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カウンセリング日記|② 目の前の人に、何が貢献できるかを考える。

皆さん、こんにちは。本日もアクセスいただきありがとうございます。

実は先週、卒論の発表を無事終えました!とりあえず、一安心。でも、発表で先生方に指摘された部分や、まだ自分で納得した結論まで持っていけていない(というより表現に苦戦している)部分があるので、そこは今月末までに修正をしていきます。でも、無事発表を終えたのは本当に大きなことです・・。(拍手)

さて、そうやってこれまで卒論を中心とした生活をしていたので、毎月更新するといっていたカウンセリング日記も、1月は更新できず、2月もそのまま通り過ぎてしまうところでした。

今月もカウンセリングに行ってきたので、次のカウンセリングに行く前にと思い、カウンセリング日記を書き連ねていきたいと思います。今回も前回同様、1月分と合わせて2回分をまとめて書きます。

ちなみに前回(11月、12月)のカウンセリング日記はこちら。

直近2回のカウンセリングのテーマを大きく2つに分けるとすると、以下のようになります。

①自分が大切にしたい人との関係性を見つめ直す。
これはカウンセリングを受け始めた当初から扱っているテーマで、カウンセリングを受けるうえでの大きなゴールです。すぐに解決できる問題ではないからこそ、長期的な目線で向き合っています。

②いわゆる”社会人”になることへの不安に対処する。
簡単にいうと、大学を卒業して、会社の一員として働くための準備です。これは前回から相談し始めたことなのですが、大切な人との関係性に捻れを抱えたまま、社会人としての目線を受けることへの不安をどうしても拭えず、先生からいろいろなレクチャーを受けています。

自分が大切にしたい人との関係性を見つめ直す。

この1-2ヶ月は、大切な人との大きな喧嘩などは無かったけれど、些細なイラつきとか、冷静な気づきとかはありました。逆にいえば、イライラしてる自分を認知できたり、冷静な気づきを得られたからこそ、大きな喧嘩にまでは発展しなかったのかもしれません。

今年のお正月のこと。親戚同士の付き合いというのは、毎度「家族」という概念についてとても考えさせられます。私の親と親戚は、基本的に韓国で生まれ、韓国の教育を受け、韓国の文化の中で育っています。その一方、私と妹は日本で生まれ、日本の教育を受け、家の外では日本の文化に触れてここまで生きています。この違いというのは、思っているよりも溝が大きく、家族間にいわゆる価値観の違いというものを生み出します。いや、価値観の違いという言葉だけでは本当は片付けたくないくらいです。なんなら、価値観だけでなく、政治観や倫理観も影響されます。

これまで私は、“大切な人”のことを家族だと思って生きてきました。そして、それ自体は多分間違っていないのですが、私が前回から今回のカウンセリングまでで認識を変えたのは「家族である前に他人である」ということです。

それまでの私は、「家族は何にも替えることのできないかけがえのない存在であり、無条件の愛で繋がっている」と思っていました。しかしそれは、私にとっては明らかに幻想でしかなかったのです。(もちろん、無条件の愛を否定しているわけではありません。あくまでも私の考えでは・・ということです。)

この事実を腹落ちさせるまでに、私は何年の歳月をかけてしまったのか…。でも、そのくらい家族の結びつきは無意識に固いものだと思っています。いつまでも、どこまでも、子は親に愛されたいと思うものです。(少なくとも私はそう考えています。)

ただのカップルであれば、きっぱりと別れを告げて二度と会わなければいいのかもしれない。でも、こういう大切な人との関係性は、身内だからこその難しさがあるのだと感じています。

認知を変えたことの他で、イライラを少なくする原因があるとすれば、それは大学の卒業が近づいていることだと思います。大学を出れば、それまでなかった経済力の面でしばらくは安定を得ることができますし、今までは特定の関わりしかなかったものが、多少は広がることになるでしょう。

最近は、自分の興味領域の仕事をしている人との交流会に顔を出してみたり、今まで行ったことがないところに旅行したりしようと考えています。もっと広い世界に出ていくことで、私自身が少しずつ良い方向に変わっていくのを感じています。

いわゆる”社会人”になることへの不安に対処する。

ただ、ひとつの問題が解決しようとすると、また新たな不安が出てきてしまうのが私らしさというか。それとも人である以上は避けられないことなのか・・。

いくら認知を変えることができたとしても、それは完全な治療ではありません。これまでの22年間で負ってきた多くの傷や記憶が、4ヶ月ちょっとのカウンセリングで完全復活するなら、誰も苦しい思いをすることはありません。なので、大切な人との関係性を拗らせたまま社会人になることには変わりないのです。

カウンセリングの場では、そういった自分が持つ不安を、慎重に言語化しながら素直に打ち明けていきます。

そして、対話を通して先生にコメントをいただきながら、レクチャーとして、日々の実践で使える具体的な思考のフレームワークを教えていただきました。まずは、小さな目標を持ってトライしてみること、認知の仕方をインプットして、それを用いたアウトプットを少しずつ積み重ねていくことが大切とのこと。要は「トレーニング」です。

私が今回教わったのは、メリデメ(ProsCons)、問題解決、PDCAの3つのシンプルなフレームワークです。

メリデメはその名の通り、ものごとのメリット・デメリットを考えて検討するフレームです。シンプルだからこそ、意外と全ての可能性を検討してそれらの効果やリスクを考えることは難しいものです。実際、日常生活で意識的にやってみると、普段どれだけ私が直感的な意思決定をしているのかがよくわかります。でも、そこに正しいとか正しくないとかはない。あくまでも認知をすることが重要だなと思いました。

問題解決のフレームワークについても内容はとてもシンプルで、問題設定を起点として、原因を分析し、課題を定義し、対策や解決法を導いていくというものです。ここにおける重要なフェーズは1番初めの「問題設定」にあるそうです。事例でわかりやすいのは、近年とくに世間で騒がれている「少子高齢化」なのかなと思っています。

この事例において問いたいのは、「少子高齢化は社会問題なのか?」ということです。私は常々思っているのですが、少子高齢化って問題というより現象でしかないですよね。少子高齢化に社会の制度が追いつかないことによって起こる「世代間の格差」とか、「GDPが〜〜」とか、「担い手が〜〜」などが問題なのであって、実際それらの問題に対する課題設定や解決へのアプローチは異なります。これらを理解しないままに、単に「子供を増やせばいい」みたいな発想になると、解決手法は呆れるほど短絡的になる。だから色々とうまくいかないんじゃないかなと思うんです。

クリティカルな問題設定、課題定義をできる人って実はそんなに多くない。多くないからこそ、世の中には様々な問題で溢れ返っている。先生のレクチャーを聞きながらそんなことを感じました。私自身まだまだ未熟ですが、問題設定に頭をしっかりと使っていくことで、自分をとりまく様々な問題に対する解決プロセスを身につけていきたいと感じました。

PDCAもビジネスでよく言われています。「素早くPDCA回そう」とか、そんな感じで。ここではリクナビさんの画像をお借りします。

リクナビNEXTジャーナル:
PDCAとは?PDCAサイクルの効果的な回し方、成果を出すポイントを解説
https://next.rikunabi.com/journal/20220608_%EF%BD%8D01_s/

ただ、今回学んだのはこのサイクルの具体的な中身です。PDCAのサイクルを、あえてPlan、Do、Check、Actionという言葉を使用しないで表すとどうなるか。私は、先生との対話を通じて以下の図のように整理しました。

PDCAをさらに分解して考えてみた図

これでもまだ粗いとは思うのですが、分解して考えることで、Planの比重が大きいことがわかります。これは先ほどの問題解決のフレームにも通ずることですが、やはり問題設定に頭と時間を使うことの重要性がよくわかる気がします。もちろん、ただ時間を使うだけではダメで、情報収集の手法や分析手法も賢く選択する必要があります。問題解決のフレームをこのPDCAサイクルに組み込むことで、より精度の高い試行錯誤が可能になるのだと思っています。

今回これらのフレームを学んだのは、私が様々な不安を感じた時に、それに対処するためです。社会で会社の一員として働くという選択をした以上は、ある程度身をわきまえておく必要があると思っています。不安や壁に出会ったとき、ただ漠然と不安に駆られて自己嫌悪に陥るのではなく、自分の方向性を自分自身で決めてあげるためのトレーニングの準備です。

まずは情報収集として、事象を観察したり、いろいろな人の話を聞いてみたり、調べたりして、それをもとに自分なりに考えてみて、試してみて。

もし失敗したら「向いてない」か「改善の余地がある」ということでまたサイクルに戻れば良いし、上手くいったらそれが自分に「向いてる」こととして認識して、それを強みとして目の前の人に何が貢献できるか考えることが重要なのだと。レクチャーを受けて、すでに実践に移し始めている今の私はそう感じています。

と言いながらも、そんなスマートさはすぐには身につかなくて、勝手に自分で苦しんでいる未来も想定内ではありますが。笑

まとまらなくなってきたので強制的にまとめます

正直にいうと、私は理想や目標を高く掲げて、それができなかったらすぐ自己否定に走るみたいな思考のクセがずっと抜けなくて、そのせいで多くの人にたくさん迷惑をかけてきたし、傷つけてしまった人たちも少なくないと思います。

その原因の根本は、自分を認めてあげられないことにあったのではないかと、今は考えています。自分が大切にしたい人との関係性を見つめ直す前、つまりはカウンセリングに通う前、どうして自分を認めてあげられないかという理由は、頭ではわかっていました。

自分にとってとてもとても大切な人に「私のことなんて産まなければ良かったのに」とか「こんなに自己肯定感の低い娘に育てたことを一生後悔しながら生きてほしい」とか、私はそういうことを平気で言葉にしてきました。

その度に大切な人を泣かせて、悲しませて、傷つけてきて。今でもなお、大切にしたい人の顔を見るたびに、優しさを感じるたびに、毎日毎日申し訳ないと思って生きていることは否定できません。

でもそれ以上に、私は自分で自分を苦しめることしかできなかった。産み落とされた自分の命に、この奇跡に、感謝することができなかった。だから自分を認められなかった。

最近はこれらの認知の歪みが取り除かれてきたと思っていますが、私が乗り越えようとしているのは、このなんともいえない苦しさなのです。

ただ、私には考え続けることを楽しむ才能だとか、周りの人が手を差し伸べてくれる環境だとか、たくさんの賜物や愛を感じることができていることもまた事実です。日々、人に、環境に、生きていることに感謝できることの幸せというものも同時に感じているのです。

カウンセリングに通ってから、こういったポジティブな感情を、自分で素直に認められるようになってきているとは思います。この変化は、過去のnoteの文章でも感じていただけるのではないかなと思っています。

今は自分が持っている能力を育てていき、それを存分に発揮して、最終的には社会に対して貢献していきたいと本気で思っています。タイトルにある「目の前の人になにが貢献できるかを考える」というのは、その社会への貢献へのファーストステップです。

まずは、目の前にあるやるべきこと・やりたいことに誠実に向き合い、目の前にいる人たちのために自分が何ができるかを考えて実践し、失敗と改善を繰り返し、学び続け、自分が他者に与えられるものを積み重ねていくことに集中します。

そして、これも仮説・試行にすぎません。

カウンセリングの度にこのように振り返りをし、自分の変化を感じ続けるための小さな活動を続けていきたいなと思います。

過去最高に長文となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。これからも、温かく見守っていただけますと幸いです。


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