして活動した、大学2年次のように思います。

振り返ると、私の社会への意識はここからスタートしています。
この1年の中で、

「〇〇に所属している自分」として身をわきまえる重要性。
「〇〇に所属している〜〜さん」として受ける眼差しへの違和感。

なぜ私がここでお金をいただきながら仕事ができているのか」という問いに対するふわっとした答えのようなもの。

居住人口が400人にも満たず、高齢化がどんどん加速しているような村で、学生が滞在してなにかしらの営みをしている場に、自分がいられることで抱いたたくさんの感情たち。
「なにかを一緒に創りあげる」という経験の中で出会ったたくさんの温かさ、厳しさ

「自分はなぜここにいるのか?」と問い続ける中で見えてきた自分の弱さ。「自分はただの承認欲求の奴隷でしかなかったのではないか?」という絶望的な仮説との出会い

などなど・・。

高校時代や大学1年のときの、ある意味純粋で鈍感な自分のままでは、出会えなかったであろう問いや仮説、気づきや学びを得られた気がします。(今も純粋さは失っていないと信じたいけれど。笑)

正直、ここまで読んでくれている方にとっては、具体的なエピソードが書かれていない以上はよくわからなかった部分も多いのではないかとも想像しますが、

具体的なエピソードではどうしても言語化しづらくて。。こんな感じのまとめ方になってしまいました。。。

もっと聞きたい人は、直接聞いてください!すみません。

”かつらお”という概念と接続し続けてきたこの4年間での気づき・学び、抱いた感情などなど、、はこれだけではありませんが、もうこれ以上まとまらなくなってきたので、今日はここまでにしておくことにします。

今回は、自分に矢印が向いた話ばっかりですが、ひとつのコミュニティについて色々な視点から考察を加えるという点でも、かつらおとの繋がりはとても興味深いものです。

なんか、言語化から逃げている気もするけど、急いで言語化するものでもないかなと。もしかしたら、言語化以外の方法でアウトプットしている未来があるかもしれない。そんなことを思いながらここで一区切りつけます。

長期インターンとわたし

葛尾村での経験を経て、私はビジネスの世界に飛び込むことにしました。キーワードは「経済的自立」です。

葛尾村の経験も含め、学生ながらに社会問題というものに直面しながら、自分の弱さをたくさん知った私は、まずは資本主義の構造の中で自分がどれだけ力を発揮できそうか力試しをすることにしました。

それに加えて当時の私は、年齢に関係なく自分の力でお金を生み出せるようにならないとダメだと思っていて、アルバイトではなくて、もっと実務レベルや経営に近いところで働ける環境を探しました。

正直なことをいうと、インターンシップでの仕事自体は、自分に向いていたと思います。笑

好き・嫌いとか、楽しい・辛いとかそういうのを差し置いて、現代の社会構造における、いわゆる”仕事”そのものが私に向いていたように思います。

私が、2年間のインターンでやった業務内容は、広く浅くでした。ひとつの場所に留まるというよりは、短期プロジェクトから長期のものまで、組織規模は10人以下のスタートアップから上場企業まで、色々な場所で多様な経験をさせていただきました。

こういうと非常に極端ですが、営業とバックオフィス以外は、ほとんど関わらせていただいた気がします。でも、バックオフィスについては、採用やオンボーディング設計、人材育成系のプロジェクトだけは少し関わらせてもらいました。本当にありがたいことです。あとは、偉そうには語れないけど、委託事業のPjMもやらせていただいて、それはコンサルタント的な役回りだったので、強いていえば営業経験になるんでしょうかね・・。わからん。社会的信用がない中で、あまり大きいことを言いたくない。笑

残念ながら、私たちが暮らす社会では、「学生が経験することなんて大したことない」と思われがちだと感じています。でも、この2年間に関しては、私なりにそれなりの修羅場をくぐり抜けてきたつもりです。(?)

そんな中でも、とくに自分の強みを発揮できたのは、設計に関わること(メディアコンセプトやIAなど)、プロジェクトマネジメント(他職種とのコミュニケーション含む)などの、自分が持つ思考力やコミュニケーション能力がいかされる業務だったような気がします(自分でコミュ力あるって言うの好きじゃないですが。)。インターンの性質上、新規事業に関わることがどうしても多かったので、抽象度の高いこと、不確実性の高いことに常に向き合っていました。これらを通して、さらに思考力が鍛えられたと考えています。まだまだ伸ばしたい。

あとは、基本的には目立つのが好きじゃないので、ある種の潤滑油のように、物事がうまく動くように静かに手を動かしているのが好きだったりします。笑

それはさておき、幅広く業務を経験させてもらったことによる弱点は、専門という専門を自負を持って語れないことかもしれないですが、それ以上に、仕事とは何かが漠然と知れて、組織とは何かが漠然と知れて、社会で生きるとはどんなことかを改めて見つめ直すことができたのは、大きな収穫だったと感じています。もちろん、知った気にはなりたくないですが。

仕事自体はとても楽しかったです。自分自身も間違いなく良い方向に変化していくし、できないことができるようになったり、自分の強みが誰かのためになっている実感は、この上ない喜びでした。

そしてなにより、私の大学生活の後半は、仕事をする中で出会った多くのメンターによって支えられました。
趣味:自己分析」みたいな感じだったので、常に「自分は何者か」「生きるって何」とかそういうのを漠然と考えてしまっていたのですが、私が抱えるひとつひとつの問いに真正面から向き合ってくれるメンターが色々な場所にいてくれて、私の言葉に丁寧に耳を傾けてくださったことで、とくに自分は特別な何者でもないこと、だから気楽に、自分の好きに生きてもいいということを少しずつ理解できるようになった気がします。

でもやっぱり、私のやっていたことや仕事に向き合う態度が、どこか犠牲的で、周りを心配させてしまうようなものだったことも否定できません。

常に、自分にも他人にも期待値を高く持って、期待以上のものが返ってこないと勝手に落ち込んで、勝手に色々なものや自分自身を否定して、、そういう認知の歪みが、自分を苦しめていたということに、働くことを通して気づくことができました。

  • 自分がメインで担当していたプロダクト(新規事業)が頓挫した。

  • 自分が作成したクリエイティブがきっかけでクライアントからクレームが来てしまい、社内に迷惑をかけた。

  • ひとりで業務を抱えすぎて、上司に「もう無理です」と泣きついた。

なんてことも多々ありましたが、それがちっぽけな挫折に思えるくらい、自己犠牲的になってしまうこと仕事関係以上の”愛情(認めてほしいという感情)”をあらゆる人に求めてしまうということに気付かされたことが、長期インターンをしたことによる、一番の大きな気づきであり、なんともいえない絶望・・?のように思います。

そして、その原因が家族との関係性にあるということも、長期インターンの経験とインターンを通して出会った方々との対話があったからこそ気づけたのだと思っています。この気づきがきっかけで、カウンセリングに通うことを決断できました。

一旦、冷静にならずにがむしゃらに何かに力を注いでみるのも、未来の自分からしたらちゃんと糧になっているのだなと思うと、学生でありながら仕事をしすぎたことを、一概に「後悔」で片付けることが勿体無い気もするなぁと感じます。(「学生」と「社会人」というくくりで二元論的に切り離して語るのもなんか違和感があるなとも思いますし・・。)

わたしのこれから

私はこの大学生活の中で、なにか賞をとったり輝かしい成果を残したりしたわけではないし、自分主体でイベントを運営してみたわけでもないし、自分がやっていることを具体的に発信してきたわけでもないし、、
ただ、ずっとどこかに所属しながら、その中でがむしゃらに体当たりしてきました。だから、ここまで振り返ってはみたものの、側から見たら正直「よくわからない」ままなんじゃないかなと思うんです。でも、今はそれでいいかなと思っていて。

1年後には、いま頭や心の中にあるものをなにか「表現」できていたらいいなって思っています。そしてその表現の場を、これまでわたしと繋がりを持ってくれた方々が、それぞれまたつながる場にしてみたいです。これは、ちょっとした野望です。

そして、学生時代の振り返りのはずなのに、なぜ学問・専門の話が一切出てこないんだというのは私自身もそう思いますが。笑
それくらい、勉強以外のことも充実していたのだとポジティブに捉えることにします。小・中・高と皆勤だった私が、大学生になって初めて、学校に行かないことを覚えました。これは多くの人から見たら退化かもしれませんが、解釈によっては成長と捉えることもできるのではないかと思います。

明日からは会社の一員としての生活がスタートします。環境は大きく変わることでしょう。でも私は、2~3年は仕事と自分自身をいい意味で切り離して、自身を自身で認めて受け入れられるようになるまでは、今までと変わらず、自分自身に多くのことを問いかけ続けたいと思います。そのために、カウンセリングを活用しているということもあるし。
これからもしばらく、家族との向き合い方、自分の受け入れ方を考えながら、自立への道を歩んでいきます。

本日は、私の大学生活の振り返りにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

生活は大きく変わりますが(いや、あんまり変わらないかもしれないですが笑)、これからも温かく見守っていただけますと幸いです!

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