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ベルリーンに行ってみた。

二泊三日のベルリーン旅行はさんざんでした。

移動日初日は晴れ。しかし中日は霧曇雨の三重苦。3日め移動日も霧。しかも冷たく乾いた風が身を切る寒さ。こんな季節のベルリーンは撮影向きではない。結果撮影枚数も少ない。収穫も少ない旅行でした。凹凸 

しかし果たすことができた懸案事項が2つありました。

1つ目は、ヘルムート・ニュートン写真美術館。動物園駅の直近というわかりやすい場所ですがなぜか今まで訪れる機会なし、今回満を持して訪れました。館内は上着、バッグ、カメラなどは持ち込み禁止。しかしケータイでの撮影は黙認というかたち。

作品展示は乱雑でしたが、使用機材の展覧は参考になりました。RolleiflexやHB 500cmなどは当然としても、Nikon FEなども使っていたのは意外でした。

もう一つは、森鴎外記念館。ここも長年の懸案となっていた場所です。なにせ週4日しかも午後だけの開館なので今まで都合がつかなかったのでした。

げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそ猶心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしを知りたり、人の心の頼みがたきは言うも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。

と、玄関から二階の入り口までの階段の手すり付近に、上のような『舞姫』の一節が描かれている。


ベルリン中央駅からSバーンでフリードリッヒ通りへ到着する間際の左車窓に大きく見える「鴎外」の文字。冷戦時代は東側の地域にその家はあります。
付近は19世紀の雰囲気濃厚なしかしそっけないいかにもドイツという街並み。戦禍に合わなかったとは思えないほど市中心部です。滞独4年目の森林太郎がミュンヘンからここへ遷り住んだのはコッホのもとで細菌学を学ぶためでした。

この部屋に住んだのはわずかの期間で、シュプレー川以東の現在ではHackescher Markt駅からアレクサンダー広場駅にかけての一帯に引っ越したそうです。というのも大家がおしゃべりでゆっくり勉強ができないからだと記念館職員のトランさんが教えてくれました。

この記念館は日本でいえば二階ですが、実は林太郎が住んだのは地上階だったそうです。しかし一階は企業が入居していて使用不可、そこで間取りが同じである二階に記念館を設置したそうです。ここから移った先は戦禍と東側による改造、統一後の再開発などで街の変化が大きく場所さえ特定できないので、マリエン通りとルイーゼン通りの交差する角に立つこの建物が選ばれたそうです。

下宿部屋は小さく洗面台はあるもののトイレ・バスは共用です、そこへうるさい大家の世間話で攻められてはたしかに逃げ出したくもなりましょう。

ゆえに「舞姫」エリスとの出来事はここではなく引っ越し先でのことだったのです。

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