見出し画像

好き(爆熱)を持ってる人がうらやましい

みなさんには好きで好きでたまらない、みたいなものってあるんだろうか。

私は、その感覚はわかるようでわからなくて、何か自分の”好き(爆熱)”と共に日常がある人が、うらやましいなと思ってしまう。

私の思う”好き(爆熱)”は、各種推し活の意味合いが強いのだけれど、その経験が乏しい私は、何か一つの”推し”と言うものに対して愛を持って、一喜一憂して、毎日が彩られている、みたいなものへの憧れがある。

今までの人生、私にも”推し”らしきものはできたことがあったが、自分の思うような推し活レベルまでのめり込めなかった、もしくは好きすぎて辛くなってしまって距離を取るようになった、という2種類の経験がある。

一つ目に関しては、そこまで自分にハマらなかったんだな、以上という感じであるが、問題なのは二つ目である。

例えば、海外ドラマ。

私は海外ドラマのイッキ見がもう大好きで、昼夜問わずラストエピソードまで見続けるのが趣味である。その中でも、世界観やキャラクター、ストーリーに心奪われ、好き(爆熱)となったドラマがいくつもある。しかし、見終わってからが地獄。現実とフィクションの区別が曖昧になり、なぜわたしはあの世界に行けないんだろう?なぜわたしはあの仲間の一員になれないんだろう?と、叶いもしないタラレバに苦しむ。挙げ句の果てに、なんでわたしこんな現実を生きていかなきゃいけないんだろう?などと思い始め、ドラマの世界観を思い出しては夜も眠れなくなる、の繰り返し。

もう、幾つのドラマでこんなことをしたか分からない。我ながら恥ずかしすぎる。他にも、役者さんやらバンドやらオーケストラやら、様々なジャンルでこの好きすぎて辛くなる、を経験してきた。

性格上、それが何にせよ"ただの作品"・"ただの人"とかではなく、自分の中での特別な意味合いや繋がりを感じ取ったものを大切にしたい、というのが強くある。
その点で、何でも好きすぎて辛くなる、なんてことは決してないのだけど、そのゾーンまで入り込んでくるものだとそうなってしまうことがある、という感じ。

そして、その共通点を探してみると"感動で心が震える"という経験が一致しており、この感情は自分の内なる感情の中でも、他とは比べ物にならないくらい1番大きなエネルギーを持っている。生きてて良かったと思える数少ない瞬間と言っても過言ではない。

なので、その分愛も強いし、すぐに飽きたりすることも絶対にない。でも、辛くなってしまっては不健康だし、自分の好きの形が歪んでいるという事実も自分の美学には反するので、適度に距離を置く、と言った具合である。

言ってしまえば好きな子を遠くから目で追いかける中学生のような。(ストーカーみたいなことではないよ!)

こんな感じで、自分の好き(爆熱)が爆熱すぎて自分が火傷する、みたいな経験を何度もした結果、新しいものを好きになるのが億劫になっている自分がいるな、と思うようになった。もちろん、"感動で心が震える"に出会えるハードルがかなり高いのも大きな理由だけれど、昔に比べて慎重になってしまったな、という感情は拭えない。

それでも、昔好きすぎて辛かったものたちも、今でも飽きることなく細く長く好きだし、その方が自分も感情を消費しないで済むのでストレスがない。
ただ、やっぱりまだあの爆熱さが恋しくなるときもあるので、それに出会ったらまた火傷する準備でもしておこうかな。

そんなこんなで、好きについて語ってしまったが、ぜひみなさんの好き(爆熱)についてもぜひコメントで教えていただきたい。自分の大好きなことと良い関係値を保って、それが生きる糧の一つになっているって本当に素晴らしい、ほんとに!!!私にはまだちょっと先のお話なんだけどね。

実を言うと私、他人が俗に言う"布教"している時間がかなり好きなのだ。自分の好きなことについてイキイキ語っているのが輝いてるな〜と思うし、何より熱量を持って話してくれるのが楽しい。それにハマるかハマらないかは別として、その濃い時間がたまらなく良い。

ということで、読んでくれてありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?