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納豆トーストを食べながら

朝は米と味噌汁!って、
自分の中では朝食として最高!とおもっていたけど、
最近は、朝昼兼用の納豆チーズトーストが美味しくてたまらん。
納豆に醤油を垂らして、ネギを混ぜて、厚切りのトーストに乗っけて、(本当は納豆を乗っける前にトーストにバターを塗るのが正統なんだろうけど)個包装のバターを納豆の上に一個のっけて、さらにとろけるチーズをたっぷり乗っけて焼くだけ。トースターなど出しません。グリルでじゅうぶんさ。ホットミルクと共にいただきます。

あれは体に悪い!これは老化を早める!などなどの健康神話があまりにも世に溢れていて、口にするものにいちいちビクついて暮らしてたけど、
誰が制限していたわけでもない。たくさんの情報を取り込んで、自分で自分を縛ってたんだよね。
料理にしても同じ。
そろそろ一から十までしっかり調理することがあるべき姿!という思い込みからも解放されても良いんじゃない?
ちょっとだけ手を加えて、わあ😍美味しいーって思えたら食べ物も良いエネルギーになって自分を作ってくれると思う。

お金もしかり。
同居人が「お金こそ最も頼りになるもの。お金さえあれば人生は安泰」と常に口にしていたが、
人生で使いきれないほどのお金を手にしていても、常に失うのこと不安から解放されることなく、使う喜びもなく老後を迎えようとしている。
その反動か、反発からか、私は極端に節約したかと思ったら、次には信じられないくらいの大金をつまらないものに使い果たすということを繰り返していた。
同居人の姿は何を隠そう、無くなる恐怖に怯えている私だったのか?

カードやアプリが決済に使える便利な世の中になった時、私は使った金額が把握できなくなり散財しまくるんじゃないか?と、不安に思っていたが、それこそが私の心の反映だった。
2拠点生活をきっかけに、現金は最小限持つことにした。今、わずかな現金とSuicaとクレジットカードとPayPayで日々の買い物をしているけど、特に浪費をしようとは思わないし、1ヶ月に使える現金が目の前で減っていく恐怖に怯えなくてもよくなった。
恐怖は自分が作っていたモンスター。
母子家庭で育ち、私の家は貧乏なんだという不安のせいで、部活のユニホームのお金さえ言い出せなかった。密かにバッジを作ったり、修学旅行で買ってきたお土産などを学校で友達に売ったこともある。
お金に対する執着は同居人よりもむしろ私の方だったのかもしれない。

来年はいよいよ年金生活に入るわけだけど、猫4匹と人間一人なら年金でやっていける。もともとブランド品や高級リゾート地には興味ないし。
ただ、健康な心と体の維持のためにはお金を惜しまない。習い事や趣味も縮小しない。
生まれて初めて一人暮らしをしている64歳が、越し方と行くさきをふと考えた朝だった。

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