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「離婚から1年」の総括

去年7月に離婚した。
届を出しに行った日の日付も、その日のこともどうしても思い出せない。
きっとあまりにも大きなことで、全力で感覚を閉じて記憶に残さないようにしたのかな、という感じ。
それから1年。

日常生活はどうなん?

どんな生活になるのか心配だった。娘は3歳。家事の担い手は私だけ。
やってみたら、「あれ、これかなり楽じゃない?」と思った。しばらくして気が付いたのは、3人暮らしだったときよりも家事の量が大幅に減ったということ。
部屋がコンパクトになったから掃除が楽、洗濯物は3分の2以下、そんな食べないからスーパーの買い物は半分くらい、料理の時間はおそらく半分。
料理のインパクトは大きい。
大人2人と子供の食事、となると、それなりにしたいという気持ちになって、それが幸せでもあったから、
「ごはん何しようかな」って考える時間も、料理の時間も、けっこうかかってた。
それがなんと!今は4歳児と2人。娘がちゃんと食べてれば、大人の私は自分の気分と都合でいい。しっかり作りたいときはやればいいし、娘の横で卵かけご飯でもいい。
夫婦+子供の場合も、「自分だけ卵かけご飯」ってありだったのかもしれないし、今思えば「大人は卵かけご飯」でも元旦那は絶対文句なんて言わない人だったから、そんなわけにいかないという自分の思い込みだったんだろう。
そんなこんなで、家事自体がとても楽である。

どんな生活になるのか心配だった。娘は3歳。
家事の担い手は私だけ。
やってみたら、じわじわきつい。
だって、やるの私しかいない、全部。
パパが保育園に送ってくれる間に
家を片付けるとか、
手分けして同時並行できたものが、
今が自分の手と時間の分しか進まない。
洗い物しないまま、洗濯物もそのままで
寝落ちしたら、
完璧にその状態で朝。当然だ。
元旦那は家のこともやる人だったから、
余計にギャップが大きいんだろう。
買い物行って、
カゴにもうけっこう入ってるところで、
「おしっこ」って言われる絶望。
買い物とトイレ、
手分けできてた去年は楽だった。
一人でやれないことは何もない。
でも大変だよなぁ、
あー---めんどくさ。

子育てはどう?

母子2人の生活になること、娘にとって大丈夫か心配だった。
でも大丈夫か大丈夫じゃないかって、いつどの観点で見るか次第で。
毎日よく笑い、元気に楽しく暮らしている、それで十分なように今は感じている。
元旦那は近くに住んでいて、娘が呼べば24時間対応で来る勢い。(深夜でもほんとに来そう)
しょっちゅう会ってるし、会いたい、遊びたい、何か伝えたい、いつでも好きにしたらいいということを娘も理解している。
最近はそれを利用して、私に怒られることから逃げようとしたり、お菓子買ってもらおうとしたりするから逞しい。
大丈夫かどうか心配だったのは、私の不安。
娘がつらい思いをすることが痛い、それが自分のせいなんて耐え難い。
それって全部、娘がどうかじゃなくて自分のこと。
「とても不安で怖かった」と娘に明かせたことも大きい。
4歳女児、母娘のケンカも本格化してきて、2人だとヒートアップが止まらなくなる。
その分、お互いわんわん泣きながら気持ちを話したり、仲直りの方法を相談したり、親子やってんなぁって感じで嬉しい。
関わり方の代わったパパとの父子関係も超良好で、3人でいる時間が本当に本当に、めちゃくちゃ楽になった、よくなった。
これだけでも離婚してよかったと思える。このためでもあったから、その意味では大成功である。
私「最近、私が怒りすぎて、娘けっこうきつい感じかもしれない、フォローよろしく」
元旦那「了解」
てな感じもありがたいし嬉しい。

母子2人の生活になること、
娘にとって大丈夫か心配だった。
大丈夫って何か分からないけど、
今でもずっと大丈夫か心配。
これはもうずっと死ぬまで心配なんだろう。
大丈夫か、寂しくないか、つらくないか、
そんなこと娘に聞いたって、相手は4歳なんだ。
うまく言葉にできなくて当たり前だし、
それなのに
大丈夫っていう言葉を
聞きたいと思う自分が
心底嫌になる。
なんて勝手で傲慢なのかと。
元旦那は今でも子育てのパートナーだから、
進学とか、大きなことはもちろん相談できる。
でも日常的な、小さいけど大事なこと、
例えば、
もう一人でトイレ行けるのに
行けないって言い張るんだけど、
気が済むまでついて行く?
自分で行きなっていう?
とか、過ぎ去れば何でもないんだろうけど、
日常的に迷うこと。
近くで娘を見ているのは私だけで、
全意思決定を一人でやるのだ、
気が重い。
あー---おも。

一番変わったのは?

なんといってもこれ、関わってくれる人が圧倒的に増えた。
普段は2人きりだから、なるべくたくさんの人と関わりたくて意図的に増やしてきたのもあるし、
これまで私1人で会いに行ってた友達たちとも子連れで会うようになったこともあるし、
助け合えるシングル友が増えたこともある。
これは私の性質とも合ってて、とても楽しい。
「今日の保育園のお迎え、一緒にやっとこっか?家の前で渡すよ」って言ってもらったり、
「上の子の学校行事の間、子供預けさせて」って言われてうちに子供が増えたり、
預けてる間にシャワー浴びさせてくれて寝るだけの状態にしてくれたときは感動した。まじありがとうである。
うちに他の子がいると、子供同士で遊んでくれるから私はけっこう仕事できたりして。
娘の成長をいろんな人が、いろんな距離感で見守ってくれることも、
本当にうれしい。それを通して友達と私の関係が深まることもうれしい。
これからも、いろんな人に会いに、いろんな場所に2人で出かけよう。

なんといってもこれ、
関わってくれる人が圧倒的に増えた。
愉快で楽しくて、温かくて、幸せだと思う。
そう思えば思うほど、
2人で家に帰ることが寂しい。
みんなで遊んで、それぞれの家族が家に帰っていく。
夫婦で子供連れて帰る人たちを
羨ましいと思う。
日曜夕方のファイリータイムに、
そのへんを子供連れて散歩してる夫婦を
羨ましいと思う。
一見幸せそうに見えるのって、
本人たちはどうか分からないし、
去年、夫婦+娘で過ごしていた時間は、
それはもう地獄のようにきつかったから、
(みんなきつかったと思う、私だけじゃない)
形じゃないってことくらい分かってる。
それでも「一人」を感じると
絶望的につらくて、
娘を抱きしめて一刻も早く眠る以外にない。
もう外出るのやめよ、とか思っちゃう。
あー----つら。


これは全部、一人の人である私の話、私の真実。
ものは考えようってことじゃなくて、
全部同時に、等しく、常に私の中にある。
それでいいんだと思う。

「2人って最高だな~ずっとこのままいっとこうぜ、へいへい」と思いながら、
「誰か一緒ならきっともっと豊かだよな、よし、再婚だ再婚」と思ったり、
そんなもんである。
そして今日も幸せに生きるのである。

この1年を、精神的にも、物理的にも、あらゆる面でサポートし、寄り添い、共にいてくれたすべての人へ、本当にありがとう。
計100人くらいにはなるんじゃないかと思い、いや、もっとかな、
皆様が私の友人、家族、仲間であることが超自慢です。

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