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政治を学ぶ

年明け、能登半島で地震が起きた。
いまだ大変な境遇にいる方を思うと心がつらい。
一日も早い復興を望んでいる。

さて、その震災があった直後、X(Twitter)に防災関係の投稿をしたところ「この右翼が!」という書き込みをされ、その日一日落ちこんだ。
私は災害支援や防災についてつぶやいたつもりだったが、それが政治的思想に繋がるなんて思っていなかった。

思えば、私は小さいころからどちらかと言えば周りに左側の人が多かったように思う。

小学校の図書館には日本が植民地政策を行い、どんなに現地の人を傷つけたかという内容のマンガがありショックだった。
その後行った中学校や高校でも先生や同級生も、どちらかというと左寄りの新聞を読んでいるとか、そういう政党を応援しているとか、そういう話が多かった。

大学生になると韓国語を専攻し、韓国に留学し、日本統治時代に利用されていた刑務所を見学したり、韓国の大学で韓国近代史を学んだり、独立博物館と呼ばれる場所などを見たりしていた。北朝鮮との国境線にも足を運んだ。
自分の目で何が正しいのか知りたかったのである。
また同時に日本の近代作家が好きだったため、当時の日本の教育についても調べたりしていた。
人によって「正しい」という事が全然違うし、この話題をすると喧嘩になる事もあったので、人とは話さず自分なりに意見を持つようになった。

社会に出ても、最初は左寄りだったと思う。
当時は自衛隊基地の近くに住んでいたので、休憩している姿なども見えていたが「なんで休んでるんだろう」などと思っていた。(今はそりゃ休むこともあるだろうと思っている)
ある右よりの政治家が亡くなってもなんとも思わなかった。

それから、考えが変わったのは青年海外協力隊に参加した際に、日本のために一生懸命働く人たちを見たからだ。
日本人、意外とがんばってるじゃん、と思ったのである。
各省庁から出向されている方もいれば、専門家の方もいた。
政治的な話をすることはなかったけれど、みんなアグレッシブで強い目的志向を持ち働いていた。
世界と働くことは、ひいては日本の国益につながるという事を実感した。

そうして日本に帰ったあと、日本の地域のために何かできないだろうかと思う事が増えた。
しかし、自治会に入っても、地域の集まりに出かけても、若い人がいない。年配の男性が強く意見を言うのでうまくいかない。
選挙のあと、地域の投票率を調べてみると3割程度しかない。
地域のママさんと話していても「選挙なんて行ったことがない」というような事を聞くので、多分みんな関心がないのだろうと感じた。
本当に大変なことだなと思った。

政治家になったらよりよい社会にできるかもしれないと思う事も何度かあったが、顔写真や名前を近所に知らしめるなど恥ずかしくてできない。
何より、年配の人たちに交じって自分の信念を貫けるほど意志が固いわけではないのだ。

とはいえ、このままでは日本の将来は危うい。
いい点もあるが、改善できる点は沢山あるのではないかと感じるのだ。

そうしたとき、去年福沢諭吉の「学問のすすめ」を読んだ。
己のためだけの勉学ではなく、広く世の役に立つよう学び、行動せよというような事が書いてあり感銘を受けた。
自分に何ができるだろうかとここ数か月考えたりしていた。

そうしたところに、年始早々「右翼め!」と言われてしまった。
私にすれば、右だろうが左だろうがどちらでもいいのだが、もっと政治についてもっと学ぼうという気になった。

インターネットの診断によると、私はリバタリアンというものらしい。
そんな単語すら知らなかった。

近年の世界情勢、特に東アジアを取り巻く情勢は注意が必要だと感じている。
今年は台湾、韓国と選挙が控えている。
日本も解散総選挙の可能性がある。

自分の思想や意見を他人に流布したりするつもりはないが、自分で状況を判断して意見をはっきり持っておきたいと考えている。

そのために、今年は政治について本を読んだりして学ぼうと考えている。

#今年学びたいこと

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