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四つ下の、尊敬する友だち

心理学の授業で、一概に"知能”と言えどその測り方は様々であり、そもそも知能、とは何を指すのか定義は様々である、ということを学んだ。


漠然と、頭の良い人になりたい、と思うここ最近。


19歳、大学一年生の頃iPhoneを親に買ってもらってからネット中毒になった。うつ病の悪化で本を読めなくなってから、YouTubeやTikTokやらで時間を潰し、じっくりと何かに向き合う時間はなくなっていた。

情報の少なかった中高時代、楽譜を読み作曲家と対話するあの時間。
隙間時間を読書に費やしたあの時間。
嗚呼、あの頃の自分に戻りたいと感じるこの頃です。


昨日、語学学校時代からの四つ歳下の友人に会いました。大学、学部違うけれど、彼女もまたマレーシアの大学一年生。

彼女は170cmほど身長があり、お顔も小さく会うたびに美人だなぁと感じる。然し、飾り気が全くなくいつも眉毛とリップだけのシンプルメイク。服装も質素で、いつもジーンズとなにかTシャツを着ている。

大変な読書家で、神羅万象あらゆる物事に対し自分の見解を持っており、誰かが正しいと思う事よりも自分の正義に従って生きている。
これって当たり前に聞こえるけれど実は勇気がいることだと思っている。こうしなさい、って誰かが言うことに従う方が簡単だと思うんだ。失敗したら誰かのせいに出来るし。

そして彼女は、本当に頭がいい。
賢い子だな、こんなに頭のいい子に出会ったことないな、と彼女と話していていつも思う。昨日もそう思った。
これこれこうだから彼女は頭がいい、と説明するのは難しいが、話す力、聴く力、そして感じる力が優れていると思う。

語学学生のころ、私があと一か月で卒業というタイミングで彼女は入学した。私たちが同じクラスで学んだのは約四週間のみ。しかも午前中のクラスは別々だったため、午後の数時間だけ、一か月。

私は当時22歳。彼女は18歳。

初めての会話を覚えている。私があまりにもその子が美人だったために声をかけました!っていうのは主な理由ではなくて、授業中ずっと不安そうでついていけない場所があり、悔しそうな顔をしていた彼女が、学校に入ったばかりの自分と重なったから。
私が入ったばかりの時も、同じクラスの日本人の子が色々と教えてくれて買い物にも付き合ってくれてとお世話になった。リスニングが一問も解けなかった、会話に入れなかった、そんな中で日本人のクラスメイトが励ましてくれた。その恩があるから、私になにかできれば、という些細な理由。

「一緒に帰ろう」と2人で帰路についた時、その子ね、いきなりタメ語 with 関西弁で話してくれたの。
この件に関してはまぁ賛否両論あると思う。海外に出たら日本の上下関係って崩れがちで、年齢もさほど気にしなくなる。あの子が年上で年下で、と分かっていても案外喋ってみたら普通に友達になれる。
然しながら、海外に居てもなお日本人としてそれらを守る人たちもいる。先輩は先輩、後輩は後輩。海外に出たからって突然その仕来りを取っ払うのは生意気だという意見もあるらしい。

私はと言うと、その点寛容だった。自分は最初敬語で相手に話しかけるけれど、タメ語で話してもらうのは寧ろ嬉しかった。

自己紹介をしていくうえで、私が音楽大学を中退してきたことや、22歳であることを言うと彼女は驚いてはいたが、知る前と知った後で何かが変わるかといえばそんなことはなく、タメ語を継続してくれた。

私はそれが嬉しかった。
この瞬間にこの子とは仲良くできると思ったんだ。
音大を中退してきたというと、ほとんどの子は「お嬢様」やら「すごい」と言って私から距離を取り始める。
すごい、と思われるのは良いけれど、別に音大生だからすごい、とは思わないし、そう思ってほしくない。東京に行ったら音大生はゴロゴロいます。

今まで私は普通ではない人生を歩んできた。
中高一貫、女子校、音楽科。クラスメイトは六年間変わらず、19人。

ずっと普通になりたかった。一日でもいいから、部活をして、共学で男女のいざこざ?があって、文化祭があって体育祭があって。
そんな普通の人生、歩んでみたかった。なんて大っぴらには言えないけれどね。
毎日練習室に籠って、レッスンに向けて練習して、コンクールを受けてはまた練習に戻る夏休み、冬休み。海外旅行に行ってもその先でピアノを借りて練習。

人との関り、が私には徹底的に不足していて、だからこそ友達が欲しかった。そしてやっと同い年の、音楽以外の友達が出来た!と思っても、経験してきたことや歩んできた人生が違いすぎて、さてどんなテンションで話せばいいのかがお互いに分からないなんて良くあること。

これが私はとても寂しかった。
私は普通じゃないんだって思い知らされた。私の居場所はもしかしたら音大以外になかったのかも、とも思ってしまう瞬間だった。

然し、彼女はそんなことなく、私と壁を作らずに話してくれた。
きっとこの子も、何か頑張ってきたことや挫折したことがあるのかなと想像できた。同じ位置に立って私に話そうとしてくれたのが、とても嬉しかったな。

IELTSを同じ時期にとって、同じ時期に大学一年生になって。

私はマレーシアに来て、疲れた、を言い訳に「悔いはない!」と言い切れない日々を1,2学期過ごしました。
薄々自分がサボり気味であることに気付きつつも、まぁ留学生だし?異国に住んでいるし?頑張れないのも仕方なくない?みたく言い訳していました。

そんな二学期の終わりに彼女に合って。うん、反省した。

19歳、親元を離れ自由になって、少しでも遊びたいという気持ちはないのだろうかと不思議になるほど、彼女は精一杯難しい授業についていっている。
「親に高いお金を払ってもらってマレーシアに来た。私は全力で勉強したい」と熱意に満ちていた。

周りの子たちに「そんなに勉強してないで~遊ぼ~」と言われて何か心に引っかかるものがありながらも、友人関係大事!と遊びに行き疲れ果てていた自分。まぁ、そんな時間も大事だったのかなともう。
でも心の底に、勉強に集中したいなという気持ちがある。そして、それが自分らしいのかもしれないとも思う。

次の学期からは、素直に、自分の心に従って過ごしたいと思います。

悔いはない。頑張った。そう言えるように。




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