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「マウントに囚われるのもうやめたい」の話 ー紐解き体験記録ー

メンタルモデルの紐解き、ってやつがあります。
「これほんっとやだ、最近特に、あーもうやだ」
「これどうしても繰り返しちゃうんだよな」
っていう不本意な現実を見ていって、そこに何があるのかを見る。
原因分析ってことじゃなくて、むしろ正反対で。
解決策を出すためにやるんじゃなくて、繰り返しそれを起こしているのは何なのか、もっと言うと、繰り返し来るその体験に気づきがあるとしたらそれはなにかを見に行く、というイメージ。
(youtubeに動画もあるのでこちらもぜひ「今日斬り」)

このパターンなんなんだろうな~と思うものに気が付いたら、仲間の誰かに紐解きしてもらうようにしている。
紐解きの概念が分かったからって自分にできるってことはなくて、リードしてもらって、一緒に下りてもらうのが、安心、早い、効果的。
今回はCCCで一緒に学ぶ仲間のここのさんに頼んだ。

私が扱いたかったのは「マウントとランク」
ここのさんに「最近、いろいろあるんだね、いろいろあるのが人生だよね、聞かせてよ」って投げてもらって、話し出す。

「上から来られたって思って、急に反撃したくなるときがあるんだよね」
「最初から上を取りに行こうとは思わないし、上であることを確認したい、っていうのもない、でも上から来られたって思うと、

は?????下じゃねーし

って思って、
分かってないな、とか、つーかその話じゃねーし、とかっていうハードモードの人格が出てくるんだよね」

これを普通に人に話すと、
「分かるー私もやるよー」の同調か、
「性格悪いな~笑」などの批判か、
「どうしたらやめられるかな?」の解決策探しか、どれかになる。
それがだめなわけじゃないけど、紐解きはそうじゃない。
ここのさんは、「へーそう思うんだね、そこおもしろいとこだね、それってどんな感じ?」ってただ興味を持って見てくれる。

ここのさんに「分かってないってことがやなんだね」って投げかけられて、「そうそう、それそれ、私分かってないっていうのが強烈に嫌なんだわ」って分かる。
そうそう、それそれ、がとっても大切で、言ってることが論理的に筋が通ってるか、妥当であるかどうかは紐解きにおいてどうでもよくて、
というか論理的には大破綻をきたしていることが多く、あとから見るとそれがおもしろかったりするんだけど、
「私にとってはそう、それ」を明らかにしていくというイメージ。

話してるうちに、
「ほんとはさ、相手は上から来てるわけじゃなくて、ただ伝えてるだけなのに、私が上下って見てるだけの一人相撲だって分かってて」
「手あたり次第、どの領域でもそれが出るわけじゃなくて、私の担当領域っぽいとこの話だとめちゃくちゃ反応しちゃうんだよね」
「下じゃないしって思ったとき、正面から攻撃するってことは稀で、やんわりした表現で、私は下じゃないってことを伝えようとするの、ほんと嫌味だし、余計嫌だし、そういうのって伝わるじゃん?だから分離しちゃう」

って自分のトーンが変わってきて、内側が落ち着いていってることが自分でも分かった。

結局、私の内側にあったのはこれだった。
「ここは自分にとって大切だって思ってるのが自分の担当領域だって感じがしてて、担当領域について「分かってる」っていうことが、私が存在する意味、って思ってる。
「分かってない」ってなったら、自分の存在がゆらいでしまう。
その領域を大切にしていることが私の個性だから。
その領域を愛して頑張ってきたから。
そこをどう捉え、どう理解しているかが私の個性だから。
だから分からない私は、私に何の特徴も個性もなくて、無難でつまらない、顔が描かれてない人形みたい、何者でもない私って思う」

、、、意味、分かります?分からんよね。
ロジックエラーと飛躍で突っ込みどころありまくりだと思うんだけど、私には何の違和感もない、慣れ親しんだ世界。
「そうか、彩子にとってはそう見えてるんだね」って受容されることは、「そう考えることは正しい、私も同じだ」って認めることとはまったく違って、
「彩子にはそれがあるんだね」ってここのさんに受け取ってもらって、自分でもそれを受容できた。

とっても頑張った新人研修で「優秀だけど無難でつまらない」って言われて悲しかったこと、
華やかで人を明るくするミュージカル女優みたいな人に小さい頃から憧れてたこと、
いろんなことが出てきて、「私自分が無難でつまらないって思うのがいやで、されてもないマウントに仕返ししたり、いやな感じに反応したりしてたんだ」って分かった。
全世界に大謝罪だわ、心の底からごめんなさいって思った。

受け取ってもらったから、ここで初めて、言ってることめちゃくちゃだってことも理解できるようになる。

ここのさんに、「無難でつまらない、なんて人、いないよね?無難でつまらない、じゃないよね、彩子は、なんなの?」
って問いかけられて、一瞬でぽろぽろ涙が出て、なになにこの涙なに状態、泣いて喋れない私に、
「生きてるだけで個性的で、それだけいいっていう存在なんじゃないの?」って。ここのさんもちょっと泣いてた。
「私は十分、私らしくて、私は私なんだね」

自分の思い込みにはまってるときって、
「また上から来られた!分かってない人扱いされた!」って怒ったり、怒ってることにも無自覚に反応しちゃったり、攻撃しちゃったりするけど、
分かってしまえば、「なーんだ、そうだったんだ、すっきり」である。
「私は無難でつまらない、私の個性に意味はない、ってところから生きるのはもう終わりでいいってことだね、これがあるって知ってたけど、一段解像度が上がって、やってみようって思ったし、これまで傷つけてきた人に本当に申し訳ない」って言ったら、
「ごめんじゃないよ、ありがとうでいいんだよ、悪かった、なかった方がよかったってことじゃない、感謝して引き受けたらいいんだよ」っていう言葉が返ってきて、とても温かかった。

ここまで書いて思ったけど、私をよく知ってる人からしたら、
「そんなこと、分かってましたけど」
「おいおい、いまさら???」
くらいのことかもしれない。それけっこう恥ずかしいな。
共にいてくれる多くの友人たちと、大きな愛で寄り添ってくれたここのさんに心から感謝して、自分を楽しんで生きようと改めて思いました。
(めっちゃ長文で大それたこと書いたぜって感じなのに結論がふっつー、そんなもんだよね~)


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