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映画「キャラクター」を観た


何とも後味の悪い映画である。


誤解を招くといけないので断っておくが、むしろ、その後味の悪さを味わうために観てほしい。今も若干の”救いのない辛さ”が、頭の片隅に居座っているけれど。

俳優陣の演技は、抜群に素晴らしく、ストーリーも文句なしに面白い。ウォン・カーウェイのフィルムを彷彿とさせるような、怪しく美しい映像美も堪能できる。

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ガード下の色彩、無国籍で猥雑(わいざつ)とした雰囲気の飲み屋街のシーンは香港映画のよう 


「いい奴には悪人は描けない 自分にない要素だから」


創作を生業とする山城には、理解しているがゆえに耳が痛い言葉だっただろう。

「絵は上手いのに、リアリティーがない」と漫画家アシスタントから独立できない山城圭吾役は菅田将暉。つい最近までドラマ「コントが始まる」で夢を追うが報われない芸人を演じていた。「コント~」では、昨今のドラマで主流になりつつある派手なリアクションや、決めゼリフはない。でも時折、はっとするようなフレーズと、素朴だがていねいな演技に心をつかまれたばかり。

「才能がないけど、悪が入ることでキャラクターが描けた」


光の当たらない場所にいた山城が、引き寄せられたかのようにして目にした凄惨(せいさん)な殺人現場。事件をきっかけに創作のヒントを得て、何者かに憑りつかれたように描き始める。

机に置いた鏡で自分の顔を見ながら、目撃した犯人の顔を描いていくその様子に「憑依型」とされる菅田将暉の底力を見た。


藤井風のプロデュースで知られる 小島裕規“Yaffle”の映画音楽


山城が住宅をスケッチする場面から、家の中へ入り殺人現場を目撃するまで、流れているのは耳をつんざくような大音量のオペラ。幸せの象徴である4人家族が愛聴していたのだろうか。場面展開で、バスドラのキックが響き渡る「キャラクター」が流れるのは絶妙だ。

低音が心臓にズシンと響くバスドラのキック音とシンセベースは、スネアのリズム、緊張感のある不協和音を奏でるストリングスとともに、各所で効果的に使われている。不穏な雰囲気を演出するシーンでは、4度で動くコードや、管楽器の使い方に”ゴリゴリの現代音楽”を学んだYaffleを感じた。





中村獅童と小栗旬が、刑事の先輩後輩を演じるのも見逃せない

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小栗旬が扮する清田刑事もいい。前回、劇場で観た映画が「罪の声」だったこともあるが

「道に迷ったら、誰だって遠回りするだろ」

「人間の行動には、必ず性格が出る」

「殺人事件には終わりがなく、家族や友人は一生背負っていく。だから真実をつかみたい」

と名ゼリフが相次ぐ。

物事の真相を追求する清田の姿は、彼が「罪の声」で演じた新聞記者の阿久津と重なって見える。山城に「本当になんにも隠してない?」と聞く顔は、ますます阿久津ぽく見えた。対象の懐に入り込もうと、とことん山城に寄り添うのだが…。


セカオワのFukase演じる無邪気な狂気が怖い

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両角(Fukase)が初めて山城の前に登場した際、左手で握手をする。通常、握手は右手でするものだが、あえて左手でするところに不気味さを感じた。チック症のような動作と、目が笑っていないのに無邪気な話し方をするFukaseの演技が怖い。(両角は白コンバースに緑ジャージといういでたち)

「マンガの中で楽しんで殺してるのに、何が違うの?」

両角の自宅の壁には「34」の切り抜きと並べて、自分の殺害した死体のポラロイド写真を並べて貼っている。マンガの中での猟奇的殺人を、3次元で再現しているのだ。

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サイコパス殺人鬼、両角の自宅の壁画はセカオワFukaseが描いている


4人家族は幸せの象徴


「本物の家族(血縁関係の親子)でないとダメ」

山城の家族はステップファミリーだ。両角は彼の継母と異母兄妹に対して、血縁ではないことにこだわり、冷たく言い放つ。

無戸籍で育ち他人に成りすまして、社会の底辺で生きてきたと思われる両角。彼の成育歴や人格形成の経緯は明かされない。劇中では辺見との関係性も、封書のやり取りがあったことぐらいで、深く掘り下げられることはない。

「4人家族じゃないと、ダメなんだよ」という言葉にみられる彼の悲しみや異常性も、あえてクローズアップされない。ただ淡々と、マンガの筋書き通りに”幸せそうに見える”4人家族が殺されていくだけなのだ。


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「どうして隠してたの?」


清田刑事に全てを告白した山城は、デジタル作画ツールを片付け、再び紙とペンで最終話を描く。書き上げた原稿は妻に「読んでくれ」と見せる。連載始まって以来の原点回帰だ。

「ひとの中身はわからねーよ。だから社会は怖いんだ」


個人的には「34」最終話で、サイコパス猟奇殺人犯にも「救済」が与えられることを期待していた。しかし…。


「お前は誰だ」(清田)

「ぼくは誰なんでしょうか」(両角)


印象的な台詞(せりふ)だ。

インターネットやテクノロジーの進化で、リアル(現実)とヴァーチャル(虚構)の境界線は、かなりぼやけて見えるようになった。


SNSではアカウントを使い分けている人も多いはず。違う顔を持ち、演出することで、自分の中のバランスを取っているのかも知れない。人間の多面性を実感すると同時に、いくつのも顔を持つ自分は一体誰なのか?時折、見失いそうになる瞬間はないだろうか。


誰の中にも、弱さや悪意は潜んでいる。醜い感情にはフタをして、自分でも気付きたくない部分であることは間違いない。


異常な体験は作品の素材か

ただ、ふとした瞬間に、山城にはスイッチが入ってしまった。本当なら目を背けて見ないふりをする悪を、容赦なくえぐり出して見つめ、作画用紙へ向かう山城。自らを削り、絞り出して作品へ昇華させるのはクリエイターの性(さが)だろう。それはある意味、人間の業(ごう)を描いているのかもしれない。


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山城は言う

「正しいことは正しい 悪は滅んで善は勝つとマンガは言える」




インテリアショップで談笑する妻。物陰から、何者かの視線を感じさせるカメラワーク。

エンドロールが終わった後、ナイフを研ぐ音が聞こえる。まるで、この後に起こる不穏な未来を描写しているようだった。続編もあるのだろうか。

サイコパス殺人鬼に、救済を願うのは筋違いかもしれないが、一縷(いちる)の望みを託したいと思う。



画像引用:(C)2021映画「キャラクター」製作委員会
https://character-movie.jp/index.html




「罪の声」など 映画の感想を少しだけ


メインの記事はこちら 藤井風さんのこと、いろいろ書いてます


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