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『誰かがきっと見ていてくれる』(いもうと)

あねへ


あの子の好きな曲をプレイリストにして聴いています。「アンパンマンマーチ」から始まります。「アンパンマンマーチ」も「手のひらを太陽に」も、なんて切なく厳しい詩だったのでしょう。平易な言葉で本質を突く、やなせたかし。

いま、あねがいるという、生き地獄。



「生き地獄」。何という言葉だろう。何という苦しみだろう。
私たちの父親が60を過ぎて亡くなったとき、私はもう成人していたし、親が子供より先に亡くなるのは仕方のないこととして、死は受け入れられた。たくさんの後悔は、今もあるけれど。
でも、息子に先立たれてしまった母親である、祖母にとっては「仕方のないこと」ではなかったんだ。その項垂れてまあるい背中、悲鳴のような鳴き声、父を名前で呼ぶ声に包まれた祖母の悲しみを、私は全然わかっていなかった。祖母にとっては還暦を過ぎて髪の毛は白髪の、いい年齢の大人の死ではなく、やわやわと頼りない体の頃から愛して慈しんで育てた、いくつになってもかわいい息子の死だった。
一度も子どもを産んだことのない私には、あねや祖母の悲しみは、どこまでいっても想像でしかない。


想像してみる。子どものいない我が家の鎹は、甘ったれ、臆病者、人見知り、食いしん坊、大食らい、運動音痴、かまってちゃん、寝坊助、宵っ張り、寂しがり、の来年10才になる猫です。昨年手術をした後に体調を崩し、まだ深刻ではないものの、ゆっくりと腎臓が弱ってきています。
私は絶対に彼より長生きをして彼を看取らねばならないし、いつか来る最期の日まで、かわいいね世界一かわいいねと繰り返し、文字通り猫可愛がりをするのだと決めている。
でもその日。その後。
それは想像するだけで鼻の奥が痛い、いくら覚悟をしても、いくら万全の介護ができたとしても、悲しみや寂しさや後悔という言葉の意味など軽々と超えた、重い感情と向き合うことになるのだと思う。

猫のもふもふしたお腹の毛に顔を埋めながら、「愛別離苦」という言葉を思った。
愛した先には必ず別れを用意しているなんて。愛情を向ける喜びだけではなくて、深く深く愛するほどに、より悲しみと苦しみを連れてくるなんて。むかしの人は、「かなしい」を「愛しい」とも書いたという。
それでも私たちは愛しいものを、愛さずにはいられない。
生きる理として。


想像することしかできなくても、あねの悲しみや苦しみや喪失感を、ほんとうに理解することはできないとしても、私はあねの心に寄り添いたいと思う。私だけじゃない、そう思っている人は、たくさんいる。

お腹もすくし、眠たくもなるし、笑うこともあるとあねは言うので、よかった、と思います。
あねが毎日泣き暮らし、物も食べられず、眠れず、何にも心が動かされない日々を送ってほしい、なんて決してあの子の本意ではないと思うので。そして、食べながら眠りながら、笑いながら、同時に悲しいことは、ふつうのことです。
あねの体が生きようとしていて、よかった。
私はあねと、まだまだこちらの世を生きてみたい。


片山令子の詩の一節を贈ります。

いいことばかり、あるわけじゃない。
霧のようにきえてしまいたいと思う時。萎れたキャベツのように悲しい時。でも、そこから逃げないで立っていると、誰かがきっと見ていてくれる。何もしてくれなくても、何も言ってくれなくても。
そしてわたしのように、いつまでも忘れないでいるのだ。誰でも自分のことはよく見えない。ひとがあなたの知らずにこぼれ落とした宝石をひろい、持っていてくれる。何も言わない、瞳の中にいれたまま。
——『誰かがきっと見ていてくれる』

見ていてくれるのは、父であり、祖父母であり、あの子でもある。
私たちはきっと、互いの涙や嘆き、言葉、こぼれ落とした宝石を拾いあって生きていける。


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