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【ドイツ②】 バウハウス宿泊レポート|デザイン界のホグワーツはどんな学校なのか?


名前は聞いたことがある人も多いのでないだろか、バウハウス。
なんとここは宿泊可能!

ということで、泊まってきたので
バウハウスレポート。

「バウハウスってなんなのさ?」という人向けに概要も紹介しながら書こうと思いつつ、詳細な情報についてもし間違っている箇所等あればコメントでご指摘いただけると..🙏

「バウハウス」

写真・デザイン・彫刻・インテリアデザイン・舞台芸術 etc…を含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。モダンなデザインの枠組みを確立した世界初の美術学校と言われている。

中心に「BAU=建築」があり、その周りをその他の芸術や素材が支えるような学校方針。

今の世界の日常に浸透しすぎていて逆に目新しくないようなものが、ここから始まっていて、世界中のデザイナーや美術大学に超絶多大な大きな影響を与えている。

以前にも職人学校があったそうだけどそれらは技術を教える学校だった。のに対して、バウハウスは、技術に加えて、「美とは何か」「美しい形とは何か」というもっと基礎的なことを教えようとしていた。新しい美の基準を作らねば..的な感じで。

1919年にプロイセン校、1925年にデッサウ校、1932年にベルリンに移転、という感じで政治的な事情で活動拠点を移しまくり、最終的に1933年にナチスの影響で閉校に。

ただ、その後はバウハウスの先生(マイスター)や生徒は世界のあちこちでその意思を受け継いで新しい学校をつくったりしていき…

という、ざっくりだけど伝説の美術学校って感じ。



ドイツ3日目:バウハウスに宿泊

朝早くにウルムを出発して、北へ北へ。

ドイツの鉄道は乗り換えすればほぼどこへでも行けそうだけど、乗り過ごすと戻る分のチケットを追加購入しないといけないので注意!

今回は、BAUHAUSデッサウ校へ。

デッサウ駅。名前もデッサンみたいでいいね

14:00 バウハウス到着

かっけえ建物が現れた。

バウハウス校舎
!!

「BAUHAUS」の文字はなかったけど、写真などで何度も見たこと画角!つい数日前まで工事してたっぽいので工事終わっててラッキー。


早速中へ。

マルセルブロイヤーのヴァシリーチェア

カギを受け取り、早速部屋へ。
宿泊施設棟となっているのは、もともと学生寮だった場所。実際ここの部屋にもバウハウス学生が住んでいたらしい。

ただ、ここの棟はWiFiが通じないので注意!
(隣の棟に行けば通じる)

1泊 55 €
超シンプル
共用シャワーかっこいい。トイレとシャワーは共用
ヨーロッパの宿は基本的にシャンプー類がない。
無印のペーパーソープが役にたつ


バルコニーにも出ることができる

バルコニーからの景色
当時の写真
外から
隣の部屋のやつと話をしたりしてたのかな


ここからは校舎全体を少し見学。

稼働窓はバウハウスの特にこだわっている箇所の一つらしい
窓が大きくて開放的


学外も少し散歩。

KIOSK
マイスターハウス

マイスターハウスはグロピウスが手がけた4棟の建物。
1棟は学長が住む一戸建ての建物。それ以外の3棟は2世帯が住む建物で教官と家族が居住。建築についてはほとんど知識がないけど、建築家が自宅をこのような形にするのの原型はここにあるんだろうなあ…と思ったりする。


BAUHAUS関連の施設は、月曜休館なので注意!
本日はちょうど月曜ということで、明日まわることに。
(↓施設情報の確認&予約はこちらから。全然混んでなくて予約は不要そうだった。)




ドイツ4日目:バウハウスについて知る


バウハウスは大きい窓が多くて、陽の光がしっかり入るので気持ちいい。バウハウス2日目は、2箇所の見学。

・バウハウスビルディング(校舎内展示)
・バウハウスミュージアム

校舎内展示は、個人的にはあんま見なくてもよかったかな〜という印象。笑
歴史や建築に使われた素材や建築構造?的なことなどが展示されてるけど、ちょっと専門的すぎる。(※校舎宿泊者もチケットを買う必要があり…)

ただ、校舎から少し離れたところにあるバウハウスミュージアムは、絶対に行くべし!

あと、校舎ツアー、マイスターハウスのツアーもあるのでこちらも時間がある方はぜひ!校舎ツアー面白そう。

朝はバウハウス内にあるカフェで仕事など


少しだけ歴史について。

ドイツ工作連盟のムテジウスという人の意思を継いだヴァルター・グロピウスが初代校長となり開校。このドイツ工作連盟の「工作」というのは「機械生産に重きを置いた考え方」で、当時、ドイツ工作連盟はネジの規格化とかを進めたらしい(それまでネジ規格とかなくてバラバラだったらしい)

当時、西洋芸術は、美の先人であるローマ人を真似ることが素晴らしいとされていて(ex.黄金比、左右対称、模様によるリズム、パターン etc...)伝統的な方に重心があったけど、BAUHAUSはそれらを無しにして、ゼロから新しい美しいものを作ろうとした(ex.形状、色、材料、テクスチャ 、全てをゼロから考え直した)

その結果、派手な装飾をしない「シンプル」で、形状よりも機能に重きを置いた「合理的で機能的」なものが誕生。


このチャンネルの「デザインの歴史」シリーズが本当にわかりやすい…感謝。アール・ヌーヴォーからのバウハウスの流れを知るとすごく革新的だったことがわかる。


ということで、校舎を出てバウハウスミュージアムへ!

途中にあったアパートもモダンでかっこよかった



12:00 バウハウスミュージアム

2019年(バウハウス100周年)にできたばかりのバウハウスミュージアム


このミュージアムは、公式アプリのオーディオガイドを使いながら回る。(ミュージアム内にはWiFiが飛んでいる)

アプリ画面


ということで早速進んでいく。

自然の美を取り入れるための研究の痕跡と思われる


このバウハウスミュージアムは、バウハウス創立100周年で2019年にできたばかりなのでめっちゃきれいでかっこいい。


ライト・スペース・モデュレータ

最初にドーンとあるのは、モホイ=ナジの作品
「ライト・スペース・モデュレータ」!


…と突然言われても、
「いやいや、だれの、なんやねん。」
になってしまわないように事前に少し勉強したので、メモ。


まず、バウハウスの仕組みについて。

入学して最初は「基礎教育」。その後、専門分野を選ぶ「工房教育」というものに移っていく。これは、大学でいうと、基礎教育が「一般教養」、工房教育が「ゼミ」とか「選択科目」に当たるイメージだと思う。

・基礎教育(予備課程)
 ...最初に学ぶ予備課程と複数の工房を担当

・工房教育
 ...素材や作りたいものによって自分で選ぶ
 (家具、彫刻、金属、織物、壁画、舞台、印刷広告 などの工房)

また、各工房には先生がいて
バウハウスの教師はマイスター(マスター)と呼ばれた。

マイスターはこのような人たちがいる。

今回は展示の写真とともに、

◉ ワシリー・カンディンスキー
◉ ヨハネ・スイッテン
◉ モホイ=ナジ

などの、特にグラフィックデザインの部分で大きな影響を及ぼしたマイスターを中心に書いてみようと思う。


でもその前に、これだけはマストだ!
っていう他のマイスターの作品などをチラ見せ。

オスカー・シュレンマーの「三ツ組のバレエ」
シュレンマーは舞台芸術を担当。日本の価値観として「ハレ(非日常)とケ(日常)」があるが、舞台芸術はハレの部分として祝祭的なものとしてのポジションだったらしい
マルセルブロイヤーの椅子
ヨースト・シュミットのポスターなど


あと、カリキュラム等はこんな感じだったそう。

バウハウスのカリキュラム
工房教育領域
工房の募集みたいなやつ(カンディンスキーやクレー)


ここからは、3人のマイスターを中心に、色々作品の写真を貼ってみる。


◉ ワシリー・カンディンスキー

抽象絵画の創始者カンディンスキー
30歳から画家を志し、1911年ごろに抽象絵画を始めているが、それまでは法律や経済学を学んでたりするのですごい。

ワシリー・カンディンスキー

バウハウスは当初、総合芸術としての建築教育を目指していたが、カンディンスキーたちのアヴァンギャルドな造形教育の場になっていったそう。

カンディンスキーの「コンポジションシリーズ」

抽象絵画ってマジで意味不明…と思うけど、カンディンスキーは共感覚(色を音として捉える)を持っていて、コンポジションシリーズは音を色として捉えるということで描かれている。100年くらい前にこれをやっているので多分相当ぶっ飛んでいる。

カンディンスキーの抽象画


◉ ヨハネ・スイッテン

色については、
ヨハネス・イッテンというマイスターが色彩論をまとめる。

ヨハネス・イッテン

ただ、色に関して理論をまとめつつも

「デザインの法則の知識に拘束される必要はない。その知識は各人をまよいや優柔不断な態度から解放するものなのだ。」

と言い残しているらしく、すごく参考にしたい考え方だと思った。

イッテンは初期バウハウスに大きな影響を与えたものの、グロピウスと方向性の違いで学校を去ることに。
その後、マイスターのヨゼフ・アルバースがイッテンの意思を引き継ぐ形で色彩に関してまとめたそう。


◉ モホイ=ナジ

ラースロー・モホイ=ナジもバウハウスで重要人物。ドイツのバウハウス閉校後、シカゴのニューバウハウスの立ち上げに参画しており、グロピウスの右腕的存在であったらしい。

写真を中心に、建築、工芸、絵画、彫刻、舞台装置など広い分野にわたって制作活動を展開。自分の浅はかな知識の中で思っているだけではあるけど、めちゃくちゃ行動して実験をしていた人なんじゃないかなと思っていて、バウハウスのメンバーの中では自分は一番モホイ=ナジの作品が好き。

フォトモンタージュ作品
フォトモンタージュ作品
ライト・スペース・モデュレータもモホイ=ナジの作品。
こちらは絵画ではなくて、、、
このように後ろから光を当てて、光を重ねたりして作られた作品



◉ 気になった資料や作品

ワイマールにあった頃のバウハウスに関する資料
抽象度が高い…
アフリカやネイティブアメリカンなどあらゆる文化の芸術から研究していたらしいすごい
アルフレッド・アーントという人の幾何学や遠近法についての資料
イラレ使ったのかと思ってしまうようなものも多い
色合いがすごくいい
オスカーシュレンマーと共に舞台芸術をやっていたシュウィンスキーの作品。バウハウス閉校後は、ブロイヤーとグロピウスとともにペンシルバニア パビリオンを設計したりもしている。
バウハウス関係者の人脈図みたいなのも面白い


お土産コーナー

バウハウス校舎の方には売っていないものも多くあったのでぜひ!

お土産コーナーには、バウハウスのメンバーが作ったもの以外にも、バウハウスに影響を与えたものも多く売られている。

バウハウスに特に大きく影響を与えたと言われているのが

オランダのデステイルというグループ/雑誌
(ex.イントフェルトの椅子、モンドリアの絵)
→ 特徴:垂直水平の線のみ、原色の赤青黄、白黒灰

・ロシアのアバンギャルド
(カンディンスキーもそのうちの一人、実はロシアの画家)
特徴:幾何学的な絵、キュビズム的な絵、コラージュ、左右対称ではないレイアウト

と言われていて(他にもいっぱいあると思うけど)、お土産コーナーではそれらの作品も多く取り扱っている。

ちなみに、この辺りの現代美術に関しては、パリにあるポンピドゥーセンターにて見ることができる。

↑ポンピドゥーセンターについてはこちら参照(パリ五輪の後は5年間休業予定なので、急ごう)


バウハウスミュージアムを1時間半くらいかけてゆっくりみてまわってたら、電車がギリギリ!やばい!と思って走って乗り込むも、次の駅のライプチヒで電車遅延で2時間くらい乗り換え待ってた…。

そうして、夜かなり遅めの時間にチェコのプラハ駅に到着。
チェックインが間に合ってよかった…!


まとめ

ドイツは、スペインやフランスとは全然雰囲気が違くて、ヨーロッパのイメージを変えてくれた国になった。ユーモアたっぷりでのんびりみたいな感じよりも、しっかり真面目で親切な感じが日本人と似ているのは確かにそうかも..と思ったりもした。(ドイツでは駅で走っている人を見たけど、他のヨーロッパの国ではそういう人は見たことがない)

バーデンバーデンで衝撃のサウナ、カオス空間バウホイズレ、人類最古級の創造物ライオンマン、デザイン界のホグワーツ "バウハウス" など、ドイツも本当に楽しませてもらった。かなり多くの人が英語を話せるし、電車でどこまでも行けるのでドイツは一人旅もすごくおすすめしやすい国だと思う。

あと、冷戦時代に東ドイツだったエリアと西ドイツであったエリアでは雰囲気がかなり変わるみたいなので、次はその境界線のようなところに行けたらと思う(特に今回はベルリンに寄れなかったので)。

ダンケシェン!


次は、ミュシャの出身地であるチェコのプラハへ。



BAUHAUS 3Fから

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