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客観的なものさしを持ちたくない

自分のことはなかなか客観視できない。
だからこそ自分がどんな人間であるのか、どんな特徴を持っていて、どこが優れているのか、自分で知りたいとの欲求がわきあがる。

そんな欲求を満たそうと、まず使ってみるツールが性格診断だろう。
MBTIとかウェルスダイナミクスとかストレングス・ファインダーとかその他諸々、性格診断の人気の根強さから自分を知りたい人が老若男女いかに多いのかがよくわかる。

わたしもいろいろ受検したけれど、その結果を誰かと共有したい、人の診断結果を知りたいとは思わない。
むしろかなり消極的だ。


性格診断ツールはたしかに自分を、相手を理解するための一ヒントとしては有用だろう。
しかし月並みな言い訳だが世界何十億人もいる人間をたった数タイプ、十数タイプにカテゴライズするなど乱暴だ。

以前も書いたけれど、わたしはどんな診断でもあまり特徴的な部分のない人間である。
診断結果はだいたい小さな五角形や六角形で、突出した部分があまりない。

受検した時期に身を置いている環境や、下手したら気分によって、診断結果はAにもBにもCにも変わる。
事実、MBTIでは4種類の結果ホルダーである。

つまり自己理解もあいまいだが、診断結果だってあいまいなのだ。
そんなあいまいな診断結果で「たしかにあなたってタイプ1だから◯◯よね」と、診断結果をものさしにわたしを測ってほしくない。

「几帳面だからA型でしょ?」とか、ああいうのも好きでない。
冗談とわかっていても、だったらシンプルに「几帳面ですね」でいいのにと思う。

タイプ1だから、A型だから、ではなくて。
あなたがどう思ったか。
それがいちばんだいじだと、個人的には強く思う。

だから、わたしに対して先入観を与えかねない客観的なものさしを人に与えたくない。

もちろん、性格診断の結果を知ったとて自分の目で耳で心できちんとわたしを見てくれる人もいる。そこは自分でもわかっているつもり。

…逆もまた然りで、よく知った相手ならまだ100歩譲っても、あまりよく知らない人の診断結果を知りたいと思わない。
知ったら多少は意識してしまうから。
相手がどんな人なのかは自分で知っていきたいし、自分の直観を大切にしたい。余計なものさしを持ちたくないのである。


わたしのnoteをちょこちょこ読んでくれている方はもうお気づきかもしれないが、わたしはそういう自分の属性や客観的な特徴をほとんど開示していない。

オープンにしていることといえば
フリーランスのライターであり、転勤族の夫がいて、赴任先の地方都市で暮らしていること。

性別は想像がつくとして、それ以外は年齢も、出身も、今住んでいる地域も、学歴も職歴も、星座も血液型も性格診断の結果もはっきりとは書いたことがない(はず)。

常日頃からnoteは個人的な日記であると明言しているが、とはいえここは誰でも閲覧できる公のスペースである。

わたしのnoteを読んで共感してもらえたら嬉しいし、「こんな考えの人もいるんだな」と思ってもらうのも「なんか嫌い」と思われてもかまわない。

でも性格診断でタイプ1だから共感できるとか、年齢が離れているから共感できないとか、客観的なくせにあいまいなものさしをそこに持ち込んでほしくないとの希望を持っている。


仕事の場であれば、相手の年齢や家族構成や性格を知っておいたほうがよい場面もあるだろう。
でもここはわたしにとって仕事の場ではない。

人が人に共感する、興味を持つのに、その人の属性情報は必要ない。
だからわたしは誰かとお話しするとき、属性情報を自分からあまり聞かないようにしている。話したくないことだってあるだろうし

その代わりに、どうして今日ここに参加したのか、どんなことが好きなのか、これからどうなりたいのか、そういうソフト面が知りたい。

だからわたしのnoteも、先入観なくわたしを見てほしいし、属性的なことを知らなくたっておもしろがってもらえたり、共感してもらえたり、それができると思っているから、ソフト面しか書かない。ちょっとしたこだわりである。

それだけでもじゅうぶん、人と人は仲良くなれるものだよ。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが人と接するときにだいじにしていること、なんですか?

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