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improvisation インプロビゼーション / 即興と感応/今ここにいる、ということ


はじめまして


noteに投稿するのが初めてなので、どうやって書き出したらいいかわからない。自己紹介とかした方がいいのかもと思うけど、なんかそんな気に今ならないので、後ほど気が向いたらってことで。

とりあえず、わたしはグナといいます。瞑想ネームです。

わたしは今、学んでいること、提供していることがたくさんあって、実際に何をしている人なのか、自分でも自己紹介のときに困ったりしている。

とりあえず、筆慣らし的に今日は書いてみます。うーー、、ちゃんと文章書くの久しぶりすぎて笑えてきた!どきどき!

わたしパティシエールでした



わたしが20年以上経験がある前職のパティシエールという仕事は、クリエイティブなようでいて、実はそうでもない。わたしはシェフだったから、もちろん新作や季節ものを考案することはあって、そのレシピの構築は確かにクリエイティブな作業なのだけれど、どこかに勤めている間は、そのお店のその味をいつも同じにしなければならない。

大量のお菓子を仕込むに当たっては、技術がブレることなくどれだけレシピに忠実に再現するかということの方が販売するお菓子を作る上では重要なことだった。同じお店で買うたびに同じケーキの味が毎回違ったら、ふつうはイヤでしょう?笑

自分がシェフになる前は勝手に(?)自由に(?)色々変えられなかった。毎日毎回、厳然とレシピに忠実に。誰が作っても同じになるように。これがわたしにとってはものすごくストレスを感じることだった。(もちろん得たことも大きかった)

変えたくなるのだ、自然に。毎回。少しだけど。気まぐれで、即興好き、好奇心旺盛な質を抑え込むことに無駄にエネルギーを消費していた。

自分のお店を持ってからは、味を決めるのも自分、その責任を取るのも自分だったので、実際は毎回変えていた。

変えると言っても、ショートケーキのジェノワーズ(スポンジ)に塗るシロップの量やそれに加えるリキュールの量など、を微妙に変えていた。


イチゴとの感応と呼応=今ここ


群馬県にお店があったので、お店では群馬県推しの やよいひめ という品種のイチゴを使っていた。やよいひめのシーズンは12月ごろクリスマスを皮切りに始まり、5月の母の日を境に終わっていく。イチゴのシーズンは、ビニールハウスと暖房とで人間都合に調節されたもの。本来はイチゴは多年草なのだけど、日本では露地で越冬できないし、できたとしても収量がめっちゃ減るし本来の旬は4〜6月なので、クリスマスや雛祭りやバレンタインや母の日に間に合わない。

だから人間の都合で一年草としてビニールハウスで暖房をきかせた中で育てられる、とても不自然なフルーツだ。イチゴは約5ヶ月弱の収穫期の中で、12月はまだ実が白いところも多く硬く粒も不揃い。2月ごろに味がのってきて実も形が揃い香りも豊かになり、3月になって春めいて暖かい日が増えてくると実が軟らかくなって酸味が出てくる。4月を過ぎるとイチゴの苗もそろそろお疲れで、ジャム用などの小粒なものが増えて味が抜けてくる。

…という感じで、ひとつの果物でも、ずっと同じ味でいるわけではなかった。わたしのお店ではとてもおいしい減農薬栽培の契約農家さん一軒のイチゴしか使っていなかったので、毎年冬から春にかけてその変化を感じながらイチゴと接していた。

そうすると、イチゴショートの組み立てを、イチゴの状態によって毎日変えたくなるのだった。イチゴがジューシーで甘いとき、硬くて酸っぱいとき、収穫して一日目、二日目、毎回イチゴは違う。それに応じてジェノワーズに一緒に挟むクリームの量やクリームの甘さ、シロップの量。全部少しずつ変えたくなる。晴れて乾燥した日、雨で肌寒い日、雪が降った日なども微妙に変えたくなる。それが自由に誰の許可も得ずに毎日できるのは清々しくて、「オーナーシェフでよかった!」と思える瞬間だった。

ただスタッフに仕事を任せるときには、そこまでの繊細さは期待できなかった。

わたしは、お菓子を作っているとき、料理をしているときは、【今ここ】にいることしかできない。手から伝わる感触、香り、目で見て、耳で聞いて。わたしにとって味見は、それら五感すべてから受け取った情報が総合的に合っているか、調和しているかの確認。


料理が瞑想だったという気づき


8年前に瞑想に出会って瞑想をしはじめてほどなく、かなり先輩の瞑想者の方数人に、「もっと瞑想歴が長いかと思った。」と言われたことがあって、自分では全然そんな感じがしていなかったので、不思議に思っていた。

数年経ち、【瞑想】というものが『どんな状態を指しているのか』という、体験からくる理解が少しずつ増えてきたとき、どうして瞑想歴が長く見えたのかということがわかった瞬間があった。わたしが厨房でお菓子を作っていたあの時間は、【瞑想】だったのだ、と。

お菓子を自在に作れるようになるまでは、ずっと、『今を生きる』ということがわからなかったし、自分が『今に居ない』ことさえ気づいていなかった。

小さい頃の記憶では、わたしは人と同じペースで同じことをするというのができない子だったので、いつも親や先生など誰かに注意されていたし、おっちょこちょいでケアレスミスだらけだったので、何かを壊してばかりいた。自分のペースでならできることが、人のペースだと途端にできなくなってしまうのだ。そして失敗ばかりすることになる。

昭和の時代は(今も?)反省することはよきこととされていて、反省するとなんだかちょっとマシな人になれたような感覚があって(まったくの気のせいなんだけど)、向上心という名のもとに、毎日反省ばかりしていたように思う。「どうしてあんなことしちゃったんだろう。」と過去へ。「次に同じようなことがあったらこうしよう。」と未来へ。特に思春期のわたしは、【今】にいることはほとんど無かったのではないかと思う。ひとり反省会をすることで、少しはマシな人間になれる気がしていたけれど、その行為は間違いなく、自己受容や自己肯定感から自分を遠ざけていたように思う。いつも、いつかいつかと、理想の自分を追いかけていた。

他人にどう思われるか、他人の目に自分がどういう人間に映っているか、そういう風に意識が自分以外のもの(→外側) に向いていた。外側には【今】がない。過去と未来しかない。【今ここ】とは、自分自身の内側(感覚やフィーリング)とともに在るということなのだ。お菓子や料理を作っているときは、常に【今ここ】しかない。

お菓子作りで、技術的に基礎が身について、物理的なことや化学的なこと、素材のことなど、製菓知識に振り回されるのではなく知識が自分のツールになって、毎回状態の違う素材と対峙したときの内側の感応を外側の行為として瞬時に呼応できるようになったとき(これは自然に身体が動いてシンクロしている状態)、今ここに自然に居られるようになり、お菓子を作ることがはじめて瞑想になった。

そうなるには、毎日毎日大量の仕事をこなして10年以上はかかったと思う。

しかもそのことに気がついたのは、職業としてのパティシエールをやめてからで、つい数年前のこと。自分自身でも、プロとしては技術的なスキルがそれほど高い訳ではないわたしの作るお菓子や料理にどうして人がこんなに感動するのかわからなかった。

今では焼き菓子も即興で作れるようになった。これはとてもとても楽しいこと。そのときに食べたい、そのときの体調やフィーリングに合ったお菓子。今日もおやつにドーナツを即興で作った。即興で作るお菓子はとても楽しい!

知識と技術を学んで実践でスキルを磨いて、それら外側のものだったものが内側まで沁み込んで本当に自分のものになったとき、そこには無限に自由なスペースが広がる。

昔の人のいう、『守破離(しゅはり)』もそれだと思う。たぶん。

そうなると素材とダンスできる。本当にお菓子作りが楽しいのはそこからだと思う。お菓子作りはレシピ(調理法)があって、ルセット(配合)を守らなければ失敗すると言われていて実際にそうだけど、実は微妙なバランスの中で無限にクリエイティヴに遊べる。わたしはミクロの世界でマクロのように遊ぶのが好きで(伝わりますかね?)、そういうときすぐに宇宙を感じてしまう。

そんなわけで、わたしは料理は瞑想だと思っていて、自分のことも瞑想料理家と名乗ることがある。



瞑想料理家としての今後


これからは、瞑想としての料理をシェアしていきたいと思っている。もう2〜3年は思い続けている。笑 構想ばかりでなかなか固まってこない。

…のだけれど、いったいどうやったらシェアできるのかが??時とともに、少しずつ醸成されてきているので、今年何かしら始められたらいいなあと思っている。

料理を瞑想として遊ぶには、ある程度、実際の瞑想も必要だと感じているので、やっぱり瞑想と料理の会をしたいなあ。即興で作る料理の楽しさを伝えたい。素材との感応から始めるのです。

どこかいい会場知りませんか?知っていたら教えてくれたら嬉しいです。DMください。料理の Instagram はこちら。よかったらフォローしてくれると嬉しいです♡

ではでは今日はこの辺で。

次回は今学び中のブレスワークについて書きたいかな。これも楽しくて神秘的で、今ハマっていることのうちのひとつ!モニターセッション受付中!

love  
グナ



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