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やめたい癖

最近、やめないとな〜と思う癖がいくつかある。

例えば、自分が何か言おうとしたりやろうとしたりしても、相手の反応までの流れを勝手に想像して、ああちょっとめんどくさくなりそうだな、とかあんまりいい顔されないだろうな、とか思うとやめること。それなのに、自我がないわけではないので、やらなかった不満が顔に出たりして、隠しきれないところ。そして、”どうして機嫌悪いの?”と聞かれて”別に不機嫌じゃない、”とか言って余計に険悪なムードになる、という悪循環。

(とはいえ、めんどくさくなりそうだな、みたいな想像は過去の経験に基づいていることが多いのも事実)

これは一つの例に過ぎないが、感情的になってしまうというのは自分にとって最も近いと思っている人の前でしか出ない癖で、知らない人や自分が近いと認定していない人たちの前では省エネモードに入る。

もう少し詳しく言えば、そもそも自分にとってそこまで大切でない人といる時まで自分の感情を発露したり、ましてやそのせいで何かプラスで労力を割かなくてはならないようなことは否が応でも避けたい、という感じである。

しかし、自分にとって心を開ける数少ない近い人ほど、良い意味でも悪い意味でも自分の感情が出過ぎてしまうことがある。思春期は、母にキツい態度をとってしまうこともよくあったし、親友の前では隠せばいいのに不機嫌なムードが出てしまう時もあったりする。
こういうことが起きるたびに、自分が大切に思っている人ほど大切にしないといけないのに、それを行動で示さないといけないのに、と思っても、なぜか全く興味のない人たちの方にいい顔をしてしまっているというのが悲しかった。

そんな時に見つけたのがこのビデオ。

タイトルを見た瞬間に、あ、これだ。と思った。
この動画に自分の行動原理が詰まっていて、ああこいうことだったんだ、ととにかく納得。感情的になってしまうというのは、自分の性格上愛情の裏返しでもあるが、それは感情をそのまま相手にぶつけるということを正当化するものではない。たとえ大切な人でも、自分と相手は違う人間という当たり前なことに今一度気付かされた。

そもそも、自分が相手の反応を勝手に想像している時点でそれは妄想に過ぎないし、相手の反応がいい場合も往々にしてあり得ることなので、やはり自分の言いたいことややりたいことは伝えるべきだ、ということも痛感している。そこで意見が合わなかった時に、円満に解決できる器の大きさが本当の優しさであり、人間力の見せどころなんだろうな。

他にも、人の話をあまりちゃんと聞いていなくて、毎回”え?なんて言った?”と聞き返してしまったり、うまく感情の切り替えができなかったり、人にジャッジされるのは大嫌いなのになんとなくこの人はこいう人なんだろうな〜を感じ取って決めつけてしまったり、、、

色々あるけれど、少しずつ人間的に成長していきたい。

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