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またクラシック音楽を愉しめるようになった!!

昨日、ふと気が付いたんです。
「わたし、クラシック音楽を以前のように、そして以前よりも増した感受性と共に愉しめるようになっている!!!」って。

今の生活に身体が馴染んできたから?
なにか自分の人生で乗り越えたものがあるのだろうか。

少し前まで、クラシック音楽、とりわけ自分が関わったことのあるピアノ曲を聴くと苦しかった思い出が脳裏に鮮やかによみがえり、普段封印していた筈の、彼方にあるような記憶すら呼び起こされた。
こんなこと言われたな、あんな出来事があったな、
精神的に潰れそうだったな。などなど。

それがとんでもなく悲しかった。私はもうクラシック音楽を愉しめないのかな、避けるべきなのかなとすら思えた。
英語の勉強になるしっていう理由で、洋楽ばかり聴いていた最近。

のに!!!!!!!!!!!!

なんと!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ふと聴いてみたの。なんかこんな曲あったよなーみたいな軽い感じで、ちょっと聴いてみるかな、といった具合に。そしたらさ、もうさ、いやぁクラシックってやっぱり良いわ、最高!!!!!!となりました。

そして気付いたんです。あれ、暗い気持ちを思い出さなかったな、今。と
また愉しむことが出来るようになっているじゃん!!と。

今なら言える、わたしの趣味は、クラシック音楽鑑賞です!
どんな音楽が好き?って友達に言われたら、迷わずクラシック音楽!特にピアノ曲!!と言います。
うれしいなぁあああああああああああ!!!!!

最近のマイブームは、夜寝る前に、部屋を真っ暗にして自分の大好きだった楽曲に心の底から耳を傾けること。(あれ、心に耳なんてないけどな笑)


クラシック音楽は経験、とよく言う。
人生経験が増えるにつれて楽曲の本当の意味や作曲者の想いを身に染みて感じられるようになる。巨大な精神の世界だからね、クラシックって。

昔、音大生の頃、和声の先生が
「子供にね、ピアノが弾けるわけないんです。だってあの子たち分からないでしょう」
と仰っていた。

背伸びしてたくさん難しい(テクニック的にも、解釈的にも)曲をわたしは何曲と勉強してきたけれど、今聴いてみると、
「あれ、わたしこんなに難しい曲弾いていたんだ」
と思ったり、
「あれ、この曲ってこういう内容の曲だったんだ。わたし、理解していたつもりだったのに全く分かってあげていなかった。情けない。」
と思ったり。

今はもう技術は衰えまくっているけれど、自分の理想とする、心の中に流れる音楽はもう全然違うのではないかな。

マレーシアではクラシック音楽に触れる機会がない。
嗚呼、将来、またピアノを弾きたい。まずはすっ飛ばした、二年生の後期試験で弾く予定だった "リスト/二つの伝説" を自分の中で納得の行く完成度までもっていき、誰かに聴いて貰いたい。
うーん、私は日本に帰るべきなのかしらね。(早すぎる結論)


個人名を出しても良いものか分からないけれど、この子はかなり有名な子なので大丈夫でしょう。

私にとってのピアノ全盛期、住んでいる地域が近かったからか、よく森永冬香さんという方と受けるコンクールが被りました。

そして、冬香ちゃんはいつも選ばれ、一位でした。

当時、わたしはとても尖っていたので、どれだけ自分の精一杯の演奏をしても永遠に届かない冬香ちゃんに対して嫉妬と言うか、悔しいというか、そういう良くない感情を抱いていました。
冬香ちゃんの演奏を素敵、ともその当時は思わなかった。

自分よりもはるかに技術があって、音量があって、パワーがあって、何ていうか舞台を自分のものにする冬香ちゃんの演奏は、音量がなく、よーく聴くと綺麗なんだけどインパクトに欠ける、繊細な私の演奏とは対照的でした。だからこそ、同じ土俵にいたら勝ち負けよりも、あの子の演奏を良しとされて私のはダメなのだと、勝手に自分を否定していました。

たまたまね、Youtubeで冬香ちゃんの弾くベートーヴェンのソナタ「悲愴」を聴いたの。

わたし、彼女に対して酷かったなぁって。
その演奏を聴いてまず、あれ、悲愴ってこんなに音に意味があって、心揺さぶられる曲だったんだって驚いた。この曲は小中学生が練習として弾く曲だからか、もう耳だこで、敢えて普段聴きたいと思わないものだったのに。
こんなにいい曲だったんだって、衝撃でした。
ベートーヴェン三大ソナタの一つにノミネートされているのにも納得。

そして、冬香ちゃんは私の中で、なんでも上手くいっていて、いつも一位で、わたしの悔しさなんて分からないだろうなんて決めつけていた事に対し大いに謝罪しました。(あ、因みにこの子とちゃんと喋ったことはありません)

優秀な人でも、深い悲しみや、挫折や、様々なことを味わっている。
そのうえで、自分との闘いに勝ち続けている人。常に音楽界の表に名を残し続けている人。

そして、音楽好きなんだろうな。とそのピアノの音から感じられました。


私も人生の中に苦しかったり、もうすべてを終わりにしたかったり、
そんな時期があったけれど、
生きていて良かった、と思える瞬間って本当にあるんだね。

自分の人生経験があるからこそ、この感受性と共にクラシックを愉しめるわけだし、感じるものは自分だけのものだし。


ということで、このブログの最後は最近よく寝る前に聴いている曲を羅列して終わります。良い曲たちなので、ぜひ。

・ドビュッシー/前奏曲第一集より「沈める寺」
これはフランス、ブルターニュ地方に伝わる伝説が元になった作品。
水の底に沈んだはずの教会が浮かび上がってきて 鐘と賛歌が鳴り響き これは現実なのかと思った瞬間、また教会は静かに水の底へと消えていくのでした。という魅力的な曲です。

・ドビュッシー/「版画」より グラナダの夕ぐれ
スペイン、グラナダはイベリア半島最後のイスラム王朝の首都だった場所。
妖艶な和音と、ずっと鳴り響いている左手のハバネラのリズムがなんとも堪らない。。

・ラヴェル/「夜のガスパール」より オンディーヌ
ラヴェルの色彩感がとても好きだと思える作品。これね、ものすごく技術的に難しい曲なんですよ。オンディーヌ、とは水の精、という意味。
わたしのイメージでは、こうです。
"空には満月が輝き、誰もいない街頭を照らす。そこに人影はないものの、月明かりに照らされて、だれかの影だけが不気味に、美しく動いている。。"

・リスト/「巡礼の年第3年」より エステ荘の噴水
は~~~いイタリアで~~~~す!!という元気な曲ではなく。リスト晩年の作品。美しい水の描写と、この世から離れた、どこもかしこも現実味のない流麗な曲。と思いきや、中後半の方でリストらしい一部分が顔を出すと、あぁ彼がそこにいるんだという安心感があります。
私が高校一年生の時にこの曲に挑んだ際、先生に
「すごくきれいに弾いているけれど、自分自身が噴水にならないでくれる?」と言われた。
(約: エネルギッシュに弾きすぎ)

・メラルティン/ 組曲「悲しみの園」 Op.52より 雨
フィンランドの作曲家。とてもマイナーで短い曲ですが、精神に深く落ちてくる雨粒の描写にいつも涙してしまう。
この曲は、舘野泉さんの演奏に限ります。間の取り方や音色が自分好み。





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