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反省の色は何色?

今年の梅雨も大変な雨が降った。日本ではここ数年、大雨がらみの大きな災害が続き被災者の方々は大変な思いをしている。心からお見舞いを申し上げたい。憎っくき雨である。

しかしそもそも汗っかきなので、蒸し暑い日の雨は特に苦手である。だいたい我々現代人が着ているこの洋服という代物自体、この湿度の高い日本の風土に適していないなあと思う。かつて日本人は、袖口や胸元から風がスパスパ入る着物で暮らしていた訳だが、またそんな時代が来ないものかなどと本気で思ってしまうのである。

ただ幸いなことに、最近ではクールビズがすっかり定着した。年間を通してノータイの人も多くなってきたのではないだろうか。私もその一人である。しかもリモートワークが普及したため、どんどんネクタイをする機会は減っている。しかしこの日本社会では、初めての訪問や正式な場など、まだまだネクタイをした方が良い場面もあり、かく言う私も何かの時のために常にネクタイを一本カバンに忍ばせておくことが多い。

***

その日は朝から日差しが強かった。しかし、かといってカラッとした天気でもなくそろそろ梅雨入りの気配もあり、蒸し暑い一日になりそうだった。

地下鉄の駅から出て会社への道を歩く頃にはすっかり気温も上がり、俺は太陽を見上げながら「こんなに暑くなるなら黒いスーツは失敗だったな」などと考えていた。俺はすっかり熱を帯びたその黒い上着を脱ぎ片手に持つと、肩に引っ掛けて歩いた。額からは汗が落ちてくる。そう、刑事ドラマの聴き込みシーンのあの感じである。

会社に着くと、同じ部の若手が電話をしながらしきりにお辞儀をしている姿が見えた。ひとしきり謝った後で電話を切るとガックリと肩を落としている。聞くと、大きな手配ミスをしてしまい取引先に詫びていたという。そいつは人懐っこいが、隙も多く、若い頃の出川哲郎のようないじられキャラである。いつもニコニコと明るいのがとりえなのだが、その日の哲ちゃん(仮名)は柄にもなく思いつめた顔をしていた。

ざっと事情を聞いた俺が、「同行するから、直接お詫びに行っておいた方がいいな」と言うと、小鹿のような濡れた目ですがるように俺を見て、「いいっすか」と言ったのだった。

そう言うが早いか、哲ちゃんは早速先方に電話をかけて、直ぐにお詫びに伺いたいとアポを取っていた。その間、哲ちゃんはまた誰もいない壁に向かって何度もお辞儀をしていた。

外は一段と暑くなっていた。先方のビルの近くまで来てまだ時間があるのでひとまずドトールに入って涼んだが、汗が引く頃には約束の時間が近づいていた。哲ちゃんもあわてて残りのアイスコーヒーをズルズルと音を立てて飲み始めた。

クールビズがいくら普及したとは言えども、やはりお詫びで訪問する時にはノータイという訳には行かない。しかし心配ない。俺のカバンの中のネクタイはこんな時のためにあるのだ。俺は哲ちゃんに、ネクタイを締めてくると告げると、カバンのポケットを開けて中を覗いた。しかしその瞬間どうもいやな感じがした。カバンに入れっぱなしだったネクタイは、なんと言うか薄い銀色的なネクタイだったのである。

俺はその嫌な予感がするままトイレに行きそのネクタイを締め、鏡に映る自分の姿を見た。黒いスーツに銀のネクタイである。いやな予感の通りである。やはりどう見ても、おめでたい場に招かれた男という感じにしか見えないのである。もしこの姿に題名をつけるなら、「新郎叔父」と言う感じだろう。なんならこうビールでも注ぎたくなる感じさえある。とうていお詫びに来た男という感じがしないのである。「反省の色」という言葉があるが、それは少なくとも黒と銀色ではないのだなあと思った。

俺はトイレからでると、哲ちゃんに「このネクタイで大丈夫かな」と聞いてみた。やつは「正式な感じがして良いと思います」と答えた。あまり質問の意味にピンと来ていないようである。

俺はもっと判りやすいように、「でも、なんかちょっと、おめでたい感じしない?」と聞いてみた。

するとヤツは何か勘違いしたのか、急に暗い顔に戻り、「いえ、おめでたいのは僕ですよ...... あの時、一本確認の電話さえ入れていれば...... 」などと一人また反省モードに入っていくのである。

もう構っている暇はない。アポの時間は迫っていた。

「じゃ、そろそろ行こう」

俺達は先方のビルに向かい、1階で受付を済ませるとエレベータに乗った。

***

しかし結論から言うと、結局我々が来るまでにあらかたの対応策は決まり問題解決の目途がついたようで、先方の話しっぷりは意外に和やかだったのである。俺はほっとした。汗でテカテカの哲っちゃんの顔にも安堵の色が見て取れた。その後、先方と今後のリカバリーの話をした後は、当たり障りのない世間話をして、今回の謝罪訪問は無事終了となったのだった。

ビルを出ると、小雨が降ったようで道路が濡れていた。外に出たとたん温かく湿った空気が体にまとわりついた。

俺が「たまんないなあ」と言いながらネクタイを緩め、そのままシャツの襟からスルスルっと引き抜くと、いつもの調子に戻った哲っちゃんの「ほんとっすね」と言う明るい声が聞こえた。


(了)

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